もう前回が1年半も前なんですが、O荘の物語の続きです。
ところで、最近、敷金、礼金、仲介料ゼロをうたい文句にした「ゼロゼロ物件」で、無断で鍵を交換されるとか、無断で室内に入られて荷物を処分される、などの被害が出ているらしい。http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081008k0000e040067000c.html
ゼロゼロ物件の管理会社は、契約が、賃貸契約ではなく「施設付鍵利用契約」であるという珍妙な理屈で、そうした行為を正当化していたようである。
低所得者を食い物にするゼロゼロ物件のやり方は、まったくけしからんと思うのだが、実は、この話を聞いて、不謹慎ながら、ちょっと懐かしく感じてしまったのである。
ゼロゼロ物件はもちろん、学生向けの「ワンルームマンション」すらほとんどなかった20年以上まえ、O荘の大家さんであるOさんも、O荘の契約が、普通の「賃貸契約」ではない、ということを強調していた。こちらでも書いたように、Oさんは、下宿人と大家の関係が、単なる賃貸契約者と貸し主、という関係ではなく、「一つ屋根の下」に住む一種の家族としての関係である、と主張していた。だから、電話もつけさせてくれなかったのである。
さて、O荘では、家賃は振り込みではなく、階下に住んでいる大家さんに直接渡しに行く、というのはすでに書いた。家賃は2万2千円(たしか)だったが、毎月払う金額は、それに電気代水道代などが加わったものだった。そこで、毎月、その月の支払い金額を書いた請求書が、大家さんから渡されるのである。で、その請求書がどんな風に住人の手に渡るのか、というと。
月末のある日、大学から帰ってきて、変なブザーのなる門をあけ、玄関の標語を横目に見ながら靴を脱ぎ、郵便受けをチェックしてから、狭い階段を上り、焼酎のにおいが漂うトイレのわきの、自室のドアの鍵を開ける(ドアノブの真ん中に鍵穴のあるタイプのやつ)。暗い部屋に入って、電気のひもを引っ張って、部屋が明るくなると、たたみの上に、白い紙切れが置いてあるのに気づくのである。Oさんがペンで金額を走り書きした、家賃の請求書である。まあつまり、こんな感じで、Oさんは、私がいないときに、合鍵を使って、いつでも私の部屋に、当然のごとく、入っていた。
こういうこともあった。ある朝、部屋で、せんべい布団の上で寝ていると、ふと、枕元に人の気配を感じて目を覚ました。戦慄の体験である。おそるおそる薄目を開けてみると、そこには、作業服を着たおじさんがいて、台所のあたりでなにかごそごそやっている(この下宿は、いわゆる、トイレ共同、台所アリ、だった)。目を覚ました私に気づいた彼は「あ、どうも、水道の点検ですー」と言った。つまりこれも、Oさんが合鍵でドアを開けたのである(枕元にこられるまで気がつかず眠っていた私もどうかと思うが)。もう恥ずかしくて、そのまま横を向いて寝たふりをしつづけた。
こんなこともあった。大学4年の時、私は高校に教育実習に行った。実家が引っ越して山梨の母校に行くのが不都合だったので、特別に、大学の付属高校に下宿から通った(その代わり、普通2週間のところを、3週間行った)。教育実習についてはまあいろいろな思いでもあるのだが、とにかく、その3週間は、授業の準備でそれはもう大変で、私としてはがらにもなく「がんばった」3週間だった。というわけで、ほとんど徹夜続きの中、部屋を片付けるヒマもなく、狭い部屋の中は、授業の資料だの、脱ぎ散らかした服だので、しっちゃかめっちゃかに散らかっていた。ちなみに、その後私は、片付けるヒマがあろうがなかろうが部屋を片付けないダメな人になってしまって今にいたるが、このときは一応散らかっているのには理由があった。
さて、そんな風に教育実習でへとへとに疲れて部屋に戻ってきたある日、やはり、部屋の真ん中に家賃の請求書があった。しかし、それだけでなく、そのときはもう一枚、別の紙が部屋の真ん中においてあった。なんだろう、と思って拾い上げて見ると、鮮明に覚えているのだが、そこにはO老人のこのような走り書きがあった。
永野さん、足の踏み場もないとはこのことです。もっと整理整頓を心がけましょう
しかも、である。この、住居侵入罪を犯して置かれた大きなお世話の走り書きが書かれている紙なのだが、その紙というのは、私の部屋にあった紙を勝手に使って、その裏に書いているのである!
疲労して帰ってきてこれを読んだときには、ほんとに怒りに打ち震える気分がした……ような記憶が、今となっては笑えるんだけど、ぼんやりと残っている。