WAR IS OVER

久しぶりにはてなにログインしてダイアリーの下書き一覧を見ていたら、2010年に下書きを書きかけて結局公開しないままになってしまっていた記事があったので、一部を公開します。

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20年ほど前のことです。「西側」メディアは、冷戦の終結を寿ぎ、うかれさわぎました。「「敵」はやぶれた!つまりわれわれの正しさが証明されたのだ!世界に平和がおとずれた!」というわけです。しかし、本当に世界に平和がおとずれたのだとすれば、すなおに考えればそれはすなわち、戦争も、軍隊も、なん回も世界を滅亡させることができる核兵器も、そんなものはぜーんぶ必要なくなった、という意味でしかありえないはずです。というわけで、ベルリンの壁をこわすお祭り騒ぎは、ただちに、全世界の基地の壁をこわし、兵器を廃棄し、兵士が軍服を脱ぎすてるお祭り騒ぎに移行したはずですよね? そう、ちょうどこんなシーンのように。

↑なにやってるんだよお!                  ↑よこしなさいよお!*1
え? そうなってない? どういうことですか?


「戦争をやめろ」「ひとごろしをやめろ」という「あたりまえの」(あえてこの表現を使いますが)「庶民感覚」があります。ところが、御用学者やテレビコメンテーターは、「戦争をなくせとか基地をなくせなんていう考え方は、素朴すぎるナイーブな考え方なのだ」としてバカにし、まるでそんな感覚を持っていること自体が恥ずかしいことであるかのような印象操作をします。一方では、反戦を訴えるひとびとをゆびさして、「あれは現実をしらずに理想論をとなえているインテリなのだ、あなたたち健全な庶民とは違う存在で、あなたたちをバカにしているのだ、だまされてはいけない」などと言うわけです。


鳩山は「学ぶにつけ、駐留米軍全体の中で海兵隊は抑止力として維持されるという考えに至った」と発言しました。「抑止力のために沖縄に基地が必要」という理屈があちこちでもっともらしいものとしてふりまかれていますが、事実はまったく正反対といっていいでしょう。つまり、「沖縄に基地をおくために抑止力という方便が必要」とされているわけです。基地を沖縄に押し付けつづけるために、「抑止力」などというもっともらしい「必要性」がでっちあげられているわけです。

*1:未来少年コナン』第19話より。軍事都市インダストリアの部隊がハイハーバーという島を占領していたのだが、コナンらのゲリラ活動と大津波のせいで、部隊は戦意喪失、占領は不可能になった。