ランゲージ・バリアフリー?

英会話学校の広告というのは、気持ち悪いことが多いけど*1、それにしても、最近よく見るベルリッツのポスターの、「ランゲージ・バリアフリーへ」てキャッチフレーズはもうなんと言っていいやらわからない。
 ランゲージ・バリアフリーていう言葉を聞いて私が思い浮かべるのは

大阪外国語大学地域連携室「人材養成講座 1」)
  1.目的
 言葉のバリアフリー社会を構築するために(その3)
  本学ではこれまでLanguage Barrier Free Projectにさまざまな形で取り組んできました。今後増加が見込まれる外国人・外国籍住民が安心して来日、在住できる多文化共生社会実現のためにホスピタリティーを備えた人材を一人でも多く育成したいというのが私たちの希望です。“ランゲージ・バリアフリー社会の構築”こそ今後目指すべき道でしょう.

http://www.osaka-gaidai.ac.jp/~t-renkei/jinzaiyousei/jinzaiyousei1.htm

「言葉のバリアフリー社会を構築するために」
「非英語・多言語社会の魅力を伝えたい」
大阪外語大学林田雅至教授インタビュー)
いくら日本語が堪能な外国人でも、やはりケガをして気が動転したり、病気で落ち込んでいるときには、母語での対応が必要です。日本人だって海外旅行をして何かあったとき、日本語で対応してもらうと安心でしょう。医療通訳は医療の専門知識を持つ通訳者です。本学では、医療ボランティア通訳を養成するために、2年前から言語だけでなく医療の勉強もする講座を設けています。(……)また、ボランティア通訳が協力してペルシア語、タイ語ベトナム語、中国語、韓国語、ロシア語など10言語の「保健医療ハンドブック」などを制作中。(……)
大阪外大パンフレット(※PDF)http://www.osaka-gaidai.ac.jp/newsletter/pdf_s/sOUFSno3.pdf

(呂歯科診療所)
ランゲージバリアフリー
当診療所では英語、中国語による診療が可能です。

http://www.ro-dental.com/feature.htm

こういうもののことだ。これらに対しても、横文字キャッチフレーズ一般に対する違和感は感じないではないけど、でもとにかく、上の事例の場合、私が理解する「バリアフリー」という言葉の意味に少なくとも合っているように思える。じゃあベルリッツのはどうかというと。

ベルリッツでは、言葉と文化の壁を越えて理解しあう喜び、「ランゲージバリアフリー」の実現を目指しています。語学学習を始めようと思っているあなたの夢の実現をぜひお手伝いさせてください。

http://www.berlitz.co.jp/first/index.html

つまり、「あなた(つまりこのページを読んでいる日本語話者)」が(お金を払って)「語学学習を始めること」によって、「ランゲージバリアフリー」が実現される、とそういう考えでよろしいのですな?
で、その「語学」とは何かというと
どーん!

年齢ごとの特質に合わせた理想的な英語環境があります

http://www.berlitz.co.jp/kids/kids.html

ばーん!

英語は未来のもと
留学やホームステイをしたい
外国人とコミュニケーションをとりたい
将来の仕事に役立てたい
受験や英検に合格したい
英語に慣れたい
苦手な英語を克服したい

http://www.berlitz.co.jp/kids/teens.html

えーとつまり、「私」が、「英語を話せない」ということが、「バリアー(壁)」だ、と、こうおっしゃっているということでいいのでしょうか?
さらには、こんな文章もあった。

では具体的にベルリッツ・メソッド?とはどのようなものなのでしょうか。まず挙げられるのは、学習者に対して言語のシャワーを浴びせるという点。例えばレッスンにおいては、インストラクターは間髪を入れず質問を投げかけます。これは学習者に頭の中で翻訳する間を与えないため。このことで「物」と「意味」のダイレクトな結合を実現していくのです。特に大人の場合、母国語が言語習得の壁となることが多いため、この方法は実に有効な手段となります。

http://www.berlitz.co.jp/company/berlitz_method.html

つまり、非英語話者が英語話者とコミュニケーションをとれるようになった状態をベルリッツでは「ランゲージバリアフリー」と呼んでいるのであり、その実現の方法とは「非英語話者が(お金を払って)努力すること」だよ、とこういうことだな。
この「英語」を「日本語」に置き換えたらどうなるか、というと、さっきの歯医者さんの看板なんかも書き換えられねばならないことになる。

(○歯科診療所)
ランゲージバリアフリー
当診療所では、日本語を話せない患者さんには、日本語学校に通っていただくように、学校の斡旋をおこなっております。当院推薦の学校では、日本語のシャワーを浴びて、母国語の壁を取り払うことができます。

これはもちろんたとえだが、それにしても、ベルリッツの「ランゲージバリアフリー」が、同じ言葉を使っていても例えば大阪外語大学の言うそれとは、真逆の発想であることは明らかだろう。*2
 まあどっちが正しいという問題ではないのかもしれないが、バリアフリーという言葉の(たぶん)元の意味からすると、大阪外大の方がまっとうな使い方であると私は思うけど。
 にもかかわらず、というか当然ながら、というか、「ランゲージバリアフリー」をgoogle検索すると、出てくるのはほとんどベルリッツ関連。大阪外大や呂歯科診療所はかなり下の方にならないと出てこない。

 たぶん、ベルリッツとしては、「バリアフリー」というのは、単に「何かいい言葉っぽいもの」というもの以上のではないのだろう*3。そしてその広告を見ているわれわれ「日本人」にとっても。
 それは、日本で暮らしている外国人やろう者が(例えば病院にいった時に)常に突き当たっている、日本社会の中にある日本語という壁(バリアー)、つまり「非日本語話者を阻む日本語という壁」のことなど、われわれが普段まったく意識していない、ということと表裏だろう*4
 ある人たちがある社会で暮らしにくいという状況があるとき、その人たち自身に問題を見て、その人たちに努力させたり、その人たちを「治療」したりすることで問題を解決しよう、という考え方がある。たとえば、ろう者に対して手話を禁止して口話を強制する、というように*5。それに対して、暮らしにくいのは暮らしにくい社会の方に問題がある、という考え方もあって、「バリアフリー」という考え方も、おそらくは人ではなく社会の側にある具体的な壁(バリアー)に人々の注目を集めるために作られた言葉だと思う。
 ところが、いったん「バリアフリー」という言葉が広まったら、今度はそれがいわば比喩として使われてしまう。暮らしにくいのは「その人の中に壁がある」というわけだ。そして、今度は、その人の中にある壁を取り除くために「治療」したり「努力」させたりする。これでは結局一周回って元に戻ったのと同じことである。ベルリッツの場合もまさにそうだと思う。
 考えてみれば、「心の壁」だの「馬鹿の壁」だの*6という言葉も流行りだが、それも関係あるかもしれない。
 だが、さらに広げて考えてみれば、そういう風に本人たちに内面の壁を越える努力をさせる、なんていうのは、すでに流行らなくなりつつあるのかもしれない。規律訓練型権力から環境管理型権力へ、とかいう*7話も、そういうことかもしれない。環境管理型権力というのは、まさに環境の中に具体的な壁や塀を作って人々を誘導する。つまり、本人たちにいちいち「内なる壁」を乗り越える努力をさせたりするのは効率が悪いわけである。環境管理型権力は内面だの心だのは通過しない。だから、細かく網の目のように立ちはだかったちいさな壁を意識させることもしない。もちろん、壁によって誘導される人もいれば、壁の外にはじき出される人もいる。ある種の人々は、社会の進展を阻むものとして、壁によって防御されるべきリスク要因としてまるごと扱われる。
 ところで、先ほど、環境管理型権力は人々に壁を意識させない、と書いたが、「意識させない」というのも、やはりある意味で意識を問題にしているともいえる。つまり、具体的な壁の設計に際して、意識させないという技術が用いられている。馬を人間の思い通りに誘導するために、鞭打ったり、柵を作ったりするだけではなく、遮眼帯をつけたりする。そういう意味では、環境管理型社会における「壁」は、遮眼帯的なものと渾然一体になった壁、なのかもしれない。
 バリアフリーという言葉が、正反対のことを指向する企業の広告に平気で使われ、でもほとんど誰も不思議にも思わない、というのも、現代の壁の遮眼帯効果のたまものなのかもしれない。遮眼帯のことをブリンカーというそうなんで、とすると、まずはブリンカーフリー、つまり、遮眼帯をとっぱらってむき出しの壁を見つけ出すことからはじまる、ということか。いやむしろ、それこそが本当の意味での「心のバリアフリー」であり、「メディアリテラシー」なのかもしれない。
id:terracaoどのの管轄だと思いますんでトラバっときます。*8

追記

 まあしかし、たぶんベルリッツは、「真逆なんてとんでもない、私たちのキャッチフレーズは大阪外大さんのものと同じ意味ですよ」といいそうだというのはわかってる。「ユニバーサルデザインというじゃありませんか。そして、現在ユニバーサルでグローバルスタンダードな国際語は英語なのですから、日本人が英語を習得することによって、今後増加が見込まれる外国人・外国籍住民が安心して来日、在住できる多文化共生社会が実現できるのです」とかなんとか。と、言いながら、宣伝文句には「夢を実現」「留学」「仕事に生かす」ばかりなのであって、在日外国人(特に非欧米系の)のことなんかこれっぽっちも念頭にないことがありありなので、そのうそ臭さがはなにつく。
 しかし、実際アメリカでは当の移民たち自身がバイリンガル教育に反対していたり、また日本に来る非欧米系の留学生なんか日本人より英語が堪能だったりして(それはもちろん植民地主義の影響なわけだが)「多文化主義とかどうでもいいから日本人は英語を勉強して欲しい」なんて思ってたりしてね。

*1:そういえば、私の出身の甲府英会話学校が、外国人教師の条件を「金髪、目は青か緑色」と限定した求人ポスターを作製したっていう事件があったなあ。http://www.doblog.com/weblog/myblog/14406/2427088#2427088

*2:大阪外大の林田氏はインタビューで「非英語・多言語社会の魅力を伝えたい」(……)「例えば、日本人みたいだけど話しかけたら日本語が通じないとか、アメリカ人みたいだけど、話すのはロシア語だったりとか、そういう多言語社会の魅力を学生にも市民の方にも知ってほしい。かつて「国際交流は英語」と言われたものですが、最近の新しい言葉で「民際交流」つまり国の際ではなく民の際、そこで話される言葉はもっぱら非英語です。」と言っているだけに、この対立ぶりはまったくシャレになってないって感じ。

*3:まあそういう意味ではジェンダーフリーみたいに「何か悪い言葉っぽいもの」と宣伝されるよりはまし、かもしれないんだけど

*4:ベルリッツが問題にするのは「日本語話者(の英語習得)を阻む日本語という壁」であって意味が違う。

*5:cf. http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/comics/wagayubi.html

*6:「馬鹿の壁」の方は「越えられない」っていってるんだっけ。それはそれでたちがわるいな。

*7:流行の(笑)

*8:あ、沖縄(うちなー)にいるのかあ。