ただ、上の文章を全体的に見ると、もうろくしたサルトルに失望するサイード、としか読めないのですが、「その1」にも書いているように、サイードにとってサルトルは非常に重要な存在だったことも事実です。
わたしの世代にとってはサルトルはつねに二十世紀の偉大なインテリの一人であり、サルトルの洞察と知的な才能は、その当時のすべての進歩的な主張に役立ったものである。
それでもサルトルの理論は無謬であるとも、予言的な性格のものとも思われなかった。反対にサルトルが状況を理解しようとした努力と、必要であれば政治的な主張に連帯を表明しようとした態度が称えられたのである。サルトルはときにあやまちをおかしたり、誇張したりする傾向があることが指摘されたが、韜晦したり、はぐらかしたりするようなことはなかった。わたしはサルトルの書いたほとんどどの文章にもみられる大胆さ、闊達さ、寛容さにうたれる。
そのことは、「現代思想」03年11月臨時増刊「総特集・サイード」での姜尚中・鵜飼哲の対談でも話題になっています。手元に本がないので、かつて私のbbsでTKDさんが引用してくれたものを再録させていただきます。
鵜飼「サイードの教養が、クラッシック音楽も含めたヨーロッパのハイ・カルチャーにその根底があることは事実です。サイードの最初の知識人のモデルはサルトルでした。」
姜「僕もそう思います。」
鵜飼「選択する知識人像という定式にはサルトル的響きがありますが、しかしそこから亡命、故郷喪失ということを単に自分の思想基盤とするだけではなくて、自分とは違う、もっとすさまじい形で故郷喪失を強いられた人々とつながる可能性の問題を追及していった時に出てくる知識人像とは必ずしも古典的なものではありません。」
姜「同感です。サイードの位置づけは確かに難しくて、根底にはやはりまずサルトルがあると思います。」