「被害者」と「加害者」
「仮放免者の会」のブログで、「難民偽装問題」をめぐる読売新聞での報道の問題点についての記事が連載されています。
第1回 http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html
第2回 http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post_30.html
第2.5回 http://praj-praj.blogspot.jp/2015/09/830.html
とてもわかりやすく、読売に対する反論というだけではなく、入管問題全体の理解に役立つような記事です。
このブログ連載で批判対象となっている読売新聞の一連の記事は、難民申請者の外国人たちを「偽装難民」と決め付けつて貶めるものです。ところで、これらの記事は、(彼らの言う所の)「偽装難民」が増えることが一体どのような問題を引き起こしている、と言いたいのか。結局彼らは、「「偽装難民」が増えることで、偽装ではない「本当の」難民を救ける自分たちの立派な事業が邪魔されて迷惑している」とでも言いたいようなのです(以下引用は特にことわりがない場合、上記の、「仮放免者の会」ブログ連載よりのものです。引用元のURLと見出しは注で示しています)。
法務大臣、入管当局幹部、および読売新聞社によると、「偽装申請」は「救済されるべき難民の保護の遅れにつながる」から問題である、というわけです。こうした論拠にしたがって、難民審査の効率化と、申請者の就労制限が主張されています。*1
つまり彼らは、まるで自分たちが「本当の難民」の味方であるかのような顔をして、問題が外から、つまり「偽装難民」という不届きな者たちから来ている、と嘆いてみせるわけですが、実際はどうなのかというと、むしろ、「難民問題」を作り出しているのは当の自分たちなわけです。
そもそも、「偽装申請」が取りざたされる以前に、日本の難民政策が「救済されるべき難民の保護」と言うにあたいする内実をそなえたものであったためしがあったでしょうか。
たとえば、他の難民条約加盟国の多くが例年4〜5ケタの難民認定数を出しているなか、日本のそれは2013年が6人、2014年が11人にとどまっています。この数字だけみても、「救済されるべき難民の保護」について、日本がこれまできわめて消極的な取り組みしかしてこなかったことはあきらかです。*2
そして、「仮放免者の会」ブログ記事の他の部分を読めばわかるように、日本政府は、難民たちに対して「消極的な取り組みしかしていない」どころではなく、難民たちが人権を認められた当たり前の生活を送ることを阻害している、という意味で、むしろ積極的に難民たちに迷惑をかけている側なのです。
一連の読売の記事は、「仮放免者の会」ブログが言うように「まるであたかも、外国人が日本の法秩序をゆるがせる加害者であり、日本国と日本人はその被害者であるかのような、まったく実態とはさかさまな構図がえがかれる*3」という点で、悪質なものです。
それにしても、実質的加害者が被害者に責任転嫁して被害者面をし、さらには「このままでは本当に困っている人を救えない」などと善人面をする、しかもマスコミを使ってキャンペーンという構図……。どこかで見たことがありますね。そう、こちらの記事http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20121213/p1でもかつてとりあげましたが、水際作戦や、極めて低い補足率、などを棚に上げた、生活保護「不正受給者」バッシングとよく似ているのです。
「ねらい」の非対称性
「仮放免者の会」ブログ連載は、「「偽装難民」たちが難民申請を「就労目的」で悪用している」という読売の悪質な世論誘導を鋭く批判しています。この、「難民申請を就労目的で悪用」という表現は、9月5日の朝日新聞の難民認定についての記事にも見られます。
一方、「借金から逃れるため」などと明らかに難民とは言えない申請も多いという。申請中は強制送還されない制度を悪用し、就労や定住目的で申請を繰り返す人もいるとされる。
http://digital.asahi.com/articles/ASH9453XSH94UTIL022.html?_requesturl=articles%2FASH9453XSH94UTIL022.html
(9月5日朝日新聞「難民認定の対象拡大へ 審査は厳格化、外部意見の導入も」)
「なんだ、哀れな難民のような顔をして、結局カネ目当てか、救けてやろうとした俺たちをだますとはケシカランやつらだ!」とでも言いたいのでしょうか。こうした、「実は○○目当て」などと、誰かの、「偽装」されていない本当の?「目的」をあげつらうことが、何やらその誰かを貶めることになりうる、と思っているらしい人々については、休眠状態の当ブログやその前身のホームページで、かつて何度か話題にしました。最近では、昨年6月の石原環境相(当時)による「最後は金目でしょ」発言が記憶にあたらしいですが、私が真っ先に思い出すのは、ここでもhttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/0401.html#22とりあげた、山本夏彦による、元「慰安婦」が「今ごろ騒ぎだしたのは『金ほしさ』のためだといえばこれも誰もうなずく」という20年ほど前の発言です。この発言についての徐京植さんの言葉を引用します。
「金ほしさ」だって? 元「慰安婦」たちは、差別と貧困の中で刻々と年老いている。75歳になる宋抻道さんにしても、異国日本で周囲の無理解と差別にさらされながら、身寄りもなく、生活保護だけをたよりに暮らしているのだ。どんなに心細いことだろうか。喉から手が出るほど金がほしいのは、当たり前だ。それに、彼女たちには補償金を要求する正当な権利がある。「金がほしい」としても、だからといって侮辱されなければならない理由などない。
http://www.eonet.ne.jp/~unikorea/031040/38d.html
(徐京植「母を辱めるな」)*4
難民申請者たちだってそうです。「仮放免者の会」のブログを読めばわかるように、難民申請者たちが「就労目的」だとしても、だからといって侮辱されなければならない理由など一切ないのです。
さて、こうした「○○目的」を熱心にあげつらうものたちが、あらゆるものを対象にそれを行うかというと、たいていそうではありません。彼らは、特定の対象についてだけ「目的」「目当て」「ねらい」を勘ぐります。たとえば、日本の新聞やニュースでは、中国、韓国、朝鮮の政府・首脳による公式発表などを報道するときは、必ずと言っていいほど「こうした○○には、△△といった《ねらい》があるものと見られます」というようなコメントが付きます。ところが、日本、アメリカ、電力会社…などの発表に対して、その「ねらい」について言及されることは、まずありません。こうした、日本のマスコミにおける「ねらい」という言葉の非対称性、と言った問題については、当ブロクでは何回か取り上げてきました。たとえばここhttp://d.hatena.ne.jp/sarutora/20070808/1186595155
そして、今回の一連の読売新聞の報道にもまた、そうした非対称性があからさまに存在するのです。彼らは、難民申請者たちの「目的」や「ねらい」をあげつらうことには非常に熱心ですが、入管や日本政府の言うタテマエの裏に、かくされているとすらいえずあからさまに見えている「目的」「ねらい」については、問題にしません。たとえば、「難民の保護・救済」という建前のもとで行われようとしている難民認定制度の変更の「ねらい」は、実際は「強制送還の効率化」であることは明らかです。
同様に、入管当局が読売等の報道機関をつかった世論誘導をつうじてめざしている制度変更のねらいが、難民の保護・救済にあるのではないことも、こんにちまでの難民政策の「実績」からみてあきらかなのです。とすると、そのねらいは、難民認定審査の「効率化」そのものにあると考えるよりほかなく、つまりそれは、強制送還の「効率化」ということにほかなりません。*5
しかし、このように、読売新聞は、入管の「ねらい」を読者に伝えません。そして、そのねらいの餌食になろうとしている外国人たちの方を、逆に、何やらよからぬ「ねらい」を持ったものたち、と描き出そうとしているわけです。とすると、こうした「報道」を行う読売新聞自体の「ねらい」が問われるべきでしょう。入管をアシストする「ねらい」があるのか?と。
(……)〔入管にとっては〕思うように退去強制手続きに入れない、あるいは送還を執行できないという現状があって、その障壁を取りのぞく制度変更をおこないたいという意向があるのでしょう。読売の報道は、こういった意向を忠実になぞったものといえます。*6
外国人技能実習制度についても同じです。読売新聞は、外国人たちによる「実習制度の形骸化」を言うわけですが、「仮放免者の会」ブログが指摘するように「技能実習制度は、日本政府自身こそがその形骸化を率先してすすめてきた経緯があり、いまさら「形骸化」しうるほどの実質など残ってい」ない*7のです。
「技能実習制度」は、建前こそ「開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的」とする、などとされていますが、実際の実習生たちは、よく知られているように、人手不足を解消するための都合のいい超低賃金労働力として扱われているわけです。したがって、「偽装難民たちが」「就労目的で来日し」「難民制度を形骸化させている」というような読売らの言い方をもじって言えば、技能実習生問題とは、「偽装・途上国支援者である日本政府や受け入れ先企業が」「人手不足解消目的・奴隷導入目的で外国人を来日させ」「技能実習生制度を形骸化させ続けてきた」とでも表現されるべきものなのです。
日本の政府や実習先である企業等は、実際には、実習生を低賃金の労働力として利用しておきながら、他方ではその労働が「実習である」というタテマエを都合よく持ち出すことで、実習生の労働者としての権利を否定し、実習先の職場に縛りつけることが可能になります。技能実習制度とは、通常の労使関係のいわば例外的な領域を作り出し、そこでの事実上の奴隷的拘束を「合法化」する装置といってよいでしょう。*8
ところが、難民申請者たちの「目的」や「ねらい」をあげつらう読売は、こうした、あからさまとさえ言える日本政府や受け入れ先企業の「目的」や「ねらい」を問題にしようとは決してしないわけです。
読売は、ミャンマー人実習生33人が茨城県内の実習先から1年以内にあいついで「逃亡」した事例について報じ、「実習制度が来日の『手段』として[ミャンマー人実習生に]利用された可能性がある」などと書いています([g]記事)。これは、あべこべな責任転嫁と言うべきです。この記述においては、実習制度が、労働者を来日させる手段として、むしろ日本政府と日本の受け入れ企業等によって利用されているのだという現実は、まるでなかったことにされます。ミャンマー人労働者を呼び込んでいる者たちの目的と利益は消されるいっぽうで、みずからの目的と利害関心にしたがって日本の制度を悪用している外国人技能実習生というイメージが強調されるわけです。*9
*1:http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html 第一回「2.法務大臣・入管当局幹部・読売新聞の一致した見解」
*2:http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html 第一回「3.「救済されるべき難民」についての読売の支離滅裂な姿勢」
*3:http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post_30.html 第二回「4.「就労目的で悪用」――制度・政策の矛盾を外国人に転嫁するレトリック」
*4:それにしても、徐京植さんがこの文章を書いたのが1997年、それから18年が経つが、言うまでもないが状況はまったく変わっていないどころか悪化しています。
*5:http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html 第一回「6.入管による読売等をつかった世論誘導のねらい」
*6:http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html 第一回「6.入管による読売等をつかった世論誘導のねらい」
*7:http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post_30.html 第二回「2.技能実習制度を「形骸化」させているのは「偽装難民」なのか?」
*8:http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post_30.html 第二回「3.現代の奴隷制としての技能実習制度」
*9:http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post_30.html 第二回「4.「就労目的で悪用」――制度・政策の矛盾を外国人に転嫁するレトリック」