ソ連のこと

黒川紀章氏[都知事選について―15の公約―]
http://www.kisho.co.jp/page.php/342
この中に

14) 中米露との関係重視

 というのがありましょう?それがどうした、と思われる方も多いだろうが、マイミクの人に教えてもらったのだが、これは最初

14) 中米ソとの関係重視

になっていたのである(私もこの目で見た)。ちなみに2月21日夜23時ごろにはすでに訂正されていた。
 ただそれだけなのだが。ところで、こちら
http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_70126.html
で、今の20代後半から30代すぎ(ガチウヨ世代)のソ連のイメージについての話がある。

 彼らが「ソ連」というときにイメージするのは、ゴルバチョフソ連である。
 悪くて恐いソ連のイメージは全然ないのだ。店の棚に物がなくて、みんな政府に文句ばっかり言っている「言いたいことの言える国」というイメージなのである。言いたいことを言った挙げ句国がつぶれたというまとめ方をしているようなのである。
 ところが「競争がないとみんな働かないからダメになる」というようなことだけは、どこからか知らないけど聞いてきている。だから、彼らのソ連イメージは、一言で言えば「国民を甘やかす国」なのである。めいめい好き勝手やらせてもらえてそれでも生きていける国というイメージである。「ソ連」「社会主義」「左翼」といったものに対する彼らのイメージは基本的にこれである。
 そして、これでは国はつぶれてしまったという理解になるわけである。国民を甘やかすからだめなのであって、厳しく競争して、ピシーッと統制して反社会的な行為は許さないのがいいということになる。ガチンコ右翼の誕生である。

http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_70126.html

 ということなのだが、世代の問題かどうかはよくわからない。というのも、http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20050622/p2で紹介したように、1960年生まれの斎藤孝氏は、ゲームのモノポリーについてのコラムで、「ガチウヨ世代」の人とあまり変わらないようなことを書いているからである*1

 そもそも、”モノポリー”とは「独占」という意味だ。ゲームとして発売される前は、大学の経済学・経営学の教材だったともいわれている。確かに、このネーミングといい、”一人勝ち”を産み出すルールといい、資本というものの本質を理解させるには最適だ。富める者は「レンタル料」という名の不労所得でますます富み、奪われる者は骨の髄まで奪われる。運と勘と交渉術で一等地にホテルを建てることもできるし、一歩間違えば即退場である。そこには善意も温情もない。共産主義にケンカを売っているようなゲームだが、だからおもしろいし、熱狂するのである。
 考えてみれば、共産主義ではこうはいかない。全員が平等で、計画どおりに働き、時々ストライキやデモを起こしてみるといった程度では、ゲームにならない。あったとしても退屈で、労多くして幸すくなそうだ。つまりゲームの世界においても、資本主義は共産主義を凌駕しているのである。
『週間ダイヤモンド』(2005年6月11日号)

http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20050622/p2

 しかし、かつての「ソ連」が、「恐ろしい国」というイメージだったのは確かだろう。ちょうどこの前、私が20年以上まえ、おそらく1985年(私は大学一年生だった)に書いた文章が出てきて、そこに、当時(いわゆる冷戦期?)の雰囲気がわかる内容が書かれていた。幼稚な文章でかなり恥ずかしいのだが、参考資料として、ごく一部を紹介したい。内容は、高校で同級生だった友人とひさしぶりにあったとき、ちょっとした論争、というか言い争いになって、そのことを次の日あたりに思い出しながら書いたものだ。

 彼はまず、ソビエト脅威論を展開しはじめた。(ほら来た!そのうちはじまると思ったんだ)ソビエト経済の危機、生産力はアメリカの半分にもかかわらず、ソ連の軍事費はアメリカの2倍、軍事大国ソビエト。(……)

 この後、自分が彼にロクに反論できず落ち込んだ、とぐちぐち書いているのだがそこはあまりに恥ずかしいのでカット。以下のようなところも、ちょっと興味深い。

彼は、「反社会的」という概念をもちだしてきた。権力は、悪い面もたくさんもっているが、社会を円滑に進めるためには必要なものなのだ、と彼。そして彼は、俺に忠告をはじめた。
「あのね、きみに忠告するけど、俺には君のいいたいこともよくわかるんだけど、そういう反社会的な考え方をもっていると、結局世間の人から孤立するよ。社会から孤立していきていくっていうのはたいへんだぜ。俺は君のことを思うからいうわけだけど。」
俺はいった。
「……いいんじゃない?別に社会から孤立したって。」
少しの沈黙の後、彼はこういった。
「あのさ、前から思ってるんだけど、君はすごく自尊心が強いだろう。俺もそうだけど、特に君は自尊心が強いね。それで、それをたえず表に出してるだろう。そういう態度がすごく気にさわる人っていうのもいるわけ。それは絶対損だよ。」

 ああでもやっぱりはずかしい。ていうか「俺」ってなんだよ……。まあいい。ちなみにこの論争相手の人と今はまったく交流がないので、彼がいまどのような考えをもっているかはまったくわからない。ところで、私と同世代の人で、自分が高校生大学生だったときに、まわりはサヨクばかりでいかにうっとおしかったか、というようなことを言う人がたまにいるのだが、それは私の実感とは全く違うんだよね。私としては、高校生ぐらいのときから最近まで、もうずーっと、まわりの人間は上の友人のような感じの人がほんとに多かった、という感覚なんだけど。
 まあそれもいい。ところで、昨日、たまたま本屋でこの本を立ち読みして興味をもったので購入した(まだ全然読んでいない)。

ヘルタースケルター
川村 カオリ著
宝島社 (2007.1)
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 川村かおりは、貿易会社の駐在員だった日本人の父とロシア人の母の長女として1971年にモスクワで生まれたが、1982年に家族で日本に移住。だが彼女は日本の学校でいじめに会う。

 1983年、中1の2学期、新たな展開はソ連大韓航空機を襲撃したことから始まった。忠告を無視して航路を大きくそれた民間機が撃ち落され、269名が亡くなったが、その中に日本人も含まれていたのだ。社会の教師が授業中にその事件の話を始め、私に「この外道が!」と叫んだのである。そして過去にまで遡り、ソ連がいかに卑劣かを説き始めた。
 家に帰って辞書で外道を引いた。意味がわからなかった。が、この日からソ連バッシングが始まった。『ロッキー』などでも見られるように、アメリカ映画の中のロシア人は常に悪役で冷酷で残忍、そして必ずアメリカが正義であることが打ち出されていて、それは同時に当時の世の中の風潮でもあった。ロシア人がなぜ悪いのか、どう悪いのか、そんな説明はなく、とにかく悪なのだ。
 ソ連へ帰れ、人殺し、近づいたら殺されるぞ、など周囲から聞こえてくる罵詈雑言は、ハーフで生まれたことを嘆き、ロシア人である母を恨み、ロシア人と結婚した父を許せなくなるには、十分な理由で、私は八つ当たりでひどいことを母に言った。まわりの日本人が私に言うのと同じ文句を母に言うことで、自分が日本人であることを感じたかった。ロシア人ではないということを感じたかった。本当に青臭い馬鹿な子である。
 母は泣いた。遠い故郷を離れ、家族も友人もいない母に、唯一の拠りどころである私が「ソ連に帰れ」と言ったのだから。
(p.35-6.)

*1:共産主義」としか書いていないけどまあソ連のことでしょう。あと、ガチウヨさんの「ビシッと統制がいい」というのとは多少ニュアンスが違うのだが、甘やかされた怠け者の国、というイメージは共通している。