洗書

 洗濯物を干そうと思って洗濯機の蓋をあけて、びっくりしました。洗濯物に、白い小さな紙片がびっしりこびりついています。レシートなどをポケットに入れっぱなしで洗濯してしまうことはよくあるので、またやってしまったか、と思ったのですが、今回は付着している紙片の量が尋常ではありません。いったい何を洗濯してしまったのか、と思ったら、どうやら何かの本を洗濯してしまったらしい。何の本を洗濯してしまったのだろう?とちょっとどきどきしながら洗濯槽の中を探していると、ぼろぼろになった本の背中の残骸と、本の「皮」が出てきました。皮ってなんじゃ、とお思いでしょうが、つまり、本のカバーの紙の部分がはがれ落ち、ビニールコーティングだけがきれいに残ったものです。まさに「皮」としか言いようがない感じのもの。当たり前ですが初めて見た。で、それらの証拠から、私が洗ってしまった本は、小林正弥氏の『非戦の哲学』(ちくま新書)であることが判明しました。これがわかったとき、私は「むう」とうなってしまいました。というのも、私は先日書いた書評でこの本の批判をしてしまったからです。その復讐をされたとしか思えません。まあもちろんそれは冗談なのですが……。というわけで、その書評をアップしました。
酒井隆史『暴力の哲学』書評(季刊『ピープルズ・プラン』掲載)
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20050108#p1
 ついでに、去年の夏『週間読書人』に書いた書評もアップしました。
U・P・ヤウヒ『性差についてのカントの見解』書評(『週間読書人』掲載)
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20050108#p2
 ちなみに、なぜ洗濯槽の中に本が入ってしまったのか、と言うことに関しては、まったくわかりませんが、「私ならやりかねん」ということだけは、私は、自信をもって断言できます。本の火攻めは焚書ですが、本の水攻めは何というのでしょうか。