拝啓 村上春樹さま ――エルサレム賞の受賞について

↓ビー・カミムーラさんによる日本語オリジナルhttp://0000000000.net/p-navi/info/column/200901271425.htmの転載です。

拝啓 村上春樹さま、
 この度、村上さんが、イスラエルエルサレム市が大きく関与している文学賞エルサレム賞」を受賞なさるということを聞きました。しかし、お祝いの言葉を私は言うことができません。この賞は「社会における個人の自由」を描いた作者に贈られるとありましたが、村上さんがそれにふさわしくないのではなく、贈る側が「社会における個人の自由」を口にする資格がありません。この賞を辞退なさることをお薦めします。
 つい先日までイスラエルパレスチナのガザに大規模な攻撃を行い、その前から経済封鎖を受けて、ほとんどの必要物資に事欠き、重病人はどんどん死んでいったガザをさらに瓦礫の野とし、1300人以上の(しかも3分の1は子どもたちの)人びとを殺したことは詳しく書かなくてもご存知だと思います。攻撃が小止みになっても、ガザは経済封鎖を受けたままであり、150万の人が巨大な監獄と化した場所で生活の糧も失い、なんとか生きながらえています。
 これについて、ホロコーストで家族を失ったユダヤ系英国人、ジェラルド・バーナード・カウフマン卿は、1月15日、英国議会下院で演説を行い、その中で以下のように語っています。

……「祖母は、ナチスがスタシュフの町に侵攻したとき、病床にありました。ドイツ軍兵士がベッドに伏せていた祖母を撃ち殺しました。
祖母の死を、ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺するイスラエル兵士の隠れ蓑にしないでください。現在のイスラエル政府は、パレスチナの人々に対する殺戮行為を正当化するために、ホロコーストにおけるユダヤ人虐殺に対し異教徒たちが抱き続けている罪の意識を冷酷かつ冷笑的に悪用しています。それは、ユダヤ人の命は貴重であるが、パレスチナ人の命は価値がないとする視点を暗黙に示唆しています。」……(「イスラエル戦争犯罪を告発するユダヤ教徒カウフマン卿の演説」 TUP速報より)

 それはイスラエル政府のしたことであり、文学賞は関係ないと思われるかもしれません。しかし、文学が人間を描くかぎりどこかで政治的であること以上に、文学賞はきわめて政治的なものであり、イスラエルはあなたに踏み絵を差し出したのです。たぶん、村上さんはそのことに自覚的であると推察しています。
 この賞がアパルトヘイト政策下の南アフリカのものだったら、果して受賞する文学者はどれだけいるでしょう?
 少し視点を変え、この賞の「エルサレム賞」という名前について、考えてみましょう。
 ユダヤ教徒、クリスチャン、ムスリムが(一時的な例外を除き)共存をしてきたパレスチナにあって、エルサレムは信仰の、文化の、社会のセンターとして機能してきた歴史的な街です。1947年の国連による分割決議案でも、エルサレムは国際共同管理地域とされていました。しかし、第一次中東戦争により、イスラエル西エルサレムを、トランス・ヨルダンが東エルサレムを統治するという形で分割され、さらに1967年の第三次中東戦争ではイスラエルが西岸・ガザを占領した際に、東エルサレムイスラエルによって、一方的に「拡大エルサレム市」に併合され、後にイスラエルエルサレムを首都だと宣言しました。
 この併合は国際的には認められていませんし、エルサレムイスラエルの首都だとして大使館を置く国は現在ありません。
 東エルサレムに住むパレスチナ人は重い税をイスラエルに納めた上で、「エルサレム市民権」(イスラエル市民権ではありません)を与えられ、「住むことを許可」されていますが、これもいくつにもわたる罰則規定で、容易に取り上げることが可能になっています。家の増改築も許可されず、それに違反したとして、家屋破壊を受けるケースがずっと続いてきています。それに反し、東エルサレムにはユダヤ人のためだけの入植地がどんどん増加し(パレスチナ人の土地を奪って作られています)、いまや20万人を超えるユダヤ人が東エルサレムには住んでいます。
 その状況を示す地図:
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200508310306.htm
 イスラエルはこのエルサレムを西岸などのほかのパレスチナ人に立ち入ることを禁じ、隔離壁分離壁)でさらに締め出しを強化しました(隔離壁は東エルサレムの街の中にも建っています)。あなたや私が入ることのできるエルサレムは、大半のパレスチナ人にとっては、踏みいることのできない場所となっているのです。
村上さん、あなたに賞を贈るエルサレム市長は、このような政策を続けている立場の人です。また、「エルサレム賞」というときの「エルサレム」とは、パレスチナ人を排除して、国連決議にも反し、イスラエルが一方的に押し進めている「イスラエルのためのエルサレム」なのです。このことで、この賞が「社会における個人の自由」からどれだけ遠いものなのかはわかっていただけたと思います。
 あなたはサンフランシスコ・クロニクルに掲載されたインタビューでこのように発言なさっていますね。

Q: It has been said that history has loomed larger in your recent writing. Do you agree?
A: Yes. I think history is collective memories. In writing, I'm using my own memory and I'm using my collective memory. I like to read books on history and I'm interested in the Second World War. I was born in 1949, after the war ended, but I feel like I'm kind of responsible for that war. I don't know why. Many people say, "I was born after the war, so I'm not responsible at all - I don't know about the comfort women or the Nanking massacre."
I want to do something as a fiction writer about those things, those atrocities. We have to be responsible for our memories. My stories are not written in realistic style. But you have to see reality. That is your duty, that is your obligation.
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2008/10/24/RVL713GP8T.DTL  より)

 あなたの言う集団的記憶(collective memory)ということでいえば、イスラエル建国からのパレスチナ人の集団的記憶は、つねに闇のなかに押し込められてきました。「エルサレム賞」はその闇をいっそう塗りかためる役割を担っています。どうか、あなたの集団的記憶のなかに、片隅においやられているパレスチナ人の集団的記憶、イスラエルの政策を批判する少数のユダヤ人たちの集団的記憶を少しでも取り込んでください。「責任を持たねばならない」という「私たちの歴史」に、あなたが生まれる前年に誕生したイスラエルが引き起こしてきた歴史を含めてください。「atrocities」(残虐行為)は、あなたの受けるという賞の背後にも十分以上に横たわっています。
 もちろん、エルサレム賞スーザン・ソンタグが取った対応をあなたも取ることは可能です。ソンタグはその受賞式でこのようにスピーチしました(2001年)。

「……集団的懲罰の根拠としての集団責任という原則は、軍事的にも倫理的にも、決して正当化しえない、と私は信じている。何を指しているかと言えば、一般市民への均衡を欠いた火力兵器攻撃、彼らの家の解体、彼らの果樹園や農地の破壊、彼らの生活手段と雇用、就学、医療、近隣市街・居住区との自由な往来の権利の剥奪である……。こうしたことが、敵対的な軍事攻撃に対する罰として行われている。なかには、敵対的軍事行動の現場とは隔たった地域の一般市民に対して、こうしたことが行われているケースもある。
私は以下のことも信じている。自治区でのイスラエル人の居住地区建設が停止され、次いでーーなるべく早期にーーすでに作られた居住区の撤去と、それらを防衛すべく集中配備されている軍隊の撤退が行われるまで、この地に平和は実現しない、と。……」(『この時代に想うテロへの眼差し』スーザン・ソンタグ 木幡和枝/訳 (NTT出版 2002年)より引用)

 しかし、賞を辞退するのも、あなたが共犯者とならないですむひとつの方法です。
 それでも、村上さん、あなたが受賞のためにエルサレムに出向くというなら、受賞式より前に入植地で虫食いになった東エルサレムを、人びとを分断し隔離する巨大な壁を、たくさんの検問所を、囲い込まれて身動きがとれなくなった西岸の街をご自分の目で見ていただきたいと思います。パレスチナの人びとの声に耳を傾けてほしいと思います。イスラエルのおつきの人の目を盗んで、ひとり動きまわるのは村上さんならやすやすとできそうです。
 どこへ、どのように行ったらいいか、わからない場合は、以下にコンタクトをすれば、移動をアレンジしてくれるでしょう。
AIC - The Alternative Information Center
 あなたの行為が、世界中のあなたの読者を、そしてあなた自身の作品を裏切らないでいてほしいと思うばかりです。
 最後に米国に住むユダヤ系の一研究者の自伝的なエッセイを紹介します。イスラエルが個人から自由と尊厳をどれだけ奪っているか、少数であるがイスラエルに異を唱えるものたちの集団的記憶が語られています。
Sara Roy, "Living with the Holocaust: The Journey of a Child of Holocaust Survivors"
http://www.zmag.org/znet/viewArticle/11400
(邦訳は『みすず』no.525、2005年3月号に掲載されている)
敬具
ビー・カミムーラ(ナブルス通信編集部)
追伸:ハロルド・ピンターノーベル文学賞受賞スピーチなども参考になるかもしれません: http://www.guardian.co.uk/stage/2005/dec/08/theatre.nobelprize
(日本語では『何も起こりはしなかった』ハロルド・ピンター/喜志哲雄訳(集英社新書)に収録)
※この文章を常野雄次郎さんが英訳してくださいました!: Open Letter to Haruki Murakami about his Jerusalem Prize [(元)登校拒否系]
 なんとかして、この文章を村上春樹さんに届けたい。出版社宛で届けられるだろうか。
 ほかにもこの受賞に関しては 村上春樹、エルサレム賞受賞おめでとう!!!モジモジ君の日記。みたいな。]のエントリーがある。