野球のおもひで

 全国高校野球大会、自分の高校の試合の応援はたしか一応義務だったように思う。私の高校の場合幸い一回か二回ですんだけれど。しかし、高校野球に対して盛り上がる、というのは、当時私の周り*1では当然という雰囲気があった(今から思えばそうでもなかったのかもしれないが、当時はそう感じていた)。今は違うと思うが、当時大晦日は「だいたいどこの家も」紅白歌合戦を見ていたが、それと同じような感じで、夏休みには、「だいたいどこの家も」高校野球を見る(ものだと感じていた)。プロ野球ファンも今では考えらないほど多かった。当時のY梨の場合やはり友人は巨人ファンが非常に多かった*2。巨人ファンではなくても、「男子たるもの」プロ野球に関心を持つというのは、「当たり前」のことだった。
 実際に少年野球などで野球を本格的にやっていた男子も多かったが、そうでなくても、男子が公園に遊びに行くといえばバットとグローブを持っていくのはごく当たり前であった(つまりマイグローブを持っているのは男子として「当たり前」)。そう、つまりドラえもんの世界だね。
 で、私はといえば、運動音痴であり、実際に野球をやることに関しても、非常に下手であった。しかし、のび太君も野球が「下手」ということになっているが、なんというか、単に下手というレベルを超えて基本的なところで「野球ができない」、ということは、「男子として」とても「恥ずかしい」という雰囲気があった。「女投げ」という言葉があって、つまり「女子」はボールを投げようとすると体が開くような独特な投げ方をする、とされた。で、「男子なのに」「女投げ」である、というのは、基本的な「欠陥」であるような、嘲笑の対象となった。
 でまあ、私はそのような感じだった。しかも、それは基礎を教わったことがない、というような意味ではなく、男子たるもの生まれつき持っていて当然の「野球センス」の欠如(本質主義!)を意味する、と当時の私には感じられていた。公園で父親とキャッチボールをしたりとかはしたので、多少教わったり練習したりしていたはずなのに、できない、ということが、なおさら「センスがない」んじゃないか、という思いを強くさせた*3
 話をもどすと、当然、運動的な遊びの場では私はいつも「みそっかす」だった。私自身はかなりコンプレックスを持っていたが、しかし今考えてみればそういう位置づけにいたのは、競争から降りていたということでもあり、ある意味楽だったかもしれない。
 よく覚えているのは、たしか中学の時の球技大会でクラス対抗の野球をやることになり、私は当然みそっかす、というか補欠になったのだが、あまりに野球ができない私を友人が不憫がって、私に特訓をほどこしてやろう、ということになった。とりあえずキャッチボールをしたのだが、友人がちょっと強く投げた球を受けただけで、私は、グローブをはめた手の指をことごとく突き指した。さらに、遠投をしてみろと言われたので、(私としては)思いっきり球を投げたところ、友人は私に、嘲笑とかそういう意味ではなく本当に不思議そうな真顔で「なんでそんなに肩が弱いの?」と聞いてきた。「なんで」……と言われても。
 しかし、少年の私にとっての野球コンプレックスというのは、そういうフィジカルな面、運動能力に関する面だけではなかった。野球のルールが「理解できない」という、理解力みたいなものに関するコンプレックスもあった。ここでいう「ルール」というのは、むろん、3ストライクでアウトになる、とか、3アウトでチェンジになるとか、そういうことではない。それは、私も「知っていた」。問題は、例えば走塁に関するフォースプレイとタッチプレイとかその辺のこと以上の、もう少しややこしいルールのことである。それは、知識があるかないかというより、「センス」の問題であるように当時の私には感じられた。*4
 たとえば私は、テレビゲームの野球もからきし弱かったのである。これはだいぶ大人になってからのことなのではあるが、友人と野球のテレビゲームをしていたときのこと。私は自分のチームのランナーを飛び出させて、その選手は挟まれてアウトになった。そのとき、対戦していた友人は、驚き呆れた表情で「なんでそこで走るの?」と聞いてきた。「なんで」……と言われても。このとき私には少年のころの劣等感がよみがえってきた。少年当時の私は、ありえないところで走塁させてしまうような自分、というのは、何らかの基本的な理解能力が欠如している、と感じていたのである。
 これは、プロ野球に関心を持つということ、にも関わってくるのであって、例えば当時の私は、防御率とか、あるいはゲーム差とか、そういうことすらいまいち理解していなかったので、友人たちや大人たちの熱心な野球談義があまり理解できていなかった。理解しているようなフリはしていたが、なんだか取り残されたような気分がしていた。やはりこれは自分の「頭の悪さ」「センスのなさ」に起因するように感じられた*5
 この野球コンプレックスは高校を出るぐらいまで続いていたのだが、これがガラガラと崩れたのは東京の大学に入ってからである。私は、東京の高校を出た友人男性(しかも複数)が、野球において右と左のどっちが一塁か(つまりルール以前のこと)すら知らず、しかも別段コンプレックスを持っている様子でもなく平気でいることに、大変なカルチャーショックを受けたものである*6
 今は、「男子が野球をできない/知らない」のはありえない(というか許されない)という雰囲気はたぶんまったくないのだろう。デイリーポータルZで、私と同世代の住正徳氏が「野球部http://portal.nifty.com/cs/club/list/yakyu/1.htm」をはじめたが、デイリーポータルZラジオのそれに関する話題で、二十歳のライター藤原君は、キャッチボールをしたこともない、と普通に言っていた。
 ところで、少し話しはずれるのだが、「みんなが教えられなくても知っている「ルール」を自分だけが知らない」という思い、あるいは、「基本的な事柄を教えられなくても理解する能力が自分には欠如しているのではないか」という思いには、長い間さいなまされた(その中には、たとえばちょっとまえはてなブックマークで話題になっていた、「ズボンの買い方*7」とかも含まれる)。だから、ブランケンブルクの『自明性の喪失』という本に出てくるアンネ・ラウという人の話*8を読んだときは、とても興味深く感じた。

*1:私は1968年〜84年までY梨県K府市で育った。

*2:堀内はY梨出身。

*3:しかし今思えば、やはり他の男子に比べて単にあまり練習していなかったということだったかもしれない

*4:今ネットで「野球のルール」のページを見たら、「3アウトでチェンジになる」とかは「ルール」ではなくて「野球って?」という項目になっていた。つまり「ルール以前」の問題なのね。

*5:もちろんこれも今思えば必死で「勉強」しなかっただけのこととも思えるのだが。

*6:東京以外出身者でもそういう人に会ったことがある。

*7:http://anond.hatelabo.jp/20070208043448

*8:「ふつうなら自明なこととして身につけていること」がわからなくなってしまう女性の話