第一回

はじめに

 前回の暴力についての文章を書くとき、私は、かつて読んだ向井孝(1920-2003)の文章を改めて参照することをまったくしませんでした。というわけで、前回の暴力論は、向井孝の暴力論というよりも、猿虎暴力論であったことをおことわりしておきます。そして、その意味で、いささか向井孝の思想を誤解させるものであった可能性があります。
 そもそも、向井孝という人物については全く知らない人が多いと思いますが、さしあたりまず、はてなキーワードの説明を参照してください。
 さて、前回私は「抵抗暴力」についての文章で向井孝を持ち出したわけですが、そのことによって、向井孝が、「抵抗暴力」や「武装闘争」を積極的に肯定する考えの持ち主である、と誤解した人もいたかもしれません。しかし、それは(私が悪いのですが)全くの誤解です。はてなキーワードの説明にもあるように、向井孝の思想の中心は、非暴力直接行動です。現在の日本では、「抵抗暴力に対する抵抗感」はとても激しいものがあります。しかし、かつては、むしろ逆に「非暴力に対する抵抗感」の方が強かったようです。その点に関して向井はこう言っています。

六五年ぐらいまでは、非暴力ということばはさげすみとか嘲笑の対象で、あるいは宗教家とか特殊な人たちの言うこととして、いわゆる運動グループの中では通用しないことだった*1

非暴力いう言葉が、いわゆる運動の中で笑い者にならなくなったのは、七〇年くらいじゃないですか*2

 現在では、まったく事情は異なり、いわゆる運動の中でさえも、「抵抗暴力」は言うまでもなく、「抵抗」という言葉にさえ心理的抵抗を示す人がかなり多いと思います(そういえば「抵抗」勢力とはいまやまさに批判・揶揄の対象です)。
 ではそれは、向井らが提唱した「非暴力」が運動の中にようやく定着してきたということであり、喜ぶべき事なのか?*3 しかし、向井の思想は、非暴力賛成/暴力反対、という単純なものではありません。非暴力が運動の中で嘲笑の対象だった時代に「非暴力」を提唱した向井の思想は、同時に、「非暴力」(疑似非暴力)に対する激しい批判を含んでいたのです*4
 そこで、今回から、何回かに分けて、向井孝の暴力論について少し詳細に紹介していこうと思います。私は、向井孝の思考は、現代のわれわれが状況について考察するための支柱の一つとなりうると思います。
 向井とその『暴力論ノート』*5については、『現代思想』2004年5月号(特集=アナーキズム)所収の、道場親信「運動論的運動者――向井孝小論(対話と交流のためのノート3)」(以下「道場」と略)が詳しく検討しています。本稿では道場氏の論文も適宜参照します。

1「抵抗暴力」の批判

 『暴力論ノート』*6の冒頭で、向井孝は「対抗暴力」について言及している。

 人民の抵抗は、かならず支配者の暴力的抑圧をまぬがれえない。
 かくして支配権力に対する闘争は、ついに暴力的対決へとすすむ。
 その論理の帰結は、平和のための―防衛のための―独立のための―解放のための―革命のための―蜂起。騒擾・内乱・戦争としてあらわれる人民の〈対抗暴力〉〈軍事武装〉は当然のものとなる。(p.5)

 しかし、向井はこの論理をそのまま肯定するのでは全くない。むしろ、こうした帰結を、「いぜんとして19世紀的革命観と暴力信仰が、底ぶかく人々をとらえている理由」(ibid. 強調引用者。以下同様)として批判するのである。向井によると、現代の(本書執筆時で言えば70年代の)闘争は

〈非強権主義を標榜しながらの、しかも、暴力に導かれた闘争は、自己をも権力主義化する〉―〈暴力主義は、つねに裏切りの革命を人民にもたらす〉(p.6)

 という「歴史の教訓」をふまえてすすめねばならない。それは、現代の闘争が、〈戦争〉と、(戦争機構そのものとしての)〈国家〉が私たちの前面に突き出されていることで、過去の時代と根本的にちがっていることから来ている、と向井は考える。

*1:2000年の発言。阿木幸男『非暴力トレーニングの思想』論創社、2000年。道場親信「運動論的運動者――向井孝小論」よりの孫引き。道場論文については後述。

*2:同上。

*3:ある意味でそうだ、と言うべきかもしれないのですが……。

*4:そして私は主に後者の側面を強調したわけです。

*5:論文やパンフレットの形で発表された、向井の中心的思索が示された一群のテクスト

*6:『暴力論ノート』にはいくつかのバージョンがあるのだが、本稿で主に扱うのは、「中心的なテクスト」(道場179)である1970年のバージョンである。