政治

 というわけで、今日日本に帰ります。旅行記のようなものは(誰も読みたくないかもしれませんが)日本に帰ってから書こうと思っています。
 で、しつこく同じ話題で申し訳ないのですが、いうまでもなくデモをしているから政治的、というわけではない。日本だって、サヨクのデモに参加する若者こそほとんどいないけど、たとえばネット上で政治的発言をする若者なら非常に多い。つまり、日本の政治的若者はサヨク的ではなくウヨク的、保守的なのが主流、というだけだ。逆に言うと、フランスの政治的高校生の意識だって、たぶん、日本のネットウヨク的若者の意識と大差ない。何かカゲキなことを言ってみたい、してみたい、天下国家のことについて何かいっぱしの口をきいてみたい、というような若者なら、古今東西どこにでもいる。そうした若者は、フランスなら、いまのところサヨク的になる場合が(たぶん)多く、日本の場合、ウヨク的になるのが主流である、というだけのことだろう。「ラファラン*1逝ってよし」とか、そんな感じなのだろう(たぶん)。というわけで、おそらく、そうした政治かぶれの若者を苦々しく思っているフランスの「大人」たちもいるだろうし、もちろん若者の中にもウヨク的なやつ、ノンポリ的なやつ、といろいろいるだろう。フランスで日本に比べデモが多いといっても、5月革命のような雰囲気からすらほど遠いのだから、まあ、そういう意味では日本と大差ない、とも言えるし、フランスの若者だって今後ウヨク的なのが主流になることがないとはいえないだろう。30年ぐらい前なら日本だって政治的若者はサヨク的になるのが主流だったわけだし。
 ただ、日本の場合、現在の若気のイタリアーノ的政治的若者(つまりウヨク的若者)は、しばしば、政治そのものを批判する、というところに特徴があるかもしれない。彼らは、「大人たち」がなげく、「いまどきの若者の政治離れ」を自己正当化しつつ、「政治的な大人」に対する敵愾心を示したりする。そう言いつつ、自分たちは超政治的な(=ウヨク的な)発言をさかんにしたりする。つまり、「大人たちに政治的に反抗する」のがかつてのサヨク的若者だったとすると、今の若者は「政治的な大人たちに反抗する」中でウヨク的になっていくのである。彼らは「政治的な大人」に反抗するが、その「政治的な大人」の中に、どういうわけかコイズミやアベやイシハラは入っていない。彼らにとっての政治的な大人、とは、チクシテツヤであり、ツジモトキヨミであり、アサヒシンブンである。つまり彼らの中では「政治=サヨク」ということはやはりをある意味で前提にされており、「反政治」と「反サヨク」が一緒くたになっているのである。いってみれば、70年代の若者の標語、「ドント・トラスト・オーバーサーティー」が、「ドント・トラスト・全共闘」になっているわけだ。まあ、厳密に言えば全共闘世代はすでにオーバーフィフティーになっていますが。
 というわけで、かつての「大人」たちは、「ゲバ棒なんて振るってないで勉強しろ」と言った。そういう大人に反抗してますます若者はゲバ棒を振るった。で、今の「大人」たちは、「ネットなんかしてないでデモでもしてみろ」とか言うから、ますます若者はウヨク的になっていくのではないか、なんて思ったりして。

※フランスの若者が政治的になるときはサヨク的になることが多い、というのは、デモの多さとか、街中でのサヨクポスターの多さから考えたまったくの私の推測なので、ほんとのところはどうか知りません。あしからず。

*1:現フランス首相(右派)