ベルグソンとソレル


週末の読書会用に大杉栄の「ベルグソンとソレル」を転載します。この読書会、前回はソレル、今回はベルクソンなので、ぴったりですね(笑)。底本は、『ザ・大杉栄大杉栄全一冊─』(第三書館、1986)です。この本(旧字旧かなで収録)をスキャンしてOCRにかけ、私が新字新かなに直しました。現代思潮社の選集(新字新かな)に収録されているものと多少異同があるかもしれません。〔 〕内は私のつけた注です。
参考

以下転載
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ベルグソンとソレル(1915年)
大杉栄

一 ベルグソンとソレル

 二三年前から引続いて、日本の一般学術思想界殊に経済学会と文壇思想界とに、一種の流行ともいう事が出来るほど、多大の注意を喚びもしくは多大の影響を及ぼした二つの学説がある。その一つは、最初は文壇思想界を風靡して、後には経済学会にまでその影響を及ぼした、ベルグソンのいわゆる創造的進化論である。他の一つは、最初は経済学会に盛んに論議されて、後には文壇思想界にまで研究心を煽り立てた、ソレルのいわゆるセンディカリスム〔=サンディカリスム〕である。この二つの学説が、ほとんど同時に日本の学術思想界の一般的問題となり、そしてその何れも、従来は全く縁故の切れていた経済学界と文壇思想界とに、その流行の一致を見たという事は、興味深い現象である。そしてこの一致は、更らにこの二つの学説の密接な関係によって、一層興味深いものとなる。なおこの二つの学説が、経済学界と文壇思想界との各々に、どんな態度を以て取扱われたかという事は、経済学者と文壇批評家とのこれまた興味深い比較論となる。
 しかし僕が今ここに説きたいと思うのは、それ等の興味の中の一つである、この二つの学説の間の密接な関係についてである。そしてこれは、『早稲田文学』四月号所載「個人主義者と政治運動」、「労働運動とプラグマティズム」及び「労働運動と個人主義」と相呼応するものとなる。もっともこの最初の一篇は論集『社会的個人主義』の中にも収めてあるが、そこではその大部分を抹殺されて、他の諸篇との関係を失ってしまった。「労働運動とプラグマテイズム」は、最近哲学界の二大潮流たる主理派と主行派との関係、及びこの二大潮流と最近労働運動との関係を論じて、労働者の思索と行爲との方法論の上に、多少の暗示を与えたものである。また「労働運動と個人主義」は、労働者のプラグマティカルな運動方法の一例として、まず労働者自身の生活の中に個人主義的の個人的及び社会的創造が成り、そしてそこから彼等の個人主義的思想の湧いて来た事を説いたものである。かくの如く、労働者自身の哲学と近代哲学との関係を誘き来った僕は、更にこの一文によって、労働者ではない労働運動の一理論家ソレルの思想と、その態度とに論及して見たいと思う。

二 ソレルとセンディカリスム

 ソレルは、一般の世間から、センディカリスムの理論的代表者であるかの如く見られている。しかしこの世評は余程割引をされなければならない。
 元来センディカリスムの理論は、先きの諸論文にもしばしば言った如く、労働者がそのより善く生きんとする強烈なる生活本能から、周囲との日々の難戦苦闘を経つつ、自分自身の裡に創造し体現し来ったものである。そしてこの多くの創造を、更に理論的に発達せしめ、組織せしめる事に与ったものの間に、相異なれる二つの群がある。その一つはたとえばベルテイエ(Pelloutie)、プウジエ(Peuget)、グリフユウル(Griffuelhes)、ドルザル(Delesalle)、ニエル(Niel)、イヴトオ(Yvetot)等の如く、自ら労働階級に属し、もしくは全く自らを労働者と同一視して、彼の創造の先頭に立った人々である。他の一つは、たとえばソレル(Sorel)、ラガルデル(Lagardelle)、ベルト(Berth)等の如く、全く彼の創造の外にあって、それに社会学的及び哲学的基礎とを与えんとした人人である。この後の群の人々はマルクス派の正統派社会主義に対して、ベルンスタインの一派を改良的修正派と称し、自らの派を革命的修正派もしくは新派と称している。そしてソレルは、この新派中の、最も著名なる且つ最も深奥なる思想家である。
 センディカリスムの研究には、あらかじめまず、センディカリスムそのもののこの性質と、及びその理論家のこの二つの群との事を常に記憶して置かなければならない。
 一切の民衆運動の研究は、運動そのものについての研究、従ってその民衆の憧憬と要求とについての研究が、最も肝要なのである。往々僕らは、アメリカの諸大学の社会学研究室から、日本における労働運動のチラシ、其他新聞、雑誌等の寄贈を求められる。労働者の憧憬や要求を知るには、実にこれ等の区々たる紙きれを蒐集する事が、最も便利な且つ最も有効な方法である。僕らはかつてこの事を日本の社会学者文学博士建部逐吾氏に試みた。或日四五人の同志と共に、ふと電車の中で博士と乗り合はした。そしてわざわざ博士の前へまかり出て「×××××××」と言いながら、その一枚を進呈しようとした。然るに博士は、横すっぽを向いたまま顧みようともしなかった。
 建部博士のこの態度は、日本のほとんどあらゆる学者の態度であるのみならす、なお欧米各国の多くの学者の態度である。彼らのセンディカリスムの研究は、ほとんど皆な、ただ先きに言った後の群の、いわゆる知識者の言説の研究である。主理論の弊害が骨髄にまで浸み渡っている彼らは、ただ講論の組識にのみ重きを置き、従って組織立った議論の外は議論として受け入れない。そして彼らは、それらのいわゆる言説を組織立たしめた材料の中の、労働者の全的生活の上の創造に係るものと、及びいわゆる理論家の頭の中での理屈のこね廻はしに係るものとを、区別する事を知らない。よし多少の区別をしても、この二つの材料の実際の前後と軽重とを傾倒する。かくして学者のセンディカリスム研究は、主としてこの研究の対象と方法とを誤った所から、多くは皆な、労働者側から見れば全く無理解に陥り、民衆運動の研究というその本来の目的から見れば無駄な饒舌に過ぎなくなる。
 ソレルは、この誤謬からセンディカリスムの父、もしくは理論的代表者というような称呼を受ける事になったのだ。即ちソレル及び其他の新派の知識者が、××××××××××、その思想を仏国労働者団体の多少の部分に鼓吹したのだという、全く反対の結論を導いたのだ。そしてこの見解は、先頃日本にもその翻訳の出た、ゾンバルトの「社会主義及び社会運動」あたりから広まったものである。
 然るに新派の知識者自らは、却ってこの誤まれる名誉を拒絶している。ラガルデルは幾度か操返して、センディカリスムが労働運動の経験から生れ、労働者自身によって造り上げられたものである事を説いている。ソレルもまた、労働者が彼から学んだよりも、彼自身が労働者から学んだ事の多い事を述べている。彼らは実に、労働運動の代弁者とすらも言える資格はないのだ。彼らはただ、労働運動を外から眺めてそれによって彼らの思想を刺戟されたというに過ぎないのだ。彼らはこの労働運動の中に、社会主義思想を修正せしむるに足る全く独創的なある力を見出して、それについての彼らの思想を発表したに過ぎないのだ。かつて彼らは何らこの実際運動に加わった事もない。従って彼らは自らをその代弁者であるなどと感じ得られようはずがないのだ。
 ベルグソンとソレルとの関係を説く前に、少しの間でもソレルがセンディカリスムの代表者であるなどという誤解のないように、兎も角もこれだけの事を言っておく。

三 ソレルの思想

 ソレルは一八四七年十一月二日、フランスのシェルブウルに生まれ、やがてパリの技師養成所なる百芸学校に入り、四十六歳にして技師長の職を辞し、爾来社会学の研究に耽った。彼自身が一九〇七年にその名著『暴力論』(英訳。Reflexion on the Violence)の序文にいう所に拠れば、彼は「大学教授でもない。通俗学者でもない、また政党の首領たらんとするものでもない。」彼は「独学者で、他人に自分のノオトを見せて、その人の自己教育のために役立てるのだ。」
 ソレルは実に、社会科学においては、全くの独学者である。そしてこの独学という事が、彼自身の大なる誇りであり、且つ他人にもこの誇りを分たせようとした。彼はなお続いていう。「二十年の間私は、他人から教えられて覚えている事から、自らを解放する事に努めた。私は有らゆる書物の間に私の好奇心を走らせた。しかしそれは、何事かを覚えるためよりも、むしろいろいろと覚えこまされている思想から、私の記憶を洗い清めるためであった。私が本当に物事を覚えようと努めたのは、この十五年ほど以来の事である。けれども私は、私の知りたいと思う事を教えてくれる人を、見つけ出す事が出来なかった。自分が自分の先生となって、自分が自分自身のために学課を授けなければならなかった。私はノオトを作って、思い浮ぶままに、私の思索を書き留めた。同じ問題の上に三度も四度も帰り、あるいは何処までもその問題を追うて行ったり、あるいはまた時として至く別問題に移ったりもした。そして私は、最近の読書から暗示された蓄えの尽きた所で私の筆をとめた。これは非常に骨の折れる仕事であった。で私は、兎角に好んで、名家の著書を討究の題目に選んだ。かくして私は、自分だけの力でやらなければならぬ場合よりも、やすやすと進んで行く事が出来た。」
 ソレルが自らを語ったこの言葉は、実に彼の思想と著書との性質を明かに告白したものである。彼の著書のほとんどすべては、プルウドン、ルナン、ニイチェ、マルクスベルグソン等の名著の中から抜き来った文句の数行と、それに対する批評の無秩序な連続である。脱線と脱線との連続である。そしてその間に、彼が何らかの思想をつかまえて来る敏速と、それに多少の新味と独創味とを帯びさせる奇警とを示している。
 ソレルはこれらの諸家からの多大の影響を受けている。しかし彼の思想の根抵を築き上げたものは、実にマルクスとプルウドンの著書、及び当時ようやく勃与せんとしていたセンディカリスムの運動であった。彼は、十九世紀の資本家制度勃興のイギリスの経済事情と労働運動とを論拠としたマルクスの著書を、更に二十世紀の資本家制度爛熟のフランスの経済事情と労働運動との事実によって修正せんとした。そしてこの修正の中にマルクスの真精神を認め、その理論的是認をプルウドンに求めた。
 加うるにソレルは、フランスでも第一流の数学者であった。そして数学者がその非凡なる分析的能力によって、従来の科学と論理とに反逆を試みるのは、フランスではプワンカレによっても見られる如く、しばしばある事である。その極、多くの数学者または物理化学者は、兎角に純粋形而上学に走る。ソレルもまたその一人であった。実証論、主知論、主理論等の種々なる名の下に呼ばれる近代のいわゆる科学的方法は、彼の社会学的研究の上の、むしろ仇敵であった。彼は近代哲学の一潮流たる実際論、本能論、主行論等に傾いて、益々神秘の奥深くへ入って行った。そして彼は、ベルグソンの心理学の中に、借りて以て彼自身の社会学を説明すべき、便利なる定式を見出したのであった。
 即ちソレルは、マルクスから出発して、遂にベルグソンと結びついたのだ。かくして彼は、彼独自の観察からマルクスを批評しつつ、到る処にベルグソンの抽象的所論を具体的に応用している。
 そこで僕は、僕らの有する極めて狭い言論の自由の範囲内においてようやく、ベルグソンとソレルとの関係を説く事の出来る順序に達した。

四 ベルグソン哲学とセンディカリスム

 ソレルとヘルグソンとの関係は、これを一言にすれば、京都大学講師米田庄太郎氏の次ぎの如き叙述となる。この米田氏は、慶応義塾大学教授法学博士福田徳三氏と共に、日本における最も篤学なセンディカリスム研究者である。二氏は共にその従来発表した文章のみによって見れば、先きに言った研究方法の上に多少の誤謬があるように見えるが、しかし他の何々博士や何々学士のセンディカリスム論がほとんど三文の価値がないのに較べれば、全く卓絶している。
 米田氏はいう。
「さてベルグソン氏の哲学を応用して、革命的サンヂカリズムの主張を哲学的に解説せんとする企ては、ソレル氏及びその門下生ベルト氏によって起されたものである。それよリベルグソンの哲学思想は革命的サンヂカリズムの主張者の間に蔓延して、ベルグソン哲学と革命的サンヂカリズムとの間には甚だ親密なる関係が存する如き感じを世人に与え、更にベルグソン氏自身も革命的サンヂカリズムの主張者の一人であるとの風評さえ、世に伝わったのである。同氏はこれがために大に迷惑を感じて、種々の機会を捕えてその弁解に努められている。元来大思想家の思想は種々の方面、しかも互いに相矛盾せる学説にすら応用され得るもので、……革命的サンヂカリズムの論者がベルグソン氏の哲学を応用したればとて、直ちに同氏の哲学がそれと親密なる関係を有するものと思考するのは穏当でない。現にルロア氏の如きは、ベルグソン哲学をカトリック教神学の弁証に応用せんとしているのである。しかし余は、ベルグソン氏の哲学が一種の革命的色彩もしくは調子を帯びている所から、革命的サンヂカリズムの如きものには殊に応用され易いと考えるのである。また余は余の社会学的見地から攻究すれば、哲学界におけるベルグソン哲学の出現と、社会学運動会における革命的サンヂカリズムの出現との間に微妙深奥なる関係があると信じているものである。」
 米田氏は、この「徴妙深奥なる関係」について殆ど説いていない。これを論ずるには、現代哲学界の傾向と現代社会運動界の傾向との、まずその一般史を述べて、次ぎにその間の類縁を説き、最後にこの類縁の原因を現代社会史の中に求めなければならぬ事となる。そしてこの事は、ベルグソン哲学が何故に我が日本の思想界にまでも風靡し来ったかの、最も根本的な説明にもなるのである。哲学は一種の流行である。従ってその流行には多くの浮薄分子をも含む。しかしその流行の奥には、いわゆる群集心理的現象の奥には、多くの場合に既に根本的のある社会的要求が含まれているものである。この要求については、先きにも言った「労働運動とプラグマテイズム」の中に多少の暗示があるはずである。
 けれども僕の今ここに説こうとするのは、米田氏と同じく「ソレル氏はベルグソン氏の哲学の中から、特に如何なる原理を採って、これを自説に応用したかという問題である。」しかもこの問題については、幸ひに、ベルグソン自身が、ドイツの社会学者ユウリウス・ゴルトシユタインに送った手紙の中に、次ぎの如く言っているという。
 「貴下もしソレル氏及びベルト氏の著作論文を閲読せられんには、この二氏が、変化の一般性、真実持続における変化の不分割性、将来の創始性及びその予見すべからざる事等に関する余の思想を、全く余の述べし言葉のままに引用し、而してこれよりして過去の断片を以て先天的に将来を構成せんとする事の不可能なるを論結せられたるを認めらるるであろう。……」
 (この項の引用句はすべて明治四十五年七月一日発行『京都法学会雑誌』第七巻第七号所載、米田氏の「革命的サンチカリズムと現代生活」に拠る。)

五 ベルグソンの自我説

 ベルグソンの自我説は、その著『意識の直接与件』の中の、次ぎの如き言葉を以てその神髄とする。
 「二つの違った我がある。その一は他の外的投影、また言わば社会的表現のようなものだ。吾々は深い反省によってこの第一の我に到達する。即ちこの反省が吾々の内的諸状態をつかまえさせる。そしてこの内的諸状態とは、生物の如く、絶えず形式の途にある、秤にかける事の出来ない、互いに融和し合っている、そしてその持続的継承が同質的空間の中の並置とは何ら共通する所のないものである。けれどもかくして吾々は、吾々自身をつかまえる瞬間が減多になく、そしてまた、この故に吾々は滅多に自由でないのである。吾々は大部分の時間を吾々自身とは外的に生活している。吾々は、吾々の自我を、その色あせた幻影のみしか、純粋持続が同質的空間の中に投ずる影のみしか、認める事が出来ない。されば吾々の生存は時間の中よりもむしろ空間の中に展舒されているのだ。吾々は吾々自身のためよりもむしろ外的世界のために生活している。吾々自身が考えるよりも余計に考える。吾々自身が行動するよりも余計に行動する。自由に行動するとは、自己を所有する事である。純粋持続の中に拠る事である。」
 更に言葉を換えて言えば、ベルグソンは生活の二方法に当る知識の二方法に、根本的差異を設けている。即ち吾々はまず全く社会的に生活する。吾々は自然を征服し利用し、また吾々を吾々の周囲に適応させなければならない。これは理知の仕事である。理知はまず実際生活の必要に応ずるために、言語と科学とを創り出した。しかしこの理知は、その活動のために、必要な人為的周囲以外の事を、本当に知識する事が出来ない。この自然科学及ぴ社会科学的範囲が吾々の皮相的自我の範囲である。そこでは、時間が空間の一形式のようにしか見えない。そこには、抽象的言語や、推論的科学や、厳密な決定論が支配する。そこにはまた、原子説や、観念の機械的連想や、当代イギリスの心理学者などの唱える分析的心理学が支配する。
 けれどもこの空間的自我よりももっと奥深く、本当の自我、個人的の、可動的の、生きた自我がある。皮相的自我を知る方法ではつかまえる事の出来ない、吾々各自の互いに交通する事の出来ない実在がある。これが、純粋持続の中にのみ生きている、本当の自我なのだ。純粋持続の中では、何ものも互いに並置されているのでなく、常に互いに相融合している。この自我は、固定した諸状態の集団ではなく、ある傾向である。流れである。生きて行きたいという不断の不安である。この自我は、カントの諸範疇の中には容れられ得ない。また理知やその推理的方法によってはつかまえられない。これをつかまえるのは、極めて稀れである、且つ非常な努力を要する。思索そのものの一種の轉?を行はなければならない。この形而上学独自の唯一の知識は、人間の理知よりもむしろ動物の本能に近い、同感である、直覚である。
 かくしてベルグソンは、科学的決定論によって、厳密に予見し得る系統的、機械的の進歩の外に、それと対立する、過去は知れるが将来の全く予見され得ない、生きた自由自在な創造的進化があるという。過去は既に枯死し凝結したものである。従って科学的知識の所有とずる事が出来る。けれどもこの創造的進化は、広がりや量の、また計算や軽量の領域に属するものではない。
 科学と形而上学、理知と直覚、進歩と進化、決定と創造、固定と流動、量と質、これが真我と仮我との二つの自我によって現はれる、相対立する観念である。
 僕は、ベルグソン哲学のも最も首要なしかしまた最も困難なこの部分を、恐らくはベルグソンと親しみのない人には理解せられ得まいと恐れながらも、兎も角も出来るだけの忠実を以てここに訳補した。しかしこの意義は、ベルグソン自身のいうが如く、抽象的言語によっては全く説明する事の出来ないものであるのだから、ベルグソンの言葉そのままを借りて来た僕のこの極めて忠実な説明も、要するに理知的には無駄な事であるのかも知れない。けれども、せめてこれだけの事は言って置かないと、真我と仮我との大体の区別も分らず、従ってまた次ぎのソレルの所説を述べる便宜を失ってしまう。

六 ソレルの社会説

 ベルグソンは、この自我説を以て、心理学の改革を企てた。そしてソレルは、この自我説を社会学と経済学とに応用したのであった。しかしソレルは、決してベルグソンのディシプル、即ち祖述者ではない。彼はベルグソンの哲学の発表される以前から、その独自の社会学的及び経済学的の見解を持っていたのだ。そして彼はただ、その見解を説明する便宜のために、当時流行のベルグソンの言藁を借りたのだ。即ちソレルは、真我と仮我との対立を、生きた我と機械的我との対立を、経済学においては生産と交換との対立に、社会学においては神話と理想郷(Utopia)との対立に、政治学においては全的革命と合法的改良との対立に、そしてまた社会主義と民主主義との対立に、その類縁を見出したのだ。
 生物に内的我とその空間的投影とがある如く、社会においてもまた、「生きた有機体」である生産と、その使用する「機械的装置」とがある。生産はその社会の本当の基礎であり、それに拠ってその社会におけるある階級の司法的感情が確立され、その社会の現存諸制度の正不正が判断される。生産は、社会の内的我である、真我である。そしてその社会の憲法や、立法や、行政や、及び司法やの装置は、すべて仮我である。経済界においては、この機械的装置が、主として生産物の循環、即ち交換となって現はれる。交換は生産そのものに触れない。したがってこの交換は、継承的装置の方法によって、こまごまと改善することが出来る。何となれば、この交換は、機械的無機的、原子的の空間領域にある仮我であり、そして仮我は分割され得るものである。従って分割的に改良され得る。
 そこで改良的の民主主義及び社会主義的政治は、漸進的改良の方法によって交換の組織を改善しようとする。かくしてその政治は、何らの危険をも伴わず、却って現存の生産組織を堅固にする事となる。「紳士閥〔=ブルジョア〕社会における改良は、私有財産制度の肯定である。」そしてこの言葉はまた、憲法や、立法や、行政や、司法や、其他生産以外の一切の制度の上にも適用される。
 これに反して、民主主義的政治が、同様の部分的改良の方法によって、生産そのものの改善を企てようとするのは、甚だ危険でもあり、且つ大きな障碍に出遭わなければならない。何となれば、この生産は生きている有機的の時間の領城にある真我であり、そして真我は分割もしくは添加を許さない。
 そこで本当の社会主義経済は、生産の全的改革、全的革命でなけれぱならない。そして、個人の真我の諸相が刻々に新しくなり、その前後の間の全く無関係なるが如く、社会主義的生産の社会もまた、全く新しき道徳と政治との社会となるであらう。心理学におけると同じく史学においてもまた、絶対の始まりがある。キリスト教社会の発生と発達とはその好適例である。キリスト教社会は、それをロオマ社会との間の劃然たる分裂によって、そのすぱらしき発生を途げた。そしてこの成功は、教会がその教政と世俗との間の分裂を維持している間継続され、その分裂のやむと同時に消減した。平民階級の夢想する新社会と、その取って代らんとする紳士閥社会との間も、矢張り同様でなければならぬ。
 然らばこの将来社会の詳細は如何なる状態にあるべきかというに、それを今から想像するのは妄想に過ぎない。何となれば、将来についての予想は、過去と現在との象を型どって、その延長した直線の上に行はれなけれぱならない。然るに将来の本質は、既知の一切のものとは全く異質の、全く新規のものでなけれぱならない。何となれば、吾々は死んだ要素を以て生きたものを再造する事は出来ない。されば社会の将来は、各個人の将来と同じく、予想する事が出来ない。そしてこの将来に決定論や因果論の諸法則を適用せんとするのは、時間を空間の象の下に型どるのと同じ詭弁を弄するものである。「理想郷〔「ユートピアー」のルビ〕」は、あたかも連想論がこの主知的詭弁の心理事的形式であるが如く、その社会的形式である。そして個人の直覚と相当ずるものは、そして群集の集合的努力の原動力となるものは、実に社会的には神話である。
 群集の運動には、あたかも原始キリスト教徒が必すメシアの来たって彼らを天国に導くものと信じたように、必ずその解放が来るものと信じなければならない。この信仰がなければその勝利は求められ得ない。そしてこの「解放の意思」によって、来るべき×××××を心象の形式の下に持っていなければならない。この心象が即ち神話である。
 神話は意思の発想である。事物の記述ではない。その全体のまま実現されなければならぬ不分割性のものである。従ってまた、分割的に批評される事を許さない。然るに理想郷は理知の産物である。現在の社会状態や社会制度の諸事実の、観察と討究とから成る、一社会的典型である。部分的に批評もされ、また実現もされる。更に換言すれば、神話は×××××××。全く新しき社会状態を創造しなければやまぬものである。そして理想郷は現在社会の改善の方法を指示するものである。なおこの神話は、労働者の胸に長も高尚なる、最も深遠なる、且つ最も活動的なる情操を抱かしめ、以て新社会の道徳の萌芽をはぐくむものである。
 以上は、ベルグソンの心理学説と対象せしめた、ソレルの社会学論の大要である。ここにも僕は、再び先きの米田氏の文章によって、少しくソレルの言葉を引用して置きたい。
マルクス説はヘエゲルの理念の論理的範疇を経済的に移したものである。印ち論理的必然を経濟的必然に転化したものである。そして総て人間の感情や信仰はただその附随的のものに過ぎないと見るものである。されば新しき社会は器械的必然的に発言し来るべきもので、吾人はこれに対してただ産婆の役を勤めるに過ぎないものとなる。かくしてマルクス論は一種の宿命的色調を帯び、共の運動は早晩沈滞せざるを得ないものである。果せる哉、今は議会政策に転下して、ただ現状の改良を主眼とする一種の社会改良主義に堕落しつつある。驚嘆すべき偉大なる新社会の信仰は今や彼らの内より消失した。かくて真正なる労働運動は沈衰し、労働者階級はもとの無感覚状態に退歩しつつある。されどかくては労働者の解放は全く不可能の事となる。吾人は更にもとの熱烈なる信仰を新しき形において、新しき生活に復活させねばならぬ。しかもヘエゲルの哲学や、其他すべて唯理主義の哲学によって、この信仰生活の復活を謀る事は、全然不能である。吾人は更に新しき哲学を求めねばならぬ。」
「而して今や幸いに吾人の憧憬に応ずる新しき哲学の進展し来たって、吾人に適当なる根拠を提供しつつあるのである。吾人はこの新哲学によって、益々唯理主義の無能を悟って来た。人心の奥底に触れる新心理学は知力及び理知が生活を支配するのでなく、却ってそれらが能く生活に支配されるものなるを教え、歴史上においてまた現実の社会生活において、非合理的勢力の如何に重要なるかを悟らしめた。吾人は社会主義的社会の実現に吾人を突進せしめる衝動力が、外部的関係から来るものでなく、人心の奥底から発出するものである事、人間それ自身のみが嘆賞すべき将来を産出し得るものである事を、痛切に会得して来た。歴史上の事実に徴して見るに、かの大変動大革命を成就したものは、すべて全心ただ信仰を以て充実した人々であった。真に人間を活動せしむるもの、奮闘せしむるものは、理論でもない、実理的思慮でもない。ただ炎々たる猛火を吐く心象、吾人をして恍惚たらしめる想像、幻想を撚やす惨火である。これ新しき哲学の教ゆる生きたる真理である。」

七 ソレルと労働運動者

 僕はここに再び繰返していう。ソレルの社会学ベルグソンの心理学の単なる類推ではない。彼には、既に社会学の領域における諸事実を根拠とした、その独自の社会学説があったのだ。そして彼はただベルグソンの心理学の中に自説との類縁を見出して、そこにその哲学的発想の便宜を借りたのだ。ベルグソンにしてもしこれに迷惑もしくは不満を感ずるならば、ベルグソンは何よりも先きにこの類縁の虚偽を立証すべきである。もしまたその立証が出来なければ、あるいはこの類縁の真実を認めるならば、その抽象的言説を具体的事実に応用したソレルに厚く感謝すべきはずである。かつてフランスのアンドレ・ショオメエは、ジュルナル・デ・デバ紙上に『創造的進化』を批評した結尾に、ベルグソンが更にその思索を続けて、もしその所説を諸社会科学に応用すれば如何なる実際的結果を斉すかの研究を爲すべきである、という希望を述べた事がある。そしてこのショオメエ一人ののみではない希望が、他人のソレルによって極めて巧妙に成就されたのだ。迷惑どころの沙汰ではない。
 けれども僕は、そのベルグソンの心理学説にも、またソレルの社会説にも、負うところ甚だ多いと共に、決してその全部に敬服するものではない。その何れもの学説の奥底にある精神には甚だ共鳴する所あると共に、その何れもの余りに極端に走った方法と結論とには、むしろ多少の悪感をすらも抱くものである。ベルグソンの事は暫くおく。そして単にソレルについて、僕のこの不満を、この文章の結論的形式の下に少しく説いて置きたい。
 しかし僕のこの不満は、先きに言ったセンディカリスムの理論家の第一の群れによって、また多くのろう同社によって既に十分に現はされている。彼らは極めて少数のたとえばグリフュウルの如きを除けば、ソレルの影響を受ける事もなく、各々その理論的見解において独立の地位を保っている。ソレルのいわゆる神話であるセンディカリスムの運動方法は、彼らにとっては、多年の間幾多の機牲を払いつつ血と骨とを以て築き上げて来た、なまなましい現実である。其日々々の難戦苦闘の間に一歩々々、必要に応じては創り出して来た、最も堅実なる彼ら自身の生活である。彼らは彼ら自身のこの創造に信頼を置かざるを得ない。確信を抱かざるを得ない。そしてこの信頼や確信には、神話というが如き、何らの神秘的要素をも要しないのである。彼らはただ、その強烈なる生活本能の下に、有らゆる障碍と当面し衝突し来った結果、その最善の勝利方法を獲得して来たのである。彼らの最後の××××たる×××××も、一工場の××××、数工場の××××、一地方の×××××、全国の××××××というが如く、漸次その獲得を集積し来った、最後の決定的結論である。従って彼らはまた、彼らの一運動方法たるサボタアジュに対して、ソレルらが極力反対し批難せるにもかかわらず、遂にその確信にいささかの動揺をも示さなかった。
 彼らは実に信者の如く行為する。疾風の如くに突進する。しかしまた、彼らは実に懐疑者の如くに思索する。彼らはその運動方法について、神話というが如き名目の下に、かつてその討論を避けた事はない。将来の新社会についてもまた、妄想というが如き名目の下に、かつてその討論を避けた事はない。却って彼らは、既に彼らの間に個人的及び社会的創造の基礎が確立した時、熱心にこの討究に耽ったのである。そして近頃この種の議論のほとんど消滅したのは、その将来を不可解の予想すべからざるものとしたのではなく、ただあらかじめ一定の設計図を作らずとも、彼ら自身の創造の蓄積による十分なる確信が出来たからである。
 彼らの頼むところは、ただ彼ら自身が創り上げて来た、彼らの力である。彼らの生活である。そして彼らはこの現実の上に立脚しつつ、漸次にその理想をつくって行く。彼らは、ソレルの如く、まず理想から現実に、抽象から具体に降るのではない。従ってその昇り行く現実と理想との間に、具体と抽象との間に、何らの神秘的要素をも容れない。
 かくの如き思想と感情との乖離は、途にソレル等の知識者と他の手工者との、絶対的分裂を来たさしめた。即ちソレルは、一九一〇年十二月、イタリイのセンディカリスト大会に招待せらるるや、次ぎの如き一書を送って、労働運動との絶縁を宣言した。
「暴力論の著者には、センディカリスムがその期待せられた事を実現しなかったように思える。もっともなお多くの人々は、将来が目下の弊害を矯正すべきことを期待している。けれども著者は、既に遠い希望に生くべく、余りに年老いた。そして彼は、フランスの教養ある青年と密接な関係のある他の諸問題の攻究に、その余生を送る事に決心した。」
 そしてこのソレルの退隠は、彼の及ぼした多少の神秘的影響を一掃し去ったほかに、何らの影響をセンディカリスムの理論にも運動にも及ぼさなかった。
 けれども僕はまた、ソレルの社会主義史上における大功績を記さずにこの一篇を終る事は出来ない。先きにも言った如く、彼は生産を以て社会の真自我であると見做した所に、その社会学においては一面において全くマルクスの物質的史観から出発したかの観がある。けれどもソレルの物質的史観論は、マルクス及びその多くの祖述者のそれの如き、全くの宿命論ではなかった。彼は社会進歩の行程を、必然のまたは機会的のものとは見なかった。彼にとっては、社会主義は必然でなく、ただ可能もしくは遇然に過ぎなかった。そして彼は、その神話説において見られる如く、従来のマルクス社会主義者のほとんど棄てて顧みなかった、主観の価値を力説した。人間そのものの尊貴を高調した。即ちソレルの神話説は、その精神において正統派社会主義の有力なる革命的修正であったと同時に、その形式において遂に革命的センディカリスムの唾棄する所となったのである。
一九一五・一二
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(『労働運動の哲学』(1916年)所収)