活動家と知識人

ソレルら知識人と、ペルーティエら「現場」の活動家との関係について、noizさんはこのように書いています。

結局、知識人とはあとからくるものでしかない。ソレルもベンヤミンも、「現場」に発生したミリタン(活動家)のマグマのごとき夢想にふれただけだとさえいえる。かりにプロレタリアのゼネストが解放=滅びへの夢想だったとしたら、かれらはそれを掬(すく)いあげただけだったのではないか。

http://autonome.blog7.fc2.com/blog-entry-124.html

このことについて、大杉栄も、以前このブログで紹介した「ベルグソンとソレル」という文章(1915年執筆)(大杉文庫所収)で、このように書いています。

 ソレルは、一般の世間から、サンディカリスムの理論的代表者であるかのように見られている。しかしこの世評はよほど割り引きをされなければならない。
 元来サンディカリスムの理論は(……)労働者がそのより善く生きようとする強烈な生活本能によって、周囲との日々の悪戦苦闘を経つつ、自分自身のうちに創造し体現してきたものである。そしてこの多くの創造を、さらに理論的に発達させ、組織させる事にあずかったもののあいだに、ことなる二つの群がある。その一つはたとえばペルーティエ(Pelloutier)、プウジェ(Peuget)、グリフュウル(Griffuelhes)、ドルザル (Delesalle)、ニエル(Niel)、イヴトォ(Yvetot)等の如く、自ら労働階級に属し、もしくは全く自らを労働者と同一視して、そうした創造の先頭に立った人々である。他の一つは、たとえばソレル(Sorel)、ラガルデル(Lagardelle)、ベルト(Berth)等のように、まったくそうした創造の外にあって、それに社会学的および哲学的基礎を与えようとしたひとびとである。(……)
〔ソレルら〕は実に、労働運動の代弁者とすらも言える資格はないのだ。彼らはただ、労働運動を外から眺めてそれによって彼らの思想を刺激されたというに過ぎないのだ。彼らはこの労働運動の中に、社会主義思想を修正させるに足るまったく独創的なある力を見出して、それについての彼らの思想を発表したに過ぎないのだ。かつて彼らは何らこの実際運動に加わったこともない。したがって彼らは自らをその代弁者であるなどと感じられるはずがないのだ。

http://www.geocities.jp/sartla/oosugi/bergsontosorel.html

実際は、思想家は運動の後追いをしているにすぎないのに、理論偏重の考え方に毒された「学者」たちは、逆に思想家が運動を導いているように考えてしまう。そうしたところから、ソレルが革命的サンディカリスムの代表者であるというような「誤解」が生まれるのだ、と大杉は言います。大杉は、日本の「学者」のダメさを示すこんなエピソードを紹介しています。民衆運動の研究には、民衆自身が何を望み、何を要求していたかを知ることが不可欠です。大杉はしばしばアメリカの社会学者から、日本における労働運動のビラ、新聞、雑誌などの寄贈を求められたそうです。というわけで、ある日、たまたま電車の中で建部逐吾とういう社会学者とあった大杉は、この学者に声をかけて、もっていたビラを一枚進呈しようとしたのだそうです。ところが、博士は「横すっぽを向いたままこちらを見ようともしなかった」のだそうです。大杉はこういいます。

 建部博士のこの態度は、日本のほとんどあらゆる学者の態度であるだけでなく、いまだに欧米各国の多くの学者の態度である。彼らのサンディカリスムの研究は、ほとんどみな(……)いわゆる知識者の言説の研究である。理論主導の弊害が骨髄にまでしみわたっている彼らは、ただ議論を組識だてることにのみ重きを置き、したがって組織だった議論以外は議論として受け入れない。そして彼らは、それらのいわゆる言説を組織立たせた材料の中で、労働者の全的生活の上の創造にかかわるものと、いわゆる理論家の頭の中での理屈のこねまわしにかかわるものとを、区別することができない。たとえ多少の区別をしても、この二つの材料の実際の前後と軽重とを逆にする。こうして学者のサンディカリスム研究は、主としてこの研究の対象と方法とを誤ったところから、多くはみな、労働者側から見ればまったく無理解におちいり、民衆運動の研究というその本来の目的から見れば無駄な饒舌に過ぎなくなる。