激ぬる

書き出しで作風や展開の読めなさにわくわくし、途中でもカフカの『城』かボルヘスかとまで思わせた。しかし結局は完全な期待はずれ。

戦争を知らない生ぬるさは、この程度の生ぬるさではないということだ。

我々はたしかに身近な戦争を知らない。でも、遠くから伝わってくる戦争をただ眺める気分なら嫌というほど知っている。その気分だって、それなりにもっとこう「目茶苦茶な中途半端さ」でなければ回収できない。このような平板な自問自答や叙情的な結末に行き着いてもらっても困る。現代の生ぬるい戦争に対しても生ぬるい恋愛に対しても、失礼ではないかな。人物やストーリーの変転ぶりに意外性がないとか、そういう問題ではない。

「となり町戦争は起こらなかった」とかなんとかの感想が書けるかと思いきや、となり町戦争は、実に陳腐に起こり、実に陳腐に終った。がっくり。

 私自身の「生ぬるさ」を言い当てられたような気がしてどきっとしました。
 生ぬるい、いや、生ぬるさの自覚において生ぬるい……確かにその通りだと思います。おそらくだからこそ、三崎氏は「私は、戦争反対と発言したりするほど戦争について考えているわけじゃない。そんな負い目のようなものを常に持っています。」と、安易に「負い目」などと言えてしまうのかもしれない。もちろん私もまったく偉そうなことは言えないわけですが。しかし、「目茶苦茶な中途半端さ」ですか……「爆ぬる」とか、「激ぬる」とか、そんな感じでしょうか。