演技をしていない演技(再録)

2002/08/20 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/0208.html
たまたまテレビで外国人むけの日本語講座を見たのですが、日常の会話を題材にしたスキットを演じている日本人の役者さんのセリフ回しが、妙に芝居がかっているので、なんか変だな、と感じました。アパートの管理人とか、店員のいいそうなセリフが例文となっていて、役者さんはそれをしゃべっているのですが、うーん、本物の管理人とか、店員は、あんなしゃべり方はしないのではないだろうか。なんか、ドラマに出てくる管理人とか店員のようでした。本物のネイティブ・じゃぱにーず・すぴーかーは、赤の他人と話すときは、あんなに堂々とおちついたしゃべり方はしないんじゃない?もっと声がうわずって一本調子だろうし、表情もあんなに豊かではなく、もっとはりついたような笑顔だったりすると思う。というわけで、現実と違うんだから、参考にならないんじゃないか? と思った。日本人の役者さんは、「役者の演技としては」あれでいいのかもしれないけど、「外国人むけのモデルとしては」むしろドラマ風の演技をしない方がいいのではないか、とも思いました。そう、つまり、演技をしていないという演技をするべきではないか。……そんなまどろっこしいことをするなら、そのものずばり、素人の本物の管理人、店員を使えばいいじゃないかって? それで、すぐにわかったのですが、そうですね、あまりにリアルだと、結局、日本語になれていない人には聞き取りずらくなってしまいます。つまり、スキットの演技が大げさなのは、別にドラマ風にしようとしているわけではなくて、聞き取りやすいようにわかりやすく発音している、ということですね。だからかえってネイティブ・じゃぱにーず・すぴーかーには不自然に聞こえてしまうと。そう考えると当たり前の話になっちゃいます。
しかし、「演技をしていない演技」というのは、前から気になっている面白いテーマです。それで思い出すのは、あれですね。中川家の弟。大阪のおばちゃんとか、駅員とかのネタはめちゃくちゃ面白いのですが、あれは要するに、「演技していない人をうまく演じている」からおもしろいんですよね(まあ、ある意味でイッセー尾形がとっくの昔にやってるとも言えるのですが)。そう考えると、いまさら言うまでもないですが、演技のうまい下手というのは、必ずしもリアルであるかどうかとは関係ないわけですよね。中川家の弟が普通の意味の(ドラマなどにおける)演技がうまいかどうかはわからない。もちろん、あまりに演技らしい演技、というのは、おおげさな演技として、下手とされるのでしょうが、逆に、あまりに演技らしくない演技というのは、「演技していない」との区別がなくなってしまうわけで、(ドラマなどにおける)演技としてはやはりよろしくない、ということになるのではないでしょうか。ほんとは、演技していない演技ができる、というのは、最も高度な演技力なのかもしれないですけどね。最高の演技は演技ではなくなってしまう、というのはパラドックスかもしれないですね。まあサルトル的に言えば、カフェのボーイはカフェのボーイであることを演じているんだから、中川家の弟は、「大阪のおばちゃんであることを演じている大阪のおばちゃんを演じている」、てことになりますね。
ところで、「演技している演技」というのはどうでしょうか。ホントは演技をしていないのだけど、まるで演技をしているかのように振る舞っている。これまた、パラドックスってことになるのでしょうが、面白いテーマなのです。これで思い出すのは、昔タモリがやっていた、アングラ芝居のマネ、というネタでしょうか。あれはつまり、演技しているところを演じていたわけですね。
まあ、「演技している演技」は、「劇中劇」がある芝居では普通に出てはくるのですが。すぐ思いつくのは、チェーホフの『かもめ』と、サルトルの『キーン ――狂気と天才――』ですね。どっちも、舞台上の舞台の芝居が、舞台上の観客のチャチャによって中断するシーンがあるのですが、そこで役者は、「演技している演技」と「演技していない演技」を両方やらなくてはならないわけで、難しいと思います。ちなみに、劇中「劇中劇」があったとしたら、「Aを演じているBを演じているC」の演技、劇中「劇中『劇中劇』」があったとしたら、「Aを演じているBを演じているCを演じているD」の演技が必要になります……。しかし、演技というものは、そもそもそういう底なし沼的な側面、というか合わせ鏡的側面をもっているわけで、そこが面白いところです。その辺はちょっとここで詳しく論じる余裕はないのですが、さてサルトルは、そういう演技の底なし沼的な側面を『キーン』という芝居でちゃんと描いていて、そこはこの芝居で私が一番好きな場面です(第一幕第一場第三景)。

伯爵[注:駐英デンマーク大使] ヨーロッパの王侯たちとは、明日までおわかれ。今宵わたしがお相手するのはただ一人の王妃。〔かれはアミィの手に接吻する〕
アミィ[注:別の伯爵の妻] あなたのお言葉が信じられないのは、ほんとに残念だこと!
伯爵 どうして信じていただけないのです?
アミィ 外交官というものを知っているからですわ。白といえば、黒を考える。
伯爵 では黒と申しあげましょう。ええ、伯爵夫人、あなたのローブは仕立てが悪く、見られたものではありませんよ。〔かれは笑う〕
アミィ あなたがそう思っていらっしゃらないという証拠があるでしょうか?
伯爵〔あっけに取られて〕 これはこれは、伯爵夫人……
アミィ かりにもし、あたくしがおそろしくみにくい女だとしても、あなたはやはりその手をお使いになるにちがいありませんわ。相手が外交官だからというあたくしの警戒の念を利用して、あなたはありのままの真実をおっしゃるでしょう。あなたが嘘をついているとあたくしに信じ込ませるために。それが裏返しの外交術というものですわ。
エレナ[注:伯爵の妻] ええ、でもかりにもし、あたくしがやきもちやきで、このひとがあたくしに疑惑の念を起こさせないであなたにお世辞をいおうとするとする、と仮定してみましょう。この人はあたくしたちの無邪気さの度合いを計算の上で、ものをいうにちがいありませんわ。あなたに向かってみにくい女だといいながら、あなたには嘘をついているのだと信じこませ、あたくしには真実をいっていると思いこませるでしょう。これが二重に裏返した外交術よ。
アミィ 三重に裏返せばこうなるわ。かりにもし、このかたがあなたを浮気女だと思いこみ、あなたの嫉妬心を刺激しようと考えている、と仮定してみましょう。あたくしがこのかたのお気に召さないことを、このかたはあなたに悟らせようとしているのだ――あなたがそんなふうに考えるように仕向けるために、このかたはあたくしをみにくい女だとおっしゃるにちがいないわ。四重に裏返せば……
伯爵 さあさあ、もうそのへんでご勘弁を。外交というものは、なにもそれほど複雑なものじゃありません。そんなに裏の裏を考えなきゃならないとすると、ご婦人を外交官に任命するより仕方がなくなりますな。
アミィ いかが、伯爵、あたくし、美人でしょうか?
伯爵 もうどう申しあげてよろしいやら……
アミィ うまくお逃げになりましたこと。あたくし、あなたの沈黙を信じます。
鈴木力衛訳)