ニポンにはドトールがある!

先日夜、NHKで、パリの有名なカフェ、フロールで働く日本人のギャルソン(ボーイ) 山下哲也さんについての番組を見ました。フロールは、一時サルトルボーヴォワールが入り浸っていたことでも有名です。番組ではサルトルのことも出てきました。かつてのオーナーは、「サルトルはコーヒー一杯で粘りやがって最悪の客だ」と言っていたそうです。ところが、今はフロールはサルトルの名声を利用していて、メニューに、サルトルの言葉が刷ってあるそうです。
さて、サルトルの『存在と無』にはカフェのボーイも出てきます。

ここにいるカフェのボーイを考えてみよう。〔……〕彼はその歩き方の中で、何かしらロボットのようなぎこちない几帳面さをまねようとしながら、軽業師のような身軽さでお盆を運んでくる。〔……〕彼のあらゆる行為は、われわれにはまるでゲームのように見える。彼は自分の運動を、たがいに働きあって回転するメカニズムのように、つぎからつぎへと結びあわせようとして、一心になっている。彼の表情や声までがメカニズムのように思われる〔……〕彼は演じている。彼は戯れている。しかし、一体何を演じているのであろうか? それを理解するには、別に長くボーイを観察する必要はない。彼はカフェのボーイであることを演じているのである(EN:98-9)。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/ronbun/machine.html

というやつです。でも、今回はサルトルの哲学の話はしません。
番組を見て初めて知ったのですが、フロールでは、ギャルソンになれるのは「右利きのフランス人に限る」という決まりがあったそうなのです。山下さんは、常勤のギャルソンとして初めてこの決まりを破った外国人なのだそうです。
とうわけで、土俵じゃあるまいし、ずいぶんな差別的採用規定が現在でもまかり通っているとは、おパリのど真ん中といってもやっぱりそんなもんすね、と皮肉の一つもいいたくなります。もちろん「男性に限る」というのは、決まりとして明文化されるまでもなく(まあギャルソンていう名前からしてそうなわけですが)当然のことなのでしょう。
↓2005年におパリに行ったとき撮影したフロールの写真です。