「サルトル━━ストライキは無理くない!」

#そごう・西武労組のストライキに連帯します

ストライキは迷惑だ」などという巷の声がニュース番組で流されているようです。そんなことを言っている政治家もいるとか。まったく嘆かわしいことです。それに対して、「ストライキは迷惑ではない、権利だ」と反論する声も、当然あがっています。たとえば、共産党の宮本徹さんは「ストを批判する政治家がいますが、ストライキ日本国憲法で保障された国民の権利です。雇用と暮らしを守れ!」と言っています。

「国民」は余計だと思いますが、「権利」だ、というのはその通りです。ただ、ちょっと微妙なところもあって、「ストライキは権利である」と同時に、実は「ストライキは迷惑である」というのも、あながち間違っているとは言えないところもあるのでして。つまり、「ストライキは、迷惑をかける権利である」という面もある。というのも、「迷惑はいけない」と言い立てる人たちは、そもそも、われわれが資本主義から被っている多大な迷惑を無視しているのであって、それに乗っかってしまうのはまずいわけです。というようなことを、2015年に『労働と思想』という本に書きました。

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 この中に「サルトル━━ストライキは無理くない!」という、サルトル哲学とストライキについての論文を書いてます。『蟹工船』の話とかもありますが、主に、サルトルが1952年に書いた「共産主義者と平和」という論文(『シチュアシオン 6』)について書いています。ちなみに、人文書院の旧サルトル全集は軒並み絶版で古本か図書館でしか読めませんが、国立国会図書館に登録すると、パソコンで読むことができます。

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便利な時代です。

 というわけで、私の論文の中から、関連する箇所を引用しておきます。

 たとえば、「ストライキは他人に迷惑を与えるものだからストなど禁止してしまえ」という人もいるだろうが、それに対して心優しき労働者の味方は「いや、ストライキをする権利は憲法で認められています」と答えるだろう。たしかに、日本でもフランスでも、ストライキをする権利は憲法で認められている。つまり、ストライキそれ自体は「合法的な」行為である。では、ストライキはなぜ合法化されているのだろうか?サルトルは、ストライキの合法性は、「非合法性の暗黙の承認」に根拠を置いている、と言う。それはこういうことである。そもそも「他人にまったく迷惑をかけないスト」などもはやストではない。ストライキとはもともと、多かれ少なかれ他人に損害をあたえるものでしかない。その意味で、「ストライキ権の正当性を認める」ということは、「他人に損害をあたえることを認める」ということである。つまり、ストライキ権が合法化しているものは、通常なら非合法とされる行為である。なぜそうした例外が認められるかというと、ストライキ権が「正当防衛の権利」だからである。暴力を行使する権利(正当防衛権)が認められるのは、現に暴力を受けている人に対してである。したがって、ストライキ権という正当防衛権をもつ労働者は、誰かに暴力を受けているのだ。いったい誰に?「労働者を抑圧する社会」に、である。その意味で「われわれの社会は、その社会が抑圧の社会であることをまずそして公然と認めることなしには、ストライキを正当化することはできない(原著一四四/邦訳二六)」のである。
 一九三六年、フランス首相ブルムはこのように言った。「私は工場占拠をなにかしら合法的なもののようにはみなさない……。それはフランスの民法の規則と原理とにかなっていないのだ」と。たしかに、事実、それは所有権にたいする侵害である。しかし、これにたいして、当時のフランス共産党党首トレーズはこう答えた。「彼らは言う、非合法だと。だがちがう!新しい合法性が作られているのだ」(原書一四四/邦訳一一六)。サルトルはこのトレーズが言う「新しい合法性」という言葉に注目し、それは「ブルジョワ社会の根本原理と矛盾しており、そして社会主義社会では、もはや存在理由をもたない」ようなものだ、と言う。

(「サルトル━━ストライキは無理くない!」市野川容孝、渋谷望編『労働と思想』2015年1月、堀之内出版『労働と思想』、213-4頁)

今読み直したら「迷惑を与える」ってあんまり言わないですね。「迷惑をかける」にすればよかった。まあいいけど。