日吉の幽閉者 その2

戦争遺跡

 見学会当日、他の参加者と共に、日吉地下壕保存の会の方々の案内で地下壕に入った。日吉地下壕保存の会は、戦争遺跡保存全国ネットワークに参加する団体である。戦争遺跡保存運動とは、「近代日本の侵略戦争とその遂行過程で、戦闘や事件の加害・被害・反戦抵抗に関わって国内国外で形成された構造物・遺構や跡地*1」である戦争遺跡の保存を訴え、「『戦争の時代』を繰り返すことのないように、『負の遺産』である戦争遺跡から学び、戦争の実態を知る*2」ことを目指す運動である。
 地下壕の中は、思ったよりもずっと広く、閉塞感はほとんど感じなかった。ここが実際に使われていた時にあった通信機などの設備は、戦後すべて撤去されてしまっている。
また、この地下壕は数年前に慶應大学によって丁寧に整備されている。それ以前は、敗戦直後米軍が行った爆破によって壊された部分から土砂が流入しているところがあったり、内部はかなり荒れた状態だったらしい。床にあいた排水孔に足を取られたりする事故もあったという。現在は土砂も撤去され、排水孔にも鉄の蓋がかぶせられ、ところどころ蛍光灯も付けられており、見学しやすい状態になっている*3。コンクリートの壁面はあまり汚れもなく、清潔な感じすらした。60年前に作られたものとは思えなかった。というわけで、この地下壕は、それ自体としてみれば、現在は何の変哲もない単なるコンクリートのトンネルにしか見えない、とさえ言える*4。もっと言えば、そこに「戦争」を感じさせる具体的なものは、一見したところまったくないといっていい。しかし、戦争末期の日本軍による重要な作戦はすべてここで作成された。ここが日本の戦争の中心だった、とも言えるのである。だが、いったい「戦争」とは「どこ」にあったというのか。
 構内を進んでいくと、ところどころに、横穴のように掘られた部屋状の空間がある。「ここが長官室跡です。」 むき出しのコンクリートが見えるだけのがらんとした空間と、戦争との結びつきを私に教えてくれるのは、保存の会の方の説明と、小さなプレートだけである。「ここが食糧貯蔵庫跡です。」この貯蔵庫については、このような説明があった。当時ここには洋酒や缶詰がぎっしり保管され、高級将校たちは洋食のフルコースを食べていた、というのである。地下壕にはワインカーヴまであり*5、地上では七面鳥が飼育されていた、という。ここで私は、70年前の豪華な学生寮を見たときに感じたのと似た違和感を感じて、またとまどってしまう。庶民が飢えていた時に贅沢をしていたなんてとんでもない、と将校たち非難することは簡単だろう。だが、その程度の食生活は当時のエリート将校の階層にとっては当たり前のものだったのだろう。私は、ジャングルをさまよう学徒兵の究極の飢えを実感することには困難を感じる。だが、そうした「悲惨さ」と「戦争」の結びつきは、ある意味では「分かりやすい」。一方、現在の私にとっては、地下に閉じこもっていた将校たちの食生活の方がよほど身近なのである*6。だが、そうした「普通の生活」と「戦争」との結びつきが、今度はひどく遠いものに感じてしまうわけだ。
 その時、参加者の大学生たちから叫び声が上がった。「ゲジゲジだ!」見ると、コンクリートの壁面に、巨大なゲジゲジがへばりついている。「あそこにも!」最初は気が付かなかったのだが、ゲジゲジはあちこちにいた。しかもみなばかでかい。学生達はちょっとした大騒ぎである。保存の会の方がそれを見てからかった。「あはは、大丈夫大丈夫、背中に落ちてきた、ていう話はまだ聞かないから。」地下壕の中に笑い声が響いた。
 ところで、このゲジゲジは、今後人類が死滅した後もこの堅固な地下壕で生き残るのかもしれない。あるいは、これは『漂流教室』に登場するあの未来人、今の人類が死滅した後に荒野を這い回る未来人なのかもしれない……と、少しありきたりなことを想像してみた。ひょっとしてこのゲジゲジの名前は、「フランツ」ではないだろうか。戦争遺跡の壁で暗闇の中に一生を終える無数のフランツたちは、弱々しい懐中電灯の光に照らされてじっと動かなかった。

フランツ・フォン・ゲルラッハ

天井の覆面の住人たちに告げる。天井の覆面の住人たちよ。君たちは欺かれているのだ。二十億の偽りの証人。同時に二十億の偽りの証言だ。人間の訴えをききたまえ。「われわれは、自分の行為に裏切られた。言葉と愚劣な人生とに、してやられたのだ。

 慶應義塾のグランドで「自由を我らに」を歌った1921年生まれの永戸太喜雄氏が、その後学徒出陣をしたのか、そしてどのような戦争体験をしたのか、を私は知らない。私が知っているのは、氏がその後フランス文学者となり、人文書院サルトル全集の中に翻訳者として名を連ねている、ということである。氏が訳したサルトルの作品の中に、戯曲『アルトナの幽閉者』がある。1959年に発表されたこの作品は、「戦争」と「責任」というテーマを深く掘り下げたものであるが、この作品におけるもう一つのテーマは、「閉じこもる/こめる」こと、である。
 戯曲『アルトナの幽閉者』は、1959年9月23日に、パリで初演された。第2次大戦を扱ったこの戯曲でサルトルが訴えたかったのは、実はアルジェリア戦争の問題だった。当時、アルジェリア戦争でひどい拷問を行わさせられた兵士が帰国後失語症に陥ってしまうということがあった。この戯曲の主人公も、戦争中の自分の行為が心の傷となっている男である。
 舞台は、1959年のドイツである。大造船会社社長ゲルラッハの長男フランツは、父親の会社を受け継ぐはずだったのだが、13年前自殺したとされていた。ところが、実は彼は生きており、13年間、屋敷の2階の部屋に引きこもって一歩も外に出ない生活を送っていたのである。そして、彼が抱える秘密が次第に明らかになっていく。フランツは、家にかくまったユダヤ人を救うことができずナチスに殺させてしまったということ、そして、戦争中敵兵と疑われてとらえられた農民の拷問を部下の兵士に命令してしまったということが大きな心の傷となって彼は引きこもったのである。彼は部屋の中で、自分にしか見えないカニの化け物に語りかけ、その声を録音している。「来るべき世紀よ。ここにいるのは被告、孤独で異形な私の世紀だ。……私は生きた。生きたのだ。この私、フランツ・フォン・ゲルラッハは、ここで、この部屋で、20世紀を双肩に担った。私は言った。この責任を負うと。今日、そしてまた永遠に。」
 戦争で残虐行為を行った兵士は命令に従っただけであって責任はない、と言えるのか。サルトルは、戦争責任をテーマに、歴史の中での個人の責任、という問題を観客に突きつけた*7
 ところで、フランツの「妄想」の中で、カニの化け物、「天井の覆面の住人」とは、10世紀後の地球に生きる未来人のことなのである。(つづく)

*1:『日本の戦争遺跡』(岩波ジュニア新書)p.23

*2:同書p.12

*3:地下壕には幾つかの入口があるのだが、現在は一カ所を除いてふさがれ、一カ所も普段は鍵がかかっていて入れないようになっている。かつてはそうではなかったので、ここに入り込んでシンナーを吸ったりする若者もいたという。

*4:私はまだ行ったことはないのだが、建設途中で放棄された松代大本営地下壕はもっと生々しいものであるという。

*5:なるほど、ワインを貯蔵するにはうってつけの場所だ。

*6:もっとも私が飲むのはコンビニで買う安ワインだが。ちなみに、七面鳥とワインというのは、「自由を我らに」の国の当たり前の食材である

*7:以上3段落は『図解雑学サルトル』(ナツメ社)よりの引用である。とさりげなく手抜き+内容見本。