禁断のテレカクシー

過去にしてしまった失敗(やらなければよかったこと、言わなければよかったこと、など)というのは、思い出したくないのに、しばしば思い出されてしまうものです。
そういう時、その嫌な記憶で頭が一杯になってしまったことにいたたまれなくなり、その記憶を振り払う、というか消し去るために、「あー」とか「わー」とかいう声を出してしまうことがあります(へんな即興の歌を歌ってしまうこととかもあります)。
基本的に一人でいるときが多いですが、電車に乗っているときとかでもそういう声を出しそうになったり、実際出してしまったりして、そういうときは非常にはずかしいです。
ちなみに、かつては、そういう声を出すくせを持っているのって、自分だけだと思っていたのですが、けっこういるらしい、ということが最近わかってきました。
というわけで、とにかく、記憶自体も恥ずかしいわけですが、その記憶を消し去るために声を出してしまうことも恥ずかしいわけです。
恥ずかしい記憶を消し去るために公衆の面前で声を出してしまい、それがまた恥ずかしい記憶になり、その記憶を消し去るために公衆の面前で声を出してしまい……というのではきりがありません。
自意識過剰な人間というのは、なかなか大変なのです。


それはともかく、かなり昔からそういうくせを持っているのですが、声を思わず出してしまったとき、というのは、恥ずかしいので、ごまかしたくなる。
で、私は、恥ずかしい記憶を思い出したとき「わー」と言ってしまうときがあるのですが、いつのころからか、そういうとき、直後に「……おきつねざる」と言うようになりました。
つまり、そうすることで、「わー」は、「ワオキツネザル」という一般名詞の単なる一部分ということになり、恥ずかしい感嘆詞を発音してしまったという事実が中和されるわけです。
わけです、て、実際はそんなことはないわけなんですけども。
しかし、そのうちこのことはまったく儀式化されてしまい、「わー」と言ってしまったときは殆ど無意識に続けて「……おきつねざる」と言うようになってしまいました。
同じく、「おぉぉ」という発音をしてしまったときは、無意識に、続けて「……う山脈」と発音するクセができました。
ワオキツネザル」がどんなサルなのかも知らないし、「奥羽山脈」がどこにあるのかもよく知らないのですが、この二つの単語を発音した回数は、ひょっとするとそれらを研究している動物学者とか地理学者に匹敵したり、するかもしれません。

あ、「ワオキツネザル」の「ワオ」が「輪尾」だというのは知っています。
せっかくだからこれを機会に調べてみました。(wikipedia

なるほどー。マダガスカルに住んでるんですね。
かわいいです。
こんどからこのイメージつきでつぶやくことになるかもしれません。


ていうか、知り合いも読んでいるのに、こんなエントリーをあげてしまったことが恥ずかしいのではないか?と今気がついた。
わー!!……おきつねざる