4 遺影

 次に向かったのは、生誕百年を記念して国立図書館で開催されているサルトル展です。展示品の中には、各国で刊行されたサルトル関連の図書もあり、なんとその中に私の『図サル』もあるはずなのです。メトロの14号線(この14号線というのは、新しくて速い電車で、なんと完全自動運転なのだとか)に乗って、終着駅のフランソワ・ミッテラン図書館駅で降りました。日本のガイドブックの地図にはこのあたりが載ってなくて(この時はまだパリの地図を買っていなかった)最初図書館の場所がわからなかったのですが、なんとかたどり着きました。1996年開館のこの図書館はミッテラン大統領が企画した新しくて巨大な建物です。入り口にある巨大なサルトル展のポスターが見えてきたときはちょっと「おお」と思いました(このポスターについては後述)。

 図書館入り口では、荷物検査があり、金属探知器も通過させられました。ずいぶん厳重な警備です。チケットを買って展示会場に向います。受付の人に、写真を撮ってもいいか聞いてみたところ「ダメ」とのこと。展示は、サルトルの自筆原稿や写真などが中心でしたが、サルトルのインタビューや、サルトル原作の映画などの一部をプロジェクターをうまく使って上映していました。マニア垂涎、かもしれませんが、サルトルに興味がない人にとってはどうなんだろう……と思ったのですが、結構入場者が多いので驚きました。すっかりすたれていたサルトルですが、やはりフランスでは根強い人気があるようです。私の本は、出口近くのおまけのようなコーナーに、多くの本に混じってですが、ちゃんと展示されていました。
 さて、カタログ(なんとDVD付き)の表紙にもなっているちょっとかっこよすぎるこのサルトル展のポスターなのですが、地下鉄の構内などで頻繁にみかけました。

 当然、このようなイタズラがされるわけです。

 が、ですね、このサルトルのポスター、落書きされていないものも含めて、実は最初から「イタズラ」されていたらしいのです。日本に帰ってきてから知ったのですが、「リベラシオン」(フランスの代表的新聞の一つですが、これはサルトルが創刊に関わったことでも有名です)にこのような記事が載っています。
http://www.liberation.fr/page.php?Article=282446&AG
 これによると、このポスター、元の写真にあった、サルトルが手に持っていたタバコを、デジタル処理で消してあるらしいのです。なぜそんなことをしたかというと、フランスには、1991年に制定された、公共の広告でタバコや酒の宣伝を禁じるエヴァン法というものがある。で、これに引っかかることを怖れた展示会主催者側が過剰反応してしまったということらしい。
 図書館側は、写真修正というこの措置を「誤り」と認めているらしいのですが、当然サルトリアンたちにはこの措置は不評です。歴史の改竄、表現の自主規制、云々という問題もさることながら、なにしろ、サルトルといえば、タバコ、アルコール、さらには覚醒剤といったありとあらゆる体に悪いものの愛好者として有名なわけですから。『図サル』50ページにも書きましたが、一日で摂取していた刺激物を計算すると「たばこ2箱、黒たばこをパイプで数服、一リットル近いアルコール(ワイン、ウォッカウイスキー、ビール)、アンフェタミン覚醒剤)200ミリグラム、アスピリン15グラム、睡眠薬数グラム、コーヒー、紅茶」だったというからすごいです。
 一方、「反タバコ国民委員会(?)」の委員長であるベギノ女史は、サルトルポスターの修正を「結構なこと」と見なしているようです。歴史の改竄という問題に関しては「サルトルを、喫煙していたという事実から知る必要なんてありません」と涼しい顔です。
 「リベラシオン」では、この修正に関して、「政治的公正(PC)politiquement correcte」をもじった「健康的公正sanitairement correct」という言葉が使われています(ついでにこの記事のタイトルL'enfer c'est la clope(地獄とはタバコのことだ)は、サルトルの『出口なし』の有名なセリフ「地獄とは他人のことだ」のパロディーです)。こういう問題はこれまでもあったようですね。マルローの切手からタバコが消されたり、シムノンのキャンペーンでパイプが消されたり、本の表紙でゲンズブールのジタンが消されたり、というようなことがあったようです。
 スターリン金日成といった独裁者、あるいは我が儘な女優なんかが、自分の写真を修整させたという話はよく聞きますが、死後にお節介な神格化がされた、ということで言えば、レーニンの死体の防腐処置に通じる話かな、なんて。しかし言うまでもなくそれは大げさな話であって、リベラシオンも、「デジタル処理による写真修正の一般化を示してるだけ」というように言ってます。
 それにしても、広場の名前になったりするのもそうですが、なんだかメジャーになるかわりにサルトルの毒が抜かれていくようで、サルヲタとしては複雑な心境ですね。