YES オノ・ヨーコ展、二回目行ってきました。今回は東京都現代美術館です。http://www.mot-art-museum.jp/ex/plan_h16-01.htm (ちなみに来週の日曜までです) 前回水戸芸 http://www.arttowermito.or.jp/atm-j.html に行ったときに書いたオノ・ヨーコ論みたいなものをエッセイということでこちらに載せましたので、よろしければお読み下さい。
前回は参加しなかった「ウィッシュ・ツリー(願かけの木)」(ただたんに紙に願い事を書いて木に結びつけるてだけ)ですが、今回は、「この願い事が決してかないませんように」という自己言及願かけをして来ました(誰かやってそうですがね)。
また今回は、会場で、飯村隆彦『ヨーコ・オノ 人と作品』を購入しました。帰りの電車で読みかけて、まだ全部読んでませんが、掲載されている飯村氏とのインタビュー(1971年)には、いろいろと興味深い発言がありますね。
飯村 あなたのインストラクションは、昔は"Do it"で、直接的だったけれど、最近は"Imagine"というタイプのものが多いですね。「ガラスのハンマーで釘を打て」というのなどは、実際に打つのではなくて、打つことを想像しろということではないですか。
ヨーコ そうです。インストラクションもはじめのうちは、「こうしろ」というインストラクションだったのだけれど、その性質が"Imagine"というふうに、どんどんコンセプチュアルなインストラクションになっていったんです。昔の武士が、初めは実際に人を斬っていても、しだいに、実際に斬らなくても心の中で斬ればすむ、という段階にいくように。
飯村 そして、インストラクションに必ずしも従わなくてもいい。
ヨーコ そうです。「円を描け」と言われても、ある人は「自分は三角を描いてやろう」と思うことだってあると思うんです。それでいいんです。インストラクションというのはひとつの動機で、それによって人が変わっちゃうんです。どういうふうに変わるかはその人の勝手です。
(飯村隆彦『ヨーコ・オノ 人と作品』p162-3.)
ふむ。「昔の武士が、初めは実際に人を斬っていても、しだいに、実際に斬らなくても心の中で斬ればすむ、という段階にいく」てのがいいですね。それから、同じインタビューによると、「コンセプチュアル・アート」というレッテルに対するヨーコの感想が載っていてこれも興味深い。
最近、コンセプチュアル・アートなんてしきりに言ってますけれど、ずいぶん前に、私の作品をコンセプチュアル・アートといったらどうかと言った人がいたんです。で、その人に私は、そんなむずかしい名前をつけないで、コン・アートといってくれたほうがいい、って言ったんです。コン(Con)というのはインチキっていう意味でしょう。インチキ・アートです。最近も私は、自分の作品をコン・アートだと言ってるんです。
(飯村隆彦『ヨーコ・オノ 人と作品』p158-9.)
なるほど。コンセプチュアル・アートじゃなくて、コン・アートね。さすがヨーコさん。「コンセプト」というコンセプトと、「インストラクション」「イマジネーション」の違い、というのは、それはそれで非常に興味深いですね。
さて、あと、前回の憂国放談で、浅田彰がオノ・ヨーコ展について言及してますので、それを引用しておきます。このとき浅田氏は「あえて「WAR IS OVER! ─ IF YOU WANT IT」っていうオノ・ヨーコ&ジョン・レノンの古典的反戦アートのTシャツを着て」対談にのぞんでいます。
(……)最初にやった水戸芸術館(http://www.arttowermito.or.jp/atm-j.html)での展示は光の条件なんかが理想的で、さすが磯崎新って感じだったのに対し、東京都現代美術館での展示はなんだか薄暗くて、大分落ちるんだけど、それでも昔からの一貫した活動をたどる貴重な機会ではあるわけ。その会場で「報道ステーション」の古舘伊知郎がオノ・ヨーコに聞いてるの。何十年も反戦運動をやってきたのに、世界はいまもこんな状況で、空しくならないかって。そしたら彼女は「全然!」って言うわけ。イラク開戦前には世界で1000万人規模のデモがあった、それが現実なんだ、と。言い換えれば、現実主義と言いつつ実は昔ながらの虚構にしがみつく政治家たちが、現実離れした戦争ゲームをやってるだけなんだ、ってわけね。論理としては、最近だとアントニオ・ネグリ&マイケル・ハートが『帝国』で言ってるような、帝国の権力に対する国境を越えたマルティテュード(多数者)の力能って図式に近くて、むろんユートピア的に過ぎるといえばユートピア的に過ぎるんだけど、短期的には悲観主義をとらざるをえなくても、長期的には楽観主義でいくべきだってことなんだろうな。あれだけのキャリアを重ねてきた女性が平然と言ってのけると、それなりに迫力があるよ。
オノ・ヨーコは、「9.11」直後に「IMAGINE」が「放送自粛曲」になったときも、ただちに『ニューヨーク・タイムズ』に全面広告を出した。真っ白な紙面の真ん中に「IMAGINE ALL THE PEOPLE LIVING LIFE IN PEACE」とだけ書いてある。鮮やかな手並みだね。それでいくと、水戸芸術館がピラミッドの下に「WAR IS OVER! ─ IF YOU WANT IT」っていう大看板を掲げたのも悪くなかったけど、東京都現代美術館は東京の主要な新聞に展覧会の広告に代えてこのメッセージを出すくらいのことをしなきゃ。そんなことをすると、しかし、「横紙破り」ならぬ「障子破り」の石原チン太郎チェンチェイの逆鱗に触れて、都立大学みたいにつぶされちゃうかな(笑)。
古舘との話に戻ると、インタヴューの最後に彼が白い本を渡して、これが自伝だとするとどんなタイトルをつけるかって聞いたら、オノ・ヨーコは「あなたに無理に言われてそんなことをする必要はないでしょ。だから、白紙のまま、サインだけしときましょう」みたいなことを言うわけよ。そうやってサインだけされた白紙の本をスタジオで見て「何なんでしょうね、あれは」とか言ってるんだけど、まあ古舘ごときじゃとても太刀打ちできないっての。
……ていうかですね、今発見したんですけど、飯村氏の『人と作品』、文庫版があるじゃないですか
Σ(゜□゜; OH!NO! ISBN:4061851683
と、思ったら文庫版の方が古い。????どうやら、初版1985 文庫1992 増補版2000 という変遷をへているらしい。全部出版社は別。
今回買った版のあとがきには、ずいぶん前に絶版になったので増補版を出した、と書いてあるけど、amazonに文庫版の在庫があるぽいのはどういうことだろう……よくわからん。文庫版にも増補部分は含まれてないようなので、まあいいんだけど……。
と思ったら、文庫本、amazonの在庫はユーズドか。じゃ文庫も絶版なのかな。