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 私が初めて一人暮らしをしたのは、今から20年前。当時まだ東京T立大学が、T横線のT立大学駅にあったころ、駅近くのO荘という「下宿」に、結局学部4年間ずっと住んでいた。合格発表のあったその日の内に決めた下宿だが、家賃2万円、もちろん木造、四畳半、風呂なしトイレ共同(ただし流し付き)だった。二階建てで、一階には、大家のOさんという老夫妻が住んでいた。二階を改装して五部屋(だったかな)の下宿にした、という感じだった。私の部屋は一番北の端で、日当たりも悪いし、すきま風はびゅーびゅーだし、冬はすごく寒かった。
 家賃は、銀行振り込みなんていうシステムはなく、大家さんに直接払う。昼間、家賃を払うために階下のO老人宅の呼び鈴を押すと、ステテコ姿のO老人が出てくる。直前まで昼寝をしていた、という雰囲気の時もよくあった。で、家賃を払うと、その後「まあ上がって行きなさい」となって、しばらく世間話をしなくてはならなかった。そうした世間話によって、当然、Oさんの身の上も多少知るようになった。Oさんは、大学の工学部を出ていて、「電気に詳しい」ということがちょっとした自慢らしい、ということがだんだんわかってきた。
 O荘の下宿の入口は大家さん自宅の入口とは別になっていたのだが、玄関の外に門があって、そこに、電気に詳しいOさんが自分でとりつけたメカが設置されていた。門は木の引き戸なのだが、スイッチが付けられていて、戸を開けると、ブザーの音が鳴るようになっていた。なんでそんなものが付けられていたのかはよくわからないが、たぶん、防犯の意味と、下宿人の出入りを確認する、という意味があったのだと思う。しかし、実際には何の意味もなく、単にうるさいだけだった。特に私は玄関の近くの部屋だったので、うるさかった。しかも、そのブザーが鳴るときに発生させるパルスのおかげで、ラジオに雑音が入る。当時、FMラジカセでジャズの番組のエアチェック(死語)に燃えていたので、その途中に「バリバリバリ」というその雑音が入った時は悲しかった。