非コミュ法

 私は、「最初からだめだとあきらめちゃだめだ」「やってみないと、言ってみないとわからないじゃないか」「逃げちゃだめだ」「めんどくさがってちゃだめだ」というような類の説教をこれまで散々受けてきた、非コミュ非モテである。ところで、話し合いを犯罪にし、まさにコミュニケーションを否定する非コミュ法ともいえる、共謀罪。この共謀罪に反対するデモに、「デモなんて…」と言っている若者や、「最近の若者はデモもしない」と嘆いている老人たちの、ごくごく一部が、実際にデモに参加すれば、東京だけでも軽く万単位のデモが組織され、状況は変わるだろう。
 まったく、デモなんかやっても意味ない、と、やる前から最初からあきらめている、とんだ非コミュ国民どもだ。めんどくさい、と言いながら、巨人戦の視聴率が落ちているこの野球斜陽時代でも、野球場にわざわざ足を運ぶ人々は毎晩何万人といるというのに(岸信介じゃないけど)。
 こんなときこそ、コミュニケーション力、とか言っている斉藤孝教授は、国民にデモを訴えるはずだよね。「負けないこと 投げ出さないこと 逃げ出さないこと 信じぬくこと ダメになりそうな時それが一番大事」と歌っていた大事マンブラザーズバンド(ふっるー)は、再結成して*1テレビで国民にデモを訴えるはずだよね……あれ?
 つまり「コミュニケーション力」たらいうもんは、「国コミュニケーションする力」でも、「企業コミュニケーションする力」でもないわけだ。政府や会社がおかしなことを言っても、でたらめなことをはじめても、決してそれに対して口を挟まず、コミュニケーションをとろうとしない者たち、つまり、政府や会社「に対する」非コミュ同士が、お互いの間でだけ(政府や会社にとって都合のいい)コミュニケーションをする能力、それが「コミュニケーション力」であり、「人間力」である。会社の会議では発言を求められるが、労働条件について会社「と」交渉する能力は求められない。国がしつらえるパブコメで当たり障りのないコメントをすることは求められるが、デモのような形で国「に対して」何かを主張すること、は求められない。というか、約9割が国に対する反対意見を投票した住民投票無視するべきだと政治家が発言し、それを支持する新聞社説が出る、というんだから、「国民に対する」非コミュというのも、推奨されているらしい。都合の悪い自己決定、都合のよい自己決定*2というのにならっていえば、(政府や会社にとって)都合の悪いコミュニケーションと、都合のよいコミュニケーションがあるわけだ。

*1:ていうか解散したかどうかも知りませんが。

*2:立岩真也http://www.arsvi.com/0w/ts02/2000b1.htm