第2章 愛国心について その2

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愛国心と惻隠・共感

目の前で子供が井戸に落ちそうになっているのを見たなら、誰でもためらわずに救けに駆け寄るでしょう。もし愛国心が、こうした子供を救おうとするような共感(シンパシー)、惻隠の気持ち、慈善の心と同じものであるならば、愛国心とはなんと美しいものでしょうか。純粋で、一片の私情も含まれていないものです。
しかし、考えてみてください。真摯で高潔な惻隠の心と慈善の念は、決して自分との近親の度合いによって左右されるものではないはずです。人がとっさに子供を救助しようとするときに、それが自分の子供であるか、他人の子供であるかを考えたりしないでしょう。だからこそ、世界の心ある人は、イラク人のためにその勝利と復活を祈り、チベットのためにその成功と独立を祈るのですが、敵国であるアメリカの人々、敵国である中国の人々の中にもそういう人はいるのです。いわゆる愛国心とは果たしてこのようなものでしょうか?
現在の愛国者国家主義者は、イラク人のために祈るアメリカ人を「愛国心がない」とののしるでしょう。チベットのために祈る中国人を「愛国心がない」とののしるでしょう。たしかに、彼らは愛国心はないかもしれません。しかし、彼らは高潔な共感、惻隠、慈善の心は確かに持っているのです。だとするなら、愛国心とは、とっさに子供を救う人の心とは一致しないもののようです。
そう、私は、いわゆる愛国心が、純粋な共感や惻隠の心ではないことを残念に思っています。なぜなら、愛国心が愛するのは、自分の国土に限られているからです。自国民に限られているからです。他国を愛さずにただ自国を愛する人は、他人を愛さずに自分だけを愛する人です。はかない名誉を愛しているのであり、利益の独占を愛しているのです。そんなものを「公」といえるでしょうか。「無私」といえるでしょうか。

望郷心

愛国心はまた、故郷を愛する心に似ています。故郷を愛する心は尊ぶべきものだといわれます。しかしまた、愛郷心とは実にくだらないものでもあるのです。

他郷に対する憎悪

近所で走り回って遊んでいる年頃で、「故郷の町並みや自然は愛すべきものだ」などと理解している子供がいるでしょうか。彼らに故郷を懐かしく思う気持ちが生じるのは、異郷や他国というものがあることを理解した後のことではないでしょうか? いろいろな土地を転々としたり、挫折して人情の冷たさを思い知らされたりしたとき、人は少年時代や青春時代の楽しかったことを思い出して、懐かしい故郷を慕うようになるのです。彼らは、「故郷は愛すべきものであり尊ぶべきものである」から故郷を思うのではありません。むしろただ、「異郷が忌まわしい嫌なものである」からこそ故郷を思うのです。それは、故郷に対する純粋な共感や惻隠の心ではなく、「異郷に対する憎悪」なのです。失意に陥り、逆境にある人の多くは、みんなそうです。彼らは、異郷を憎悪しなかったとしたら、いまだに、特に故郷を思ったりしていないでしょう。
彼らは言います。望郷の念は、失意に陥り、逆境にある人だけではなく、順風満帆の人でも持っているではないか、と。たしかにそうです。そして、得意の絶頂にある人が故郷を思うとしたら、その心は特に卑しいものなのです。彼らはつまり、郷里の親や親戚、知人に向かってその得意を示そうとしているだけなのです。郷里に対する共感や惻隠なのではなく、自分に対する虚栄であり、自惚れであり、競争心なのです。昔の人はこう言いました。「成功したのに故郷に帰らないというのは、着飾って真っ暗な通りを夜歩くようなものだ」と。この言葉は、まさに彼らの卑しい本音を照らし出しているのです。
「大学をわが町に」「新幹線をわが町に」などというのは、まだましなほうです。ひどいのは、「大臣をわが町から」「首相をわが県から」などと言います。彼らは、自分の利益や虚栄ではなく、郷里に対する本当の共感や慈愛の気持ちからそんなことを言っているのでしょうか? 「名士」の方々にお聞きしたいが、あなた方は郷里をバカにする気持ちを一片も持っていないと言えますか?

間抜けな虫けら

そうです。愛国心の理由や動機が望郷の念と同じだというならば、酔っ払って川に飛び込む阪神ファンなどは、愛国者のいいサンプルです。愛国者は、チャンネル争いをする兄弟にたとえるぐらいがちょうどいいのです。コップの中で争う間抜けな虫けらのようなものです。

虚誇と虚栄

というわけで、私はこう思います。規制緩和論者、自由化論者が「国内に競争力のある企業を育てることが国益にかなう」などと言うのは不思議でもなんでもないのです。愛国者は「金を持っているやつが偉い」と言ったホリエモンを笑えないのです*1。天下のいわゆる愛国者とか愛国心と、ホリエモンの違いは、五十歩百歩です。愛国心を宣伝するのは、ただ自分の利益のためでしかないのであり、虚誇のためであり、虚栄のためでしかないのです。
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*1:DK君の原文では、岩谷松平(1849-1920)という実業家が例に挙げられています。鹿児島生まれの彼は、「明治10年上京し、銀座に呉服太物商を開き、のち紙巻タバコの製造をはじめて天狗屋と号した。「国益の親玉」や「驚く勿れ税額千八百万円」などは天狗タバコの宣伝文句で、この奇抜なコピーにより広く世に知られるようになった。15年には共同運輸会社、以後、帝国工業会社、大日本海産会社などを創立し、商業会議所議員、衆議院議員を歴任する。タバコが官営になると、養豚業に乗り出したりした奇人としても知られている。」以上は岩波文庫注(p125)より。