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 電話取り次ぎというのは、こんな感じだった。電話がかかってくると、O氏が部屋まで呼びに来る。で、一階のO氏自宅部分に行くわけだが、玄関から家に上がることはなくて、もう憶えていないが裏口のようなところを通ってO氏宅の縁側に案内された。するとO氏が電話線を引っ張って電話(もちろん黒電話)を縁側まで持ってきてくれる。私は縁側に座って電話をする。記憶が曖昧なのだが、たしかそんな感じだったと思う。
 しかし、下宿人に電話がかかってくるたびに二階まで呼びに行くというのは、O老人にとっては結構大変だったと思う。というわけで、しばしばO氏は、二階までのぼらずに、下宿部分の玄関先から、大声で呼ぶ、という技を使っていた。そうするとこんなことが起こる。
 部屋にいると、下宿の玄関がガラガラとあく音がし、その後、「……ァァアッサッッ!!……ァァアッサッッ!!……」という叫び声が聞こえる。何だろう、と思って部屋を出て階段のところまで行ってみると、玄関先でO氏が「電話、電話!」と手招きしている。というわけで、その段階で「あれは「永野さんッ!」と叫んでたのか」ということがわかるわけである。しかし、小さな家とはいえ、一階の玄関先から、二階の部屋まで、ドアを隔てて、である。その「呼び出し音」を聞き逃したことも結構あったのではないかと思う(特にヘッドホンで音楽聴いてたりすると)。
 それもあって、「(友人)昨日電話したけど、いなかったね。どこいってたの?」「え?ずっと家にいたけど?」というようなこともあった。それだけではなく、O氏は、相手によっては私を「呼び出し」すらせずに、「永野さんはいません」と勝手に居留守を使って、取り次ぎを拒否したりもしていた可能性もあると私は思っている*1。これは憶測でしかないのだが。特に、女性からの電話は問答無用に受け付けていなかったのではないか、という疑惑を未だに私は持っている。大学4年間、女性から電話がかかってきた、という記憶は皆無である。「悪い虫」が付かないように、という大変ありがたいO氏の「親心」のおかげだったのではないだろうか。まあこれは、単に私に電話をかけようという女性が居なかっただけかもしれないが。いずれにせよ、友人たちには「おまえんち電話かけづらいよ」と言われていた。
 さて、電話取り次ぎというのは、普通、本人が居なかった時の伝言取り次ぎ、なども含まれるだろう。O荘にも、一応そういうシステムがあった。だがこれも、しばしば機能していなかった。O荘の下宿部分の玄関には、部屋ごとにわかれた小さな木の棚があって、そこに、下宿人宛の郵便物や、大家からの連絡事項*2などが入っていた。不在中の電話で伝言があったときなども、そこにメモが入れられることになっていた。ある日、その棚に、「永野さん、永野さんからお電話がありました」というO氏のメモが入っていた。同じ名字の人間としては、さしあたり親しか考えられないので、実家に(電話ボックスから)電話してみたのだが、電話はかけていない、という。親戚なども心当たりはないので、放っておいたのだが、翌日、大学で友人と会うと「昨日電話かけたんだけど」という話になった。もちろん、「永野」とはまるで違う名字の友人である。これに関しては、以下の2つの可能性が考えられると思っている。
(1)
「はい、Oです。」
「あ、あの〜○×と申しますが、ナガノさんいらっしゃいますか?」
「…はいィ?どなた?」
「ナガノさん、です」
「ああナガノさん……(お宅は)ナガノさん、ね。」
「いらっしゃいますか?」
「どなたが?」
「(いやだから)ナガノさんです。」
「ナガノさん?……いませんよ」
(2)
「はい、Oです。」
「あ、あの〜○×と申しますが、ナガノさんいらっしゃいますか?」
「ああ、ナガノさん……今いらっしゃいませんね。」
「ああ、そうですか。では、電話があったことだけお伝え願えますか?」
「はい。」(電話切る)
え〜ェ、ナガノさんに電話、ナガノさん、ナガノさん、と。メモはどこいったかな。ナガノさん、ナガノさんに電話……ああ、あったあった。え〜、と。「永野さん、永野さんより電話です」

*1:まあ、セールス電話(いま風に言えばスパム電話?)のようなものも拒否してくれてたみたいだからその辺はありがたいんだけど。

*2:今思えば、(前回書いたように)家賃請求書だけは、どういうわけか部屋の中に置くことにしていたようだ。