「35」という数字と作られる不安

こんなhttp://d.hatena.ne.jp/zarudora/20080206/1202333888ふざけたものを書いてしまったあの問題についてちょっと。
こちらhttp://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-1030.html
を読みました。この問題については上のサイトに詳しく書いてあって屋上屋かもしれないのですが、上で紹介されている本の巻末にある、佐藤孝道、宮川公子、旗手俊彦、玉井真理子氏による座談会から、佐藤氏の発言を引用しておきます(冒頭にあるのは司会者による質問です)。

──〔需要があるから技術が発達するということがあるので〕つまり、出生前診断の技術が進歩するということは、出生前に病気がわかるようにしてもらいたい、という意志を持った人がいて、それが技術を発展させると考えてもいいのですか。
佐藤 難しい問題だと思います。しかし、そういう需要は、場合によっては作られる可能性があるのではないかと思うのです。たとえば、高齢妊娠でも、昔は四〇歳以上の人が何とはなしに不安だと言っていたのが、今はだんだん年齢が下がってきて、三五歳以上、最近では三〇歳以上が「高齢」だと心配している。今、三五歳を過ぎると急に羊水検査を受けたいという人が増えるわけです。でも、それぞれの人がダウン症の子を産む可能性は年齢とともに徐々に増えていき、三五歳で急にその割合が増えるはずはないのだけれど突然検査希望者が増える。要するに、杜会が不安感を作り出している側面があると恩うのです。
 妊婦の高齢化が進んでいる。高齢化によって、全体としてはダウン症の赤ちゃんが生まれる頻度が増えてくるという問題があるとして、それを行政はどういうふうに考えるか。たとえばWHOは、それをどう捉えているかというと、ダウン症の赤ちゃんが増えるかもしれないという危機感を持っているのではないか。そういうところがお金を出して、危機感をあおる事業をやっていけば、不安感を作り出すことになる。
 もう一つの問題は、出生前診断に企業がからんでいることです。企業が不安感を作り出す。たとえば、「検査を受けたほうが安心ですよ」という。受けたほうが安心ということは、受けなければ不安だということになるわけですね。だから、それぞれの人たちからの本当の需要ではないのではないか、というのが問題だと思います。そういう意味で言うと、結果として需要は増えているかもわからないけれど、妊婦一人ひとりが望んでいることかどうか、疑問があります。(p.268-9)

ついでに、p.89にある図も。

出生前診断―いのちの品質管理への警鐘 (有斐閣選書)

出生前診断―いのちの品質管理への警鐘 (有斐閣選書)