昼間勉強しようと思うと必ず猛烈な眠気が襲ってくる。
そのくせ、夜は寝ようと思ってもなかなか眠れない。
じゃあ、発想を転換して、眠れないときに勉強しようとすればいいではないか。どうせ勉強できないならば、せめて「勉強する気」を睡眠導入剤として使おうではないか。
……ところが、眠れないときは、端的に勉強する気も起きないのでした。
考えてみれば、「寝たくないのに、寝てしまう」という、「猛烈な眠気に襲われる」という体験はしょっちゅうしているにも関わらず、「勉強したくないのに、勉強してしまう」という、「猛烈な勉強気に襲われる」という体験は、どういうわけか一度もしたことがない。……いや、でもやっぱりそんな「気」には襲われたくないかも……。
ていうか、勉強とは定義上「勉めて強いる」ものであるからして、「襲われる」ならばそれは勉強ではないのである。
まてよ、勉強とは何を勉めて強いるのであろうか。「勉強するように勉めて(自らに)強いる」? それじゃトートロジーである。
……ひょっとして、勉強とは、「眠らないように勉めて(自らに)強いる」ことではなかろうか? ということは、眠くないときは「眠らないように勉めて強いる」こともできないのであるからして、「眠くならないならば、勉強できない」ということになる。
なるほど。では、勉強するためにはまず眠くならねばならないのか。えーと、眠くなるためにはどうすればいいかな。……あ、勉強しようとすればいいんだ!……あれ?
こんな馬鹿なことを考えていたのでまた勉強できませんでした。