ホームレスは良いご身分だねえ

 前回の私の記事に呆れた方、ないし興味を持たれた方は、あわせて以下の(私のと違って非常にためになる)諸記事もお読みになることをお勧めします。
でみあんさん 大阪の長居公園で行政代執行
モジモジさん 野宿者の居住権──不法なのはどちらか
モジモジさん 野宿者を怖がること
やねごんさん 大阪市が出ていけ
なんばさん ホームレス差別と僕の失言について
t_keiさん おかしいですよね
t_keiさん おかしいですよね(2)
テラソンさん ホームレステント撤去についての言説分析:否定のストラテジー
 で、補足的なことも書かねばと思っているのだが、かなり忙しい。でも時間がたつと、考えていることを忘れちゃいそうなので、簡単に書こうと思う。

 私が言いたかったことは、だいたいやねごんさんがまとめてくださったとおりである。

猿虎さんは、強制排除はひどいじゃないかという自身の感想をあえて「『自然な』反応」と位置づけたうえで、テレビ番組の街頭の「『自然な』反応」やスタジオにおけるタレントの語る「実感」の、言うならば、いびつさを問題化している

http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20070206#p1

 さて、「ホームレス怖い」「ホームレスうざい」「ホームレス臭い」etc. etc.という「感」や、「音」が、まん延していることは、疑いない。別にもういちいち驚かないというか。日常会話でもそうだし、ネット上では、巨大掲示板やら、本音ワールドミクシィをちょっとのぞいてみれば、いくらでも採集することができる(一例)。ただし、テラソン氏が言うように、この「本音」は、一部ブログとか、テレビのワイドショーあたりだと、「建前」とセットになっていることも多いようだ。
 もちろん、この「本音」意見を述べる人というのは、野宿者の「実態」を知らない、知ろうとしない、モジモジさんの言い方でいえば「物を知らない人」である。
 しかし、彼らに「実態」を知らしめてやればいい、教えてやればいい*1という簡単な問題ではない。というのも、野宿者が事実怖い存在であるかどうかとは無関係に、野宿者を怖いと思ってしまうのは紛れもない「事実」だ、といわれてしまうからである。所感派「実感派」のポイントは、ここにある。モジモジさんが言うように

怖さを感じてしまうこと自体は本人にもどうにもならないところがある。(……)少なくとも、「怖い」に対して、「本当は怖くないよ」を対置しても、それだけでは残されてしまうものがある。

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070208/p1

 つまり「実感」に「実態」を対置しても残されてしまうものがある。
 もっと言えば、「実感」派、「本音」派に言わせれば、「野宿者は本当は怖くないよ」などと主張する「支援者」なるヤカラどもこそが、逆に「ウソくさい」存在に見えるわけである。彼らにとっては、「本当に怖いと思っている人が事実たくさんいること」が、そしてそれだけが「態」なのである。したがって、その「実感=実態」に対立するものは、すべてが、あらかじめ「虚」とされているのだ。つまり「キレイ事」「建前」「詭弁」etc. etc. でしかないわけ*2。ここに難しさがあるように思う。
 つまり「偏見」に「実態」を対置すること、が、そもそも「ウソをホントウに置き換えること」としてはとらえられず、「ホントウの実感を押し殺してウソ臭い建前に置き換えること」としてしかとらえられないのである。野宿者に対して否定的でない主張、というのがすべて空虚な建前としてとらえられてしまう。
 野宿者に肯定的な主張が「空虚」なものとしてとらえられてしまうもう一つの原因として、それが「所詮は野宿者自身の主張ではなく「支援者」の主張でしかない」と思われてしまう、ということがあると思う。これはつきつめると大変な問題だろうが、とりあえずここでは、長居公園テント村住人の主張にリンクを張っておくことにとどめたい。長居公園テント村住人による大阪市に対する弁明書

 もう一つ、これは、前から書こうと思っていたんだけど(またあらためて書くまでもないことなのかもしれないけど)とりあえず簡単に。「恐怖」というのは、「憧れ」の裏返しである。だから、ホームレスが怖いとか嫌いだとか言う人は、ほんとはホームレスにあこがれているわけであって、うらやましいわけだ。何が、っていえば、ホームレスの「自由」とやらにである。もちろん、ホームレスが「自由気まま」な存在である、などというのは、まったくの事実誤認であり、実態とかけ離れているのだが、彼らが実はあこがれ、表面的には叩いているのは、「実在のホームレス」というより、脳内ホームレスなのであり、それは実は「理想としてのホームレス」なのである。ホームレスへの恐怖の実体は、自分の中にある自由への憧れへの恐怖でもある。だから、彼らにいくら実在の野宿者の「実態」を説いても効果が薄いのはそこにも理由があると思う。「ホームレスは「怠け者」ではない」と言っても認めないか、認めたとしても「同情できるホームレスもいるかもしれないけど、働く気のない怠け者のホームレス(というか本音では「が」)いるでしょう?」ととにかくそこにこだわるわけだ。なぜこだわるかは言うまでもない。そういう人がいてくれないと困るから。つまり、自由を追い求めることが事実醜いことであることを確認するためには、自由を追い求めている実在の醜い人々が存在することが必要だから。
 というわけで、改めてここを見てみよう(青字は私)

自由て義務を果たしてから手に入れるもんでしょ
>そうかそうか。自由が欲しいのか。


公園の土地を買ってから言え。
そこの土地はおまえの物じゃないだろ。
>そうかそうか。借家住まいか。


そんなに自由がいいのなら人気の無い山奥でも探せ
>そうかそうか。自由が欲しいか。


まず納税しろ(つまり、働け)
>そうかそうか。税金高いよな。


甘え以外の何物でもないわ
とっとと追い出せよ
>そうかそうか。甘えたいか。


結局働きたくないだけじゃないの?
>そうかそうか。……そのセリフそっくりあんたに返すが何か?


というか、酒飲みたい煙草吸いたいってレベルのワガママだからなぁ…
>そうかそうか。酒飲みたい煙草吸いたいか。


権利も自由も金なきゃ持てないのに主張だけはするのな。
>そうかそうか。金がなくても権利も自由も保障される世の中がうらやましいか。


飼われた豚になるより、自由な飢えた狼の道を選んだ
ホムレスよ、此くらいでブー垂れるな!
>そうかそうか。飼われた豚の境遇は嫌か。自由が欲しいか。

*1:こういう部分に、「啓蒙」臭がするとか「上から目線」だとかいって激しく反発する人はもちろん非常に多い。

*2:私へのブクマにも「詭弁」とか「このひとは実態を全く知らない」とかあるけど。