サルトル

 いまどき、サルトルを読んでみよう、という奇特な方もいらっしゃるようです。ま、なにげに生誕100年ですしね。が、何を読めばいいのか、というのはなかなか難しい問題です。それほど手軽に入手できるわけでもないので。まあ、そうはいっても少し大きい本屋の哲学コーナーには新装版人文書院サルトルが何冊かあるのもめずらしくはないので、まだめぐまれてますよね。本屋で一冊も売ってない哲学者なんて、それこそいくらでもいるわけですからね。でも、サルトルも、せめて何か文庫に入っていたりしたら、もうちょっと普及していたんではないかとも思います。もともとサルトルの翻訳は、京都の人文書院が出していたサルトル全集(なかなかすてきな装丁で値段も比較的安かった)からほとんど出ていたのですが、この全集は現在全て品切れ・絶版状態です。旧全集の内訳についてはここが詳しいです(注意!!音が出ます!)。
 人文書院は、これを今復刊してもどうせ売れないと考えているらしく、この全集の中から売れそうなコンテンツのみを抜粋して編集しなおし、新装版という形で出しています。現在本屋に売ってるのはそれです。

哲学関係

 で、サルトルの主著といえば、『存在と無』なわけですが、この新装版、信じられないほど高いです。はっきりいって、こんなの買う人いるんだろうか。
存在と無 上巻 存在と無 下巻
2冊あわせて1万6千円!しかもアマゾンで上巻在庫切れだし。ちなみに、勘違いしている人もいるようですが、これは装丁が変わっているだけで、中身の翻訳は旧全集版とまったく変わっていません。内容として新しいのは、澤田直さんの解説パンフレットがはさまっているところだけです(しかもたしかネットで読める>http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/sonzai.htm)。
 で、この本は大変面白いのですが、ただ、『図解雑学』でも書いておけばよかったのですが、お読みになるなら、冒頭の「緒論」は他の部分に比べて極めて難しいので、後回しになさった方がいいと思います。ここで挫折する人がとても多いです。
 サイードの『知識人とは何か』のネタ本(笑)(<いやでもホントそうだと思うんですが)である日本での講演「知識人の擁護」は、人文書院の旧サルトル全集の『シチュアシオンVIII』に収録されたものと、単行本として人文書院から出たものと、2バージョン有ります。私は後者を持っていますが、微妙に内容が違うのでややこしい。これらは図書館でさがすしかないと思います。
 あとは『実存主義とは何か』とか岩波新書の『ユダヤ人』なんかが、入手しやすくて、とっつきやすいと思います。実際、昔から、「サルトルを読んだ」といって『実存主義とは何か?』しか読んでいない人がほとんどのようです。そんなことから、サルトルは、あれだけ読まれて誤解されるからかなわん、といって、前者の出版を後悔していたそうです。
実存主義とは何か ユダヤ人 (岩波新書)

文学関係

 文学関係では、最も有名なのは『嘔吐』ですね。これは新装版もあります。
嘔吐
 あとは、同時期に出た短編集『壁』の翻訳が『水いらず』というタイトルで新潮文庫から出ています(現在入手可能なサルトルの文庫はこれだけですね。過去には『聖ジュネ』も文庫化されていたらしい)。
水いらず (新潮文庫)新潮文庫
 『嘔吐』は、最近になって読んだ人の感想が「意外と面白かった」というのと「やっぱりつまらなかった」「退屈だった」というのに分かれるように思います。が、退屈な「純文学」なんていくらもあるわけで、そのわりには面白い方だとも思うのですが。
 その他、小説『自由への道』とか『蠅』などといった戯曲の代表作は、いずれも旧全集版しか出ていないので、図書館などでさがすしかないです(世界文学全集のサルトルの巻に『嘔吐』などが入っているのもあります)。

番外

 「違和としての身体――岡崎京子とサルトル――」という論文(身体のエシックス/ポリティクス―倫理学とフェミニズムの交叉 (叢書・倫理学のフロンティア))で、岡崎京子が直接サルトルに言及しているものはない、と書いたのですが、去年出たボリス・ヴィアン原作の『うたかたの日々』には、その名もジャン=ソール・パルトルという、サルトルがモデルの人物が出てくるわけです。そう考えると、R・D・レインつながり、ヴィアンつながり、ゴダールつながり、と、けっこうサルトルとつながる線はあるんですよね(まあいろいろなつながりがある人だから当然だけど)。

うたかたの日々

うたかたの日々