ニート画家?

 『のだめカンタービレ』最新刊。今回、ムッシュー長田という、新たな登場人物が出てくる。この人はパリののだめと同じアパルトマンの住人なのだが、細かい話はとばして、この長田氏とアパルトマンの管理人(?)のおばさんとの次のような会話が出てくる(ちょっとネタバレですが)。

(管)いい加減にしなさい!!いつまで画家の卵なの!?40にもなって
(長)ボ…ボクはべつに 画家をめざしているわけじゃない……
(管)何言ってるの 画商のブランさんから聞いたわよ やっと個展をやることになったって! よかったじゃない! あなたの絵がやっと日の目をみる時が来たのよ 頑張らなきゃ 大丈夫、売れる売れる!
(長)余計なことをいうなあーーー!! 個展なんかやめた!! もうやめた!! ボカァ趣味で絵を描いてるだけで満足なんだ! 売ろうなんて考えるとボクの絵はだめになる!!ボクの芸術はずっとボクだけのものでいいんだあーーー!!

 で、その後いろいろあった後の彼のセリフ。

(長)ゴッホは生きているあいだ一枚しか絵が売れなかった 怖かったんだ…… 売れなかったら 評価されなかったらどうしようって…… ボクの絵は本当に趣味で独学だったし 16年間
(管)大丈夫よ 芸術は人の目や耳に触れて また育っていくんだから

 ……うーん、なんだかねえ……。「趣味で絵を描いてるだけで満足」「遊びで絵を描いている」などと言うことは、「負けるのが怖いから逃げている」とみなされてしまったりするわけですね。
 たしかに、たとえば画商に対しては「画家をめざしているわけじゃない」「ボクの芸術はずっとボクだけのもの」なんて言ってしまったらまずいから、思ってなくても「売れたいです」とか「ミンナに夢を与えるために描いてます」とか言っといた方がいい、というハッタリのすすめなら、わからないでもない。でもそうでもないらしく、このムッシュー長田のエピソード、単なるお説教にしか読めない……。『のだめ』ってギャグ漫画じゃなかったのか?
 まあでも、「勝負」を降りたムッシュー長田のような人物が主人公の漫画では、結局「売れない」のです。主人公は、「抜きんでた能力をもった少数の人々(@山田昌弘希望格差社会』)」である、千秋や、のだめが、「一流」を目指して競争し、「成功し」「勝って」いく物語でなくては「売れない」。……と思って二ノ宮さんも心にもないストーリーを描いている……んでしょうかねえ?
 しかし、ムッシュー長田にしても、どうやって食っているのかは分かりませんが、パリで絵を描き続けることができるのだから、所詮エリートだ、とも言える。また、「才能」がある彼は、管理人(?)のおばさんや千秋など周囲の説得(カウンセリング?)によって、結局競争に復帰するのです。では、千秋でもなく、ムッシュー長田でもなく……といった人々はどうなのか。
 それは例えば、日本で中華料理店の後を継いでいるバイオリニスト(もう名前忘れちゃったよ……)ら、千秋やのだめのかつての仲間たちです。彼らは今回、とうとう本編からは退場して、欄外のおまけ4コマの住人になってしまった。そして、欄外から(日本から)、パリにいる「天才」千秋に応援ファックスを送るのです。彼らは、「自分の能力に比べて過大な夢をもっ(同じく『希望格差社会』)」たりしない、というわけでしょうか?*1。いずれにせよ、「アマチュア」や、一流への競争を降りた人間は、マンガから退場するのが当然であるかのようなストーリー展開を見ると、なんだか結局作者も、「アマチュア」音楽は所詮趣味で価値がないと思ってるのかなあ、と少しがっかりしたのです。
 「職業カウンセラー」だったら、『のだめ』の読者たちにこう言うんですかね?「一流のプロ」になろうなんて夢を追い続けて40になってしまったら悲惨だ。早めに自分の能力を見極めて「諦め」、「能力にあった職」につくべきだ。後は、漫画の中で天才千秋の「成功」を読んでカタルシスを味わえばいいのだ。まかりまちがって、自分も千秋のようになりたい、なんて夢を追いはじめては行けない。ミンナが夢を追うから希望格差社会になってしまうのだ、と。それから、趣味の演奏は所詮「意味はない」遊びなんだから、本業の差し障りにならない程度、ほどほどにしておきなさい、と。漫画もそう。みんながみんな二ノ宮先生のように「成功」できるわけじゃないのです。「抜きんでた能力をもった少数の人々」でないならば、早い目に諦めなさい……てことなのでしょうか?なんていいたくなってしまいます。


(今回の記述は、先日の『希望格差社会』を批判したエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/sarutora/20050516#p1をふまえてますので、できればあわせてお読み下さい。今回はちょっといやみっぽい書き方をしたので誤解を与えたかもしれませんが。)

*1:ひょっとすると彼らは「過大な期待をクールダウンさせる『職業カウンセリング』(『希望格差社会』)」を受けた結果、「納得して諦めて」中華料理店店主に「転進」したのでしょうかね、なんて