デュシャン

 id:t-b-sさんid:tokoriさんとともに、横浜美術館に「マルセル・デュシャンと20世紀美術展」を観に行ってきました。主要な「作品」は網羅されていて、デュシャンヲタならそれなりに満足のいく内容だったのではないかと思います。私も、それほどではないですが、そこそこデュシャン好きではあります*1。しかし、デュシャン「展」の場合、「作品」といっても、ほとんどがレディメイド*2ですから……。そもそも、展覧会でホンモノの作品をありがたがって観る、ということそのものを批判する「作品」を、展覧会でありがたがって観る、ということ自体が、ほとんど倒錯してます。「おー、ホンモノのニセモノだ」って言ってるようなものですから。そもそも、今回ならべられていたレディメイド「作品」は、デュシャンが最初に発表した「作品」そのものではなく、ほとんど後年作り直されたレプリカです。もちろん、レディメイドであるかぎり、それらは「オリジナル」と同じ価値を持つ*3ということなのですが、だったら今回の展覧会用に、新たに便器や瓶乾燥機をその辺のドンキかどっかで買ってきて並べてもまったくいいはずなのですが(デュシャン的にはね)ところが、並べてあるレプリカ「作品」のキャプションを観ると、60年代とかに造られているわけです。つまり、レプリカはレプリカでも、そこそこ「由緒ある」レプリカ、ってことなんでしょうね。その辺の微妙さが、ちょっとなんだかな、と思います。
 それもあって、この展覧会は、デュシャンの「作品」だけでなく、他の作家によるデュシャンにまつわる作品も、あわせて展示されていました。しかし、これに関しては、明らかにどれもいただけない、と私は思いました。そもそもデュシャン自体が、「一番乗りで二番煎じをやった」という大いなるスキマ産業的なものであるのに、そのデュシャンをネタにした作品、というのは、二番煎じの二番煎じをしてどうする、という空しい感じがどうしてもしてしまう。まあ、吉村益信の「大ガラス」は、あのぐらいバカバカしいものをやられるとかえってすがすがしいという感じがして笑ってしまいましたがね。その他は、たとえばハンス・ハーケという人の「折れたR.M.(アールエム)*4」という作品は、デュシャンの「折れた腕(アーム)の前に」という有名なレディメイド(実体は単なる雪かきシャベル)のパロディなのですが、ハーケのこの「作品」は、柄の所が折れたシャベルが展示してあって、さらにデュシャンの有名な「EAU & GAZ À TOUS LES ÉTAGES(水道ガス各階完備)」というプレートをもじった「ART & ARGENT À TOUS LES ÉTAGES(芸術とカネ各階完備)」というプレートがかかっている。これはつまり、反芸術といいながら、それこそレディメイドのレプリカなんかを高い値段で売って儲けて優雅な生活をしていたデュシャンに対する批判というか当てつけなわけです。しかし、こんなわかりやすすぎる*5批判、なんかシラケてしまいます。ちなみに、デュシャンと同種の「いかがわしさ」が、作曲家ストラヴィンスキーにもあるように私は思います。ストラヴィンスキーは、デュシャンと同じく、若い頃パリで革新的な芸術によってセンセーションを引き起こしながら*6後半生をアメリカで送ったわけですが、それだけでなく、やはりストラヴィンスキーも、たしか、何かというと自分の過去の作品をアレンジしなおしてその楽譜を売って儲けている、と批判されていたようです。しかし、そういういかがわしさも含めて、私はなぜかデュシャンストラヴィンスキーも好きなんですよね。
 長くなってしまいましたが、それから、前から思っていたのですが、デュシャンは、「網膜的」(つまり視覚的)絵画を否定する、と言って、いわゆるコンセプチュアル(つまり観念的)アートの先駆けとなったわけですが、実はものすごく網膜的なセンスがある人なわけですよね。レディメイドなんかも、偶然性を重視したり、何でもいいんだみたいなことをいいながら、実はどれもこれもオシャレでいわゆるセンスがいいものばかりです。そして、なんといっても、初期の画家としての彼の代表作、「階段を下りる裸体」、これ、絵画としてみて、大変すばらしいと私は思うのです(今回これの現物が見られたのが収穫ですね)。というわけで、そういうところも、デュシャンはちょっとズルいと思う。ま、そのズルさも含めて好きなんですけど。

*1:かつてデュシャンについてのエッセイも書きましたhttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/ronbun/duchamp.html

*2:便器を「泉」というタイトルで出品したのが一番有名ですが、そういう、デュシャンが買ったりアレンジしただけの「既製品」としての作品のこと。

*3:あるいは同じく価値をもたない?

*4:デュシャンの偽名リチャード・マットの頭文字

*5:しかもわからない人にはまったくわからない。デュシャン自身も含めて、そういう分かる人だけ分かればいい、的な、あるいは内輪受け的な雰囲気にたいする批判は当然あるでしょう。

*6:デュシャンの「階段を下りる裸体」がアンデパンダン展で出品拒否にあったほぼ同じ年、「春の祭典」の初演が大混乱を引き起こした。