さらに追記

 例えば「では、例えばロンドンのテロも、対抗暴力だから肯定するというのか」という人がいるならば、そうではない、ということです。ロンドンの市民がいかなる暴力にも荷担していない無垢な存在である、とはいわない。しかしだからといって、彼らを殺戮する無差別テロは、直接的な対抗暴力とはやはり言い難い。

このようなテロ行為と「本当に困難な状況にある人々」とは切り離して考えるべきだろう。勿論、抑圧された人々の対抗的〈暴力〉は断乎として擁護されなければならない。そのような人々に向かって〈暴力反対!〉などと喚くのは、結局そのような人々を殺すことに荷担するのと同じだからだ。ただし、そのような〈暴力〉はこのような〈無差別テロ〉ではないだろうし、またあってはならない。しかし、「本当に困難な状況にある人々」は、テロはおろかささやかな対抗的〈暴力〉さえふるう元気さえない。密かに溜飲を下げるということはあるかも知れないが(それを直接の〈被害者〉でない私たちが道徳的に非難することなんてできるのか)。

 暴力を振るわれている「本当に困難な状況にある人々」人が、テロに「密かに溜飲を下げる」ということを、「直接の〈被害者〉でない私たちが道徳的に非難することなんてできるのか」と問うことと、「無差別テロを支持する」ということは言うまでもないがまったく別のことです。