小田の「強調」したこと(小田実『日本の知識人』を読んで 2)

呉氏は「『小田氏が大東亜戦争の二面性を40年前に強調した』ということを強調」する。呉氏が、なぜそれを「強調」したいかというのは明らかだろう。だが、その前に、小田氏が『日本の知識人』でそんなことを「強調」しているのかどうか、というのが怪しい。
『日本の知識人』の全体の論旨は、なかなか興味深いところがいろいろあるので今後紹介したいのだが、その前に、同書の、あとがきを除いた本文の最後の3ページ弱を引用しておくことにする。呉氏の同書の紹介の仕方がいかにゆがんでいるか、ということを示すためには、それで十分だろう。

 フランスの知識人は知識人である自分に誇りをもっていると言われる。しかし、その誇りは、たぶんに彼らの知識人以外の存在に対してのいわれのない優越感に基礎をおいた誇りだろう。インドの知識人もしかり。私はこの本のなかでそれを述べた。そして、それを述べた上で、日本の知識人よ、自分に誇りをもて、と呼びかけたい気がする。その誇りは優越感に基礎をおいた誇りではない。あくまで、対等の立場に立っての誇り──日本の社会はそれを必要としているし、またそれを可能にする条件に恵まれているのである。もし、日本の知識人がその気になりきえすれぱ。
 平和思想──日本の知識人がもつ平和思想は、「思想の場」と「生活の場」の密接な結ぴつきの一つの例であろう。そこでは、思想は「生活の場」の裏づけをもち(それだけの経験を日本の知識人はもち、それが思想をかたちづくった)、また、逆に「生活の場」の知識人の行動は大きく「思想の場」の平和思想によって支えられている。平和思想ならどこの国の知識人だってもっているということばに対しては、戦争放棄を明記した憲法をとにもかくにも護って来た国は日本だけであると、そして、その護ることに果した知識人の役割はけっして小さいものでなかったという一事で答えよう。他の多くの国にあって、平和は、銃を手にもった平和だった。しかし日本人が考える、日本の知識人が考える平和はそうではない。それを現実ばなれのした白昼夢的平和である、げんにアメリカが日本を守ってやっているのではないか、という気の利いた意見に対しては、そうかもしれない、しかしそうした武装せざる「大国」日本の存在が、これからの世界情勢に大きな影響をあたえ得るだろう、そんなふうに日本の知識人は、その一人である私は、日本の政治に働きかけるつもりであると答えよう。大熊信行氏は、戦後の知識人の思考の一つの特微(というよりは欠陥)に、「国家」の観念の欠如、「忠誠」間題の無意識的な無視をあげられているが、私は、さらにもう一つ重要な特徴をつけ加えたい。それは、彼らの思考に「軍備」ということがらがおちていることである。世界平和の間題であれ、国際情勢にっいてであれ、彼らの視点は、たしかに「軍備」をもたないユートピア人の視点だろう。再軍備論者の言説にも、私はそれを認める。たとえば、自衛隊の増強を説くとき、クー・デターの可能性を等閑視してしまっているかのような説である。「軍隊」の怖しさを彼らは知らないのではないか──ときどきそんなふうに思える言説に、私は出会った。ことに、それは若い戦後派知識人の問題であるのだろう。中国や北朝鮮へ出かけて、人々は軍隊の規律正しさに感嘆するのだが、そのとき、彼らの眼には、イデオロギー、体制のちがいを超越する軍隊の怖しさ(規律正しさ、みごとさも、イデオロギーや体制のちがいを超越する)が入って来ていないのだろう。六三年八月、韓国へ出かけたとき、私ははじめてそれに触れた。
 けれども、この「軍備」の背景のない戦後の日本の知識人の思考は、すべての思考がそこにまだとらわれている世界の現状のなかで、逆に大きな積極的価値をもつこともできる。それにはどうすれぱよいか。ここでそれを具体的に考えてみる必要があろう。
 アジア・アフリカの一国であり、しかも西洋なみの「先進国」であるという日本の位置は、「日本の知識人」を、ともすれぽ、どっちつかずの苦しい立揚におく。しかし、その苦しい立場は、西洋の人間にも、他のアジア・アアリカ諸国の人間にも欠けている、二つの世界を同時に二重写しのようにしてとらえる複眼的な眼を彼らにあたえていることにもなる。それによって、「日本の知識人」は、たとえぱ新興国の腐敗をはっきりととらえることができる。同時に、その腐敗をアジア的現象として放擲することなく、それを自分の問題としてとらえることができる。その腐敗をもたらした西洋の本質に迫ることができる。そして、その苦しみ、悩みをどのようにして世界政治に、また自分の生き方に反映させて行くか、それを具体的課題として自分の眼のまえにおくことができる。
(1964年・東京)
小田実『日本の知識人』筑摩叢書、1969年、286-288頁)