ジェンフリ・バトン

 mojimojiさんのジェンフリ・バトンに勝手に答えてみる。http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20060520/p3 

  • クラス名簿を男女混合にする。
    • 男女混合名簿」という呼び方自体にバイアスがかかっている。それをいうなら、「普通の」男女別名簿は、「五十音混合名簿」とか呼ぶべきだろう。
    • しかしむしろ、「クラス名簿」の前提となっている、強制的なクラス分け自体を廃止すべきだろう。さらには、年齢差別である学年分け、入学の年齢制限、さらには、教師と生徒の区別なども、廃止すべき。こうした現行のものとは全く異なる学校は様々な人によって構想されている。コリン・ウォード『現代のアナキズム』にしたがってそのいくつかを見てみよう。
    • 例えばバクーニンの「権威の原理が根絶されている学校*1」は「それはもはや学校ではなく、生徒も教師も区別のない、大衆が自由にやって来て、必要があれば自由に学ぶ大衆学園であり、そしてそこでは大衆に欠ける知識を教えるべき教授に対して、大衆自身が豊富な専門知識を持つ領域に関しては、今度は代わって大衆が多くを教えることになる。*2」あるいは、ウィリアム・ゴドウィンが1797年に発表した構想。「今まで教育にはつきものだった、あの恐るべき装置は悉く一掃される。厳密に言うならば、教師とか生徒とかいう役割は一切残らぬ。少年は成人と同じく、学びたいがゆえに学ぶ。彼は自分で工夫したか、そうでなくても自ら採り入れてわがものとした計画に従って進む。*3
    • これに近い学校は、イギリス・ランカシャーのプレストリー小学校で実現していたという。そこでは「時間表と履修要項は大した役割を果たさず、年長組の子供は放課後にも戻ってき、また子供といっしょに両親や兄や姉もやってくる。*4
    • さらには、ポール・グッドマンは、教育体制を解体して学童一人一人に教育費を分配するほうが簡単で安上がりだと主張する。「グッドマンの構想はめちゃくちゃに簡単だ。年少の子どもに準備してやるのは「安全で元気を養う」環境で、学校を分散して利用できる商店の表部分とかクラブハウスに二十人から五十人までぐらいの小さなものを作り、授業の出席は強制しないものとする。*5
  • 男女の呼称を「さん」に統一する。
    • 先生も含めてすべて「さん」に統一。あるいは、呼称をつけること自体を禁止する。しかも「姓」ではなくて「名」で呼ぶ。……つまり欧米と同じにする(欧米好きのみなさんもこれなら満足)。
  • 「男女」の名詞を「女男」に変える。
    • kleinbottleさんに賛成。「「男女」自体、使う必要の無い言葉だと思う。世の中には男と女しかいない、ってみんな思ってるんだから、その幻想に合わせて「人々」とか言ったらいいじゃん。「男女50人に聞きました」とかいうアンケートみたいなやつだとしても、「性別別 50人に聞きました」でいいじゃん、「世代別 100人に聞きました」が決して「10代20代30代40代50代60代70代80代90代に聞きました」ではないのと同じ論理でさあ。http://d.hatena.ne.jp/kleinbottle526/20060521/1148181481
  • スカートは最も「女らしい」服装なので、制服からスカートを廃止しようとした
    • 制服自体廃止する。
  • 女子の体操着のブルマー廃止と同時に、男子の短パンも廃止し、男女兼用のハーフパンツとする。
    • 制服廃止と同様、統一した体操着自体廃止する。現にほとんどの大学はそう。あるいは逆に、普通の授業の時も全員ジャッシー(山梨などではジャージのことをこう呼ぶ*6)着用。実際、ジャッシーで登下校している中高生はよく見かけるわけで(田舎だけかもしれないけど)、一日中ジャッシーで過ごす中高生も別にめずらしくないと思う*7。寝巻きもジャッシーだったりして(ていつ着替えんだよ!*8)夏暑いと思うものは、短パンでもブルマーでも、好きなものを着ればいい。
  • 運動会の競技を男女混合にする。
    • 運動会自体廃止。全員参加の体育授業も廃止。運動したい場合は好きなときにする。運動したくない人はしなくてもいい。集団球技なども、したい人(教師も含む)が集まってする。学年、学校単位のトーナメント制球技大会なども、廃止。
  • ロッカーや下駄箱の男女別の禁止。
    • ロッカー廃止。学校で使うものはすべて生徒が共有できるように学校が用意し、「私物」を持ってくる必要をなくす。リコーダーやピアニカも共有はいやだ、という人もいるだろうが、そもそも音楽の授業でリコーダー廃止。学校であんなものをやるから、女子のをなめようとする男子がでるし、大人にとっても下校途中に吹く子供の騒音被害がなくなっていい。
    • 下駄箱も廃止。そもそも学内で上履きに履き替える意味が不明。教室でも土足。大学はたいていそうだし、中学高校でも現にそのようなところもあるはず*9
    • 更衣室に関しては、しばしば指摘されるように、男女同室着替え問題は、ジェンダーフリー教育のせいではなく、更衣室が存在しないことに原因がある。しかし、体操着を廃止したなら、体育の前にいっせいに更衣する場所も不要になり、男女同室着替え問題も解決する。しかし、更衣したいものには更衣する部屋を与えるべきで、学校への更衣室設置は進めるべき。ただし、もちろんそれは個室更衣室である。同じく、トイレに関しても、しばしばジェンダーフリーならば男女のトイレを同室にするのか、などと言われるが、言うまでもなくそれは言いがかりで、すべて個室トイレにするべきである。
  • 小学校教科書の記述を「点検」。「男の子はズボンに女の子はスカートに髪かざり」、「おじいさんは反物売り、おばあさんは家で」、「およめに来て・・・・およめに行く」、「小さなお母さんになってお昼を作る」などの表現をジェンダーフリーに反するものとする。
    • kleinbottleさんに賛成。「ジェンダーフリーに反してはいない。問題は、「女の子はズボンに男の子はスカートに髪かざり」、「おばあさんは反物売り、おじいさんは家で」、「おむこに来て・・・・おむこに行く」、「小さなお父さんになってお昼を作る」などの表現が学校教育上に不足しているということだけ。性別に関係なく、男らしさ女らしさを自分の生き方として選択できるような社会を作るのが目的であるから、どの表現を禁止したところではそれはジェンダーフリーに反するものでしかない。ジェンダーフリーとは、表現を減らすというよりは、むしろより多くの表現を追加していこうとする方向だと思う。」http://d.hatena.ne.jp/kleinbottle526/20060521/1148181481
  • 男女別学の公立高校を共学にする。
    • 男女共学だけではなく、老若共学、猫杓子共学、玉石共学、などあらゆる面で共学化を進める。
  • 高校入試の合格者数を、男女同数にするよう要求する。
    • kleinbottleさんは、「アファーマティブ・アクションをしなくてもよい社会になるのがジェンダーフリーの目的」とおっしゃっているがそのとおりだと思う。むしろ「アファーマティブ・アクションをしなくてもよい社会になるのがアファーマティブ・アクションの目的」と言うべきか。したがって、差別・格差が蔓延している現在、ジェンダーだけではなくさまざまな側面でアファーマティブ・アクションを行うべきだろう。その意味では、入学試験そのものが成績による選別・差別なのだから、アファーマティブ・アクションとして、試験の成績の悪いものを優先して入学させる制度も必要である。
    • たとえば私の出身の山梨県甲府市では、「総合選抜」制度というのが現実に行われていた。これは、市内の普通科市立高校4校*10で合同で入学試験を行い、次に、その点数に基づいて、合格者の行く高校を、各校の成績分布が均等になるように、トランプを配るときのように満遍なく振り分ける、というものだった(したがって4校のうちどの学校に行くかは希望できない)*11。市内の普通科という限定があり、入学試験という選別制度を前提としている非常に限定的なものではあったが、実際、受験戦争や学校差別の緩和には有効だったと思う*12。しかし、この制度は、差別や格差が大好きな人にとっては不満が残る制度であり、そうした人たちの声に押されてか、近年廃止される地域が多いらしい(山梨では今でも維持されているようだ)。
  • 黒や赤などのランドセルの色を家庭が選択することを禁止し、「女男ともに黄色いランドセル」といった、統一色を要求する。
    • ランドセル廃止。私物をもつ必要がなくなるのでランドセルも不要になる。宿題はどうするのだ、といわれるだろうが、もちろん宿題は廃止。かばんを持ってきたい生徒に関しては、もちろん自由なものをもってこさせる。

 
 ちなみに、mojimojiさんご推薦の『ここからはじまる倫理』には、「二人の病人がいて一人分の薬しかない場合どうするか」みたいな単純化した「選択肢」を作り出す倫理の練習問題に対して、「とりあえず半分ずつ二人に使ってもう一つの薬ができるまで時間稼ぎをする」というような「現実的な」別の選択肢を考えることこそが倫理的態度である、と書いてある*13。というわけで、このバトンに答えるときも、当然、そのような態度が求められていると考えられるわけであって(笑)なるべく「倫理的に梯子外しをする」ことを心がけたが、id:toledさんにはまだ甘い、と言われそうな気がする。

*1:コリン・ウォード『現代のアナキズム』p.117

*2:「神と国家」(同書p.117-8)

*3:The Enqirer(同書p.118)

*4:同書p.118

*5:同書p.120

*6:宮城では「ジャス」らしい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%B8 ていうか、ジャージー島の漁師の作業着だったって?

*7:論争も起こっているらしい。参照>http://www.scn-net.ne.jp/~shonan-n/news/030208/030208.html

*8:知り合いの子供で、現にそういう子がいた(笑)

*9:デイリーポータルZラジオ爆笑の第25回で、住さんが、高校のとき土足だったとおっしゃっている。ほかの人たちにさんざん「土足高校」とか「略してドソコウですか」とかからかわれている。http://dpz.cocolog-nifty.com/dpr/2006/02/post_306b.html

*10:1984年以降5校

*11:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%90%88%E9%81%B8%E6%8A%9C京都や兵庫でも行われていたようだが、山梨のは最もラディカルな完全「学力均等方式」だったようだ。またこの方式は男女別で成績の集計を行うようなので、結果的に男女同数入学にもなるわけだ。

*12:実際私は中学生の時「受験勉強」というのをまったくしなかった。いや高校でもしなかったけど。浪人の時はちょっとしてしまった。ちなみに、私が行った甲府西高校はもとは甲府第二高校という女子高だったのだが、総合選抜参加後甲府西高校と改名し、共学化した。その他の三校は「東高」「南高」「一高」(84年以降は+甲府昭和)である。「二」高は「西」に変えたのに、旧制中学であった「第一高校」だけは、「伝統」とやらを主張するOBの反対で「北高」に改名できなかったという話である。

*13:ていうか実はまだ野家茂樹のあとがきしか読んでないんだけど(笑)