まずは、サルトル『ユダヤ人』(岩波新書)のいっせつを しょうかいします。
われわれは、大革命以来、一つの物事にむかう場合、分析的精神を働かせるように、すっかり馴らされてしまっている。ある人物、ある性格を見るのに、まるで、単純な要素に分析出来る化合物か寄石細工であるかのように考え、そのうちの一つの石が、残りの他の石と混り合っても、すこしもその本質が損なわれないと思い込む。従って、反ユダヤ的意見にしても、われわれにとっては、他のどんな分子とでも、すこしも変質することなく化合出来る一分子にすぎないと思われてくるのである。一方では、善良な父親か夫であり、勤勉な市民、洗練された知識人、あるいは博愛主義者であって、しかも、同時に反ユダヤ主義者たり得ると考えるのである。釣道楽だったり、恋を楽しんだり、宗教問題にはごく寛大だったり、中央アフリカの原住民の状態については、すぐれた意見に富んでいたりしながら、しかも、同時に、ユダヤ人を憎悪することが出来ると考えるのである。(……)
意見を持つということも、政府の葡萄酒醸造政策についてでもあったら、まだまだ承認出来ぬこともない。アルジェリアの葡萄酒を、自由に輸入するか否かについては、それぞれの理由も成り立とう。というのも、この場合は、物品の管理についての見解を述べるのだからである。これに反して、直ちに特定の個人を対象とし、その権利を剥奪したり、その生存を脅かしたりしかねぬ一主義を、意見などと呼ぶことは、わたしには出来ない。(……)こうした反ユダヤ主義は、言論の自由の原則によって保証さるべき思想の範疇にははいらないのである。(きょうちょうは いんようしゃ)
このかしょは、
などでも いんようされています。
『ユダヤ人』における、サルトルの はんユダヤしゅぎひはんと、リベラリズムひはんについてろんじた わたしの ろんぶんは こちらです。
http://www.geocities.jp/sartla/ronbun/mahotsukai.html
***
さて。「ことば狩(が)り」ということばがあります。「ことばがり」という このことばが、むかしから だいきらいです。もし わたしが「ことば かりゅうど」だったら、この「ことばがり」ということばを まっさきに狩(か)ってやりたいですね。
「ことばがり」だといわれているものの ほとんどは、じっさいは「さべつがり」でしかありません。さべつは、わるいものなのですから、くじょするのが とうぜんではありませんか。ところが「さべつがり=さべつのくじょ」にはんたいしたり、どうやら さべつよりも はんさべつのほうがきらい らしいひとが たくさんいます。これはつまりは、じぶんじしんさべつしゃで さべつだいすきなひとであるか、さべつしゃにとってまったくつごうのいいひとってことで、つまりは さべつの味方(みかた)です。そんなはずかしいことを じしょうするのが はばかられるのか、かれらは、まるで「じぶんは ことばがりのひがいしゃです」と、ひがいしゃぶるのです。あるいは「げんろんのじゆうが おびやかされている」とかなんとか いうのです。て、あんたの ようごしてるそれ、「げんろんのじゆう」じゃなくて、「さべつするじゆう」ですから。いやもちろん さべつするじゆう だって ありますよ。でもおなじく、さべつを狩るじゆうも あるのです。ざんねんでしたー。
ともかく、なんともこずるい やつらです。そんな おうじょうぎわの わるいやつらは、おとなしく「さべつかりゅうど」に かられてしまいやがれ! と いいたくもなります(←さべつ モヒカンぞく?)
だいたい、「ことばがり」と いうなら、にほんのれきしこそ「ことばがり」のれきしです。あいぬに にほんごを きょうせいし、ちょうせんじんに にほんごを きょうせいし、うちなーんちゅに にほんごを きょうせいし、そして ろうしゃに にほんごをきょうせいしてきました。あいぬごを 狩り、ちょうせんごを 狩り、うちなーぐちを 狩り、にほんしゅわを 狩ってきた。「にほんご」の れきしとは、そうした「ちにうえたけもの」のれきし です。なにが「ことばがりだ〜 こわいよお」でしょうか。なに ひがいしゃ ぶってんでしょうか。
山本おさむ『わが指のオーケストラ』
山本おさむ『天上の弦』
さいきんは、「よみにくいで厨*1」たちによる、「ひらがなブログがり」という「ことばがり」も、さかんです。やっぱりそこでも、「かんじが狩られる〜 こわいよ〜」と ひがいしゃ ぶっているひとが います。
いかは、はてなハイクに せんじつ とうこうした ぶんしょうですが、さいろくします。
ひとのブログだけど、やねごんさんのブログ
http://h.hatena.ne.jp/sarutora/9236554358600132331
http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20091127#p1
のコメントらんhttp://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/lever_building/20091127%23p1
みてたら「読みにくいで厨」がわらわらとわいていて、ほんとむかつくっていうか精神衛生上悪い。
あぜんとしたのは、「車椅子のスロープつくるからって階段をとりはずすのか」とかいってるひとが…。おいおい、かながきのブログがたった一個あるってことが、なんで「階段をとりはずす」になるんだよ。たとえば、何千万とある駅のなかのたった一駅にエレベーターがついたとして、「たいへんだ!駅の階段がなくなってしまう!」て大騒ぎしてるようなもんで、大丈夫ですか?てなもんだけど、まさしく、読みにくいで厨をあそこまでかりたてているのがマジョリティの恐怖症であることがあらわになってるよなあ。
「ひらがなの国にいけ」とかいってるひともいたけどさ、ほんと、ひらがなの国がクーデターおこしてニポン征服して、漢字廃止するといいなあ…。そのときそのひとが、漢字保存闘争とかはじめたら、応援してもいいけどさ。でも、そういってる人にかぎって、ひらがなの国がニポンを支配しているパラレルワールドのはてなでは、漢字ブログに「かんじをつかっていてよみにくい」「よむきがしない」とかブコメ書いてると思うよ。ぜったい。
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*1:わたしが つくった ことばで、やねごんさんの ひらがなブログに わざわざ「よみにくい」「よみにくい」と くじょう?のコメントを かきにいく ひとたち(これが ものすごく たくさん いるのですね)のことです。