号泣する億万長者

 言及して頂きました。
 id:flapjack:20040925#p1
 id:tokyocat:20040926
 なるほどです。ところで

そういう意味で、プロ野球での選手会のストとそれに対する人々の支持というのはかなり大きな変化ではないか、と思ってる。けど、そこはどうなんでしょうかね。

 ですが、私は、なんか例の人質事件のことを考えてしまいます。あのとき、「主張する弱者」がたたかれた、と言われたのですが、今回の場合、古田が、対決姿勢を全面に出さず、むしろ苦悩するリーダーみたいなイメージを作り上げたことが、人々の同情を得た面もあるのではないかと。ファンにあやまったり、感極まって号泣したり(見てないけどそうらしいですね)。人質家族も、「国民」にあやまっていれば、あそこまで叩かれなかった、などと言われました。……というようなことを考えると、どうなんだろう、とおもっちゃいます。
 で、実際はあり得ないんですけど、もしも、プロ野球*1が、選手会会長だったら……会見にあのドハデスーツにサングラスで現れて、マイクに向かって

「ストやるよちゃん!」
「明日もスト!」*2

と叫ぶ……ああ、こういうストが支持されるような世の中だったらどんなにか面白いだろう、と思います。でも、昔の日本は案外そういう雰囲気があったそうで、酒井隆史の『暴力の哲学』によると、ある時期まで世界中にその名を轟かせていた日本の社会運動、労働運動の中で、アメリカ人記者に「争議行為発明の天才」と呼ばれさえしたかつての日本の労働者たちは、たとえば「コーラスガールがピッチを半音あげたり、電話の交換手が電話の相手に『スト中』ですと朗らかに伝えながらも、いつもどおりの仕事をしたりするスト」など、多様で創造的な戦術を展開させていたのだそうです。(p45)酒井氏ならずとも、コーラスガールがピッチを半音上げるなんて、「なんと頓知の利いた抵抗でしょうか!」といいたくなります。

*1:=新庄

*2:念のため、モトネタは、「意味ナシオちゃん」「明日も勝つ!」という新庄のインタビューでの名言。