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O荘の物語 4http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060516/p2の続きです。
 さて、もう一人の忘れられない住人は、一番奥の部屋に住んでいた。といっても、たぶん当時30代(か40代)だったその人とは、何回か廊下であって挨拶をしたことがあるだけで、顔も名前も全然覚えていない。ただ、とても穏やかで感じのいい人だったと思う。しらふの時は。
 もったいつけた書き方をしたが、つまり、酒飲みの方だった、ということなのだが。毎晩のように(4畳半の)部屋で1人で(たぶん焼酎を)飲んでいたようだ。その人が越してきてから、共同トイレの小用便器が、終日、甘いような、すっぱいような独特の強烈なにおいを発しはじめた。鈍い当時の私は最初理由がわからなかったのだが。
 で、夜、飲むと、歌を歌っていたようだ。といっても離れた部屋だったのではっきりとは聞こえず、歌というよりうなり声のような感じで、とても物悲しい感じだった(たぶん演歌系)。歌だけならまだいいのだが、どういうわけか、酔うと、床を思い切り踏み鳴らすのである。木造の古い家なので、彼が床を踏み鳴らすと、私の部屋もぐらぐらとゆれる。で、階下はというと、大家のO氏夫妻が住んでいるのである。床を踏み鳴らす音が始まってしばらくすると、階下からO老人が上がってきて、彼の部屋をノックする音が聞こえる。その後、Oさんが苦情を言う、というか叱り付ける声が聞こえて、Oさんは下に帰っていく。しばらくは音が止まるのだが、とまっているのはものの5分や10分で、また、うなり声と床を踏み鳴らす音が始まる。そしてまたO老人が上がってきて……というそんな繰り返しだった。「うぅ〜〜……うぅ〜〜………ドーン!!!(みしみしッ)……ドーン!!!(みしみしッ)」という音、今でも耳に焼きついている(トイレのにおいも未だに強烈に記憶に残っている)。
 そうこうするうちに、あるとき廊下で彼に会った。彼はにこにこした顔で「いや〜今度出て行くことになってね。お世話になりました」という風なことを言った。「…あ、そうなんですか」としか言わなかったような気がするが、なんとなく理由が察しがついた。
 彼が引っ越していってしばらくしてから、下のO氏宅に家賃を払いに行ったらまた茶呑み話に誘われた。そこで、O氏は例の住人についてこんな話をした。
「いや、あの人にはほんとに困りましたよ。最初はね、家内は、ああいう職業の人(※おそらく日雇労働者という意味だったと思われる)を住まわせるのはイヤだ、て言ってたんだけどね、ボカぁそういう偏見はいけない、って叱ったンですよ。だけど、もう懲りたね。もう金輪際ああいう人は住まわせないよ。」