「サヨク、かっこわるい」はかっこわるい、はかっこわるい、は……

http://takoashi.air-nifty.com/diary/2005/10/post_0e5e.html
とりあえず、私が以前ここで書いたこと
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20050331#p1
もだいたいそんなようなことなんだけど、もちろんオダジマ氏の方はずっと上手く面白く書かれている。
確かに鋭いし面白いしオダジマ節面目躍如…ではあるが何か違和感も。てそれは私が「ブサヨ」で図星だからか。
いやそうではなく、説明は難しいんだが。

まず、こういうガキっぽい「若者」的「右傾化」だけではなく、なんかもっとおハイソな、無味無臭のオジサン的「右傾化」もあるだろうということ。ガキっぽい「嫌ナントカ」ウヨごっこは相対的には実はあまり重要ではないのかもという気もする。
それから、オダジマ氏の筑紫的サヨクに対するクダマキもそれはそれである意味陳腐でかっこわるいものでもあるのであって(オダジマ氏本人はたぶん自覚してるんだろうけど)それを、「さすがオダジマ、鋭い、かっこいい」というのは、何か違う、という感じがする。
まあでも私のこういうツッコミも陳腐なのですが。*1
追記

>なんかもっとおハイソな、無味無臭のオジサン的「右傾化」もあるだろうということ
 こちらの方ともその振る舞いが親和性があるのは見逃せないのではないかと思います。

 そう思います。で、そのおハイソなオジサン的「右派」のイデオローグ*2に、内田樹氏がいますが、彼が、オダジマ氏にかねてから熱烈なラブコールを送り続けている、というのもある意味象徴的かも、とも思うのです。私が知る限りオダジマ氏はそれにネット上で答えたことはないと思いますが、たしかウ氏がオ氏の解説を書いていたりするので、拒絶しているわけではないのでしょうね。で、もしオダジマ氏がウチダ氏批判を展開したとしたら(オ氏にとってもウ氏はツッコミどころたくさんあると思うのですが)それこそ「かっこいい!」と私はオダジマ氏に惚れ直すかもしれません(笑) なーんて、外野の観客きどりでヤジるのはずるいのですが。
 それはともかく、『タクシー狂騒曲』が、「タクシー」の問題がスルーされて「受容」されてしまった、という問題、根が深いようにも思います。例えば、タクシー運転手の悲惨な状況を目の当たりにして驚いたり義憤にかられたり、という反応は、「偽善的」と忌避される。もちろん、例えばタクシー運転手に同情したり、「ひどいね」と言ったりはするのですが、なんというか、「世の中はひどいことがいろいろあるね」という形で「受容」する方向に感覚が向かい、「こんな世の中間違っている」という「拒絶」反応は、子供っぽい、偽善者ぽいものとして忌避される。本人はそうやって一歩大人になったつもりなのかもしれないが、でもそれって感覚の鈍化であり麻痺なんだよね。
 ひるがえって、筑紫的なものに対する感覚、偽善的なものをかぎつけて暴き立てようとする感覚はどんどん先鋭化していく。オダジマ氏だってまさにそうだよね。たぶんご自分でも分かっていると思うけど、筑紫を見ると、感覚的にまさに「ハナについて」仕方ないのだと思う。つまり、筑紫的なものを「ほっとけない」体になってしまっている。現実麻痺症と裏腹の筑紫過敏症(偽善過敏症)なわけです。筑紫なんかほっとけばいいのに、23のなんちゃらいう特集なんか、見なきゃいいのに(実際私なんか最初から見る気ないですけどね)やっぱり見ちゃうんだよね、オダジマさんは。でブログに書いちゃう。それが分かってるから、「簡潔に、箇条書きで」とか言ってるんだけど、そういつつ長い長い(笑) チクシニクシ病の病膏肓に入っちゃってるのであり、「チクシ憎けりゃ袈裟状態になっているのです。一挙手一投足が気になって「ほっとけない」。それって、昔私が書いた、テレビのチクシに対して怒るミナッチのお父さんと同じなんだけど。

*1:ホワイト○ンドに怒るのはかっこわるい、て言うのはかっこわるい、て言うのはかっこわるい……とか、中ナントカ病がどうしたこうしたとか、まあ全部そういうことかもしれないけど。なんかもうそういうのは出口がないなあ。というわけで私ももうやめ。ていうか発表の準備しろ〜〜!!!!>自分

*2:かっこつきとはいえ「右派」は言い過ぎと思う方も多いでしょうが、ちょっとあえて挑発的に書きました。