空間の意味の機能主義化

 http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060120/p1に関してid:sumita-mさんからトラックバックをいただきました。なるほど。とても興味深いです。「何故今になってという次元」を考えると、「迷惑」の意味の変質、という問題に行き着く。そしてそれは、大学という空間の意味の変質、〈居場所〉から〈職場〉への変質(空間の意味の機能主義化)と対応していると。それは公園も同じであると。誰かが「居る」場所から、何かを「する」場所、何かをしに「行く」場所への変化、という感じでしょうか。
 そのことを考えると、また年がばれる昔話をしたくなってしまいます。考えてみると、今の「生徒」さんには信じられないのかもしれませんが、昔、私の大学では、サークルの部室に文字通り「住んでいる」人がけっこういたんですよね。ていうか、上のエントリで触れたKさんという人がまさにそうでした。部室にベッドをもちこんでいて、彼にとって某部室は完全な生活の拠点となっていました。そういう人は他にもいたように思います。つまり、言ってみれば大学の中に「ホームレス」がいたのです(Kさんはれっきとした学生でしたが)。今でも理系なんかでは実験が忙しくて大学に泊まり込み、というケースならあるのでしょうが、それは、「職場」に「居残る」という意味であって、Kさんのように、大学を〈居場所〉としてそこに「住む」というのとは違うと思います。でも、Kさんのような人は当時からすでにちょっと白い目で見られていたような気もします。
 そういえば、私ら新人類の時代は、「大学のレジャーランド化」ということがしきりと言われました。でも、「レジャーランド」も、やっぱり「居場所」ではないですよね。あくまでレジャーという行動をしに「行く」場所ですね。しかし、今はさらに、大学は、レジャーランド、つまり遊びに行く場所ですらなくなって、何と大学は、勉強をしに行く場所になってしまった!……え?それ普通じゃないかって? たしかに、大学の「レジャーランド化」を嘆く人は「大学は勉強しに行く場所なのに」とよく言ってました。つまり大学が「正常化」した、てわけですか……。で、たしかに、大学の授業出席率高くなっているような感じもします*1。出席をとらなくても授業に出る。ただし、授業を聞いているわけではなく、しゃべってたりするんですけど*2あとは、これも感覚ですが、サークル部室にたむろする人が減っているかもしれない。あるいは、そもそもサークルに入らない人(帰宅部)率が増えているような感じもあります。
 kingさんからもトラバを頂いているのですが、それについては後ほど書きます。

*1:あくまで私の感覚でしかありませんが。

*2:静かだと思ったら、ヘッドホンをしてジャンプを読んでたりとかね(実話)。普通に携帯でしゃべる人もいます。あ、ちょっと脱線してしまいましたが。