ペルー手話は「スペイン語の手話」ではない!

news.tv-asahi.co.jp

 ペルー訪問中の天皇の姪が、ろう学校で子どもたちと手話で交流した、というこのニュース、見出しに「スペイン語手話」、本文に「ペルーの公用語であるスペイン語の手話」とある。この件について伝えるネットニュースをいくつか調べたが、多くの報道機関が、彼女が「スペイン語の手話」で交流した、と書いている*1

 これはめちゃくちゃである。なぜなら、ペルーの手話は「ペルー手話」であり、スペイン語ともスペイン手話とも別の言語だから。
 ペルー手話についてはスペイン語wikipedia

Lengua de señas peruana - Wikipedia, la enciclopedia libre

にかなり詳しく記述されている。

ペルー手話(Lengua de Señas Peruana、頭字語: LSP)は、ペルーのろう者コミュニティによって作られ使用されているペルー固有の言語である。他の言語と同様、独自の語彙と文法を持ち、ペルーの音声言語とも世界の他の手話言語とも異なる。LSPは、スペイン手話やアメリカ手話など、他国で使用されている手話語彙の影響を受けている。(DeepL翻訳一部改変)

 wikipediaスペイン語版「ペルーの言語」Lenguas del Perú - Wikipedia, la enciclopedia libreによると、ペルーでは、人口の94.4%がスペイン語母語としているが、その他、ケチュア語(全体の5.6%)、アイマラ語(1.1%)が話されている。その他の少数言語として、ペルー手話もちゃんと記述されている。言うまでもなく、ペルーにスペイン語が入ってきたのは、16世紀のスペインによる侵略以降であるが、それ以前からペルーでは手話が話されていたことが推測できる。wikipediaスペイン語版「ペルー手話」には以下のように記述されている。

他のろう者のコミュニティと同様、ペルーのろう者も有史以来、独自の手話を生み出してきた。しかし、他の手話言語と同様、その歴史に関する資料的証言は多くない。というのも、これらの言語は周辺言語であっただけでなく、言語として認識すらされていなかったからである(1960年にウィリアム・C・ストーキー(William C. Stokoe)の研究が発表されて初めて手話が言語として認識された):(DeepL翻訳一部改変)

 同wikipediaでは、紀元前4世紀に書かれたプラトンの対話篇「クラテュロス」の中の以下のようなソクラテスの発言が引用されている。

仮にもしわれわれが声も舌ももっていないで、お互いどうしに対して事物を示そうと欲するとするならば、どうだろう、そのばあいわれわれは、現実にろう者たちがやっているように、手や頭やその他の身体の部分を使って表現しようと試みるのではないだろうか。
プラトン「クラテュロス」422E、水地宗明訳(一部改変)『プラトン全集2』岩波書店、1974年、120ページ。)

 したがって、上記wikipediaに書かれているように、この箇所は「ろう者が共同体を形成することを許されたすべての社会が手話を生み出したという証拠」の一つといえるわけだ。また、スペイン人による征服以前のペルーにおいてろう者の共同体が存在していたことを示す記述が、フェリペ・ワマン・ポマ・デ・アヤラの証言の中に見られるのだという(ワマン・ポマはインカ帝国出身の先住民だが、スペインによる植民地支配の実態を告発するスペイン国王への手紙を書き、この手紙には、スペイン人来訪以前のインカ帝国の社会が豊富な挿絵とともに克明に記述されていた)*2。上記wikipediaスペイン語版「ペルー手話」はこう結論している。

したがって、これらの地域にカスティーリャ語(=スペイン語)が到来する以前に手話が存在しなかったと考える理由はない。

 スペイン語到来以前のペルー手話と現在のペルー手話がどのぐらい異なっているのかはわからないが、いずれにせよ、ペルー手話はペルーのろう者たちが作り上げたもので、ペルーの聴者のマジョリティが話す音声言語のスペイン語とは別の言語だ。それは、「日本手話」が、日本のろう者たちが作り上げた、「日本語」とは別の言語であるのと同じことである。この記事の中には「日本語の手話」という言葉も使われているが、その意味で、これもまったく不適切な、あるいは意味不明な言葉だ。
 ペルーでは、2010年に制定された法29535(ペルー手話を公的に認定する法 LEY QUE OTORGA RECONOCIMIENTO OFICIAL A LA LENGUA DE SEÑAS PERUANA)によって、ペルー手話を「言語として」公的に認めている。つまりペルー手話はペルーの「公用語」であると言ってもいいだろう。この法では、国が、ペルー手話の研究・教育・普及を促進する、としている。また、 公共サービスを提供する公共・民間の団体および機関に対して聴覚障害者用の通訳サービスを無料で段階的に提供する義務を定めている。さらに、国は通訳者の養成を促進するとしている。*3。日本の場合、このペルーの法律に類した条例はあるが、法律はまだない。そういう意味では、ペルーは日本より進んでる*4。しかし、テレビ朝日の記事で「ペルーの公用語であるスペイン語の手話」と書かれているのは、明らかにそのことではない。「ペルーの公用語はスペイン語……なら、ペルーの手話はスペイン語の手話だろう」程度の、手話についてまったく何も知らず、おそらく手話に関心を持ったこともない記者が、調べもせず、各社で手話についての記事を書いているということなのだ……。
 特にひどいのが、TBSのニュースのこの記述。

教諭によりますと、子どもたちは「なぜそんなにスペイン語の手話が上手いの?」と驚いていたということです*5

 これは「佳子さま」が、間違えてスペイン手話(LSE)をおぼえていってしまったので、ペルーのろう児たちが「スペイン手話は上手だけど、なぜペルーに来たのにスペイン手話で話しているの?」と言った……ということではもちろんない*6。というのも、おそらく同じ子どもの発言が、日テレのこちらの報道では

学校側によりますと、子どもたちからは「どうしてこんなに早くペルーの手話ができるの?」と、賞賛の声が上がったということです。*7

 となっているからである。つまり、TBSの記者は、ペルーの学校関係者のコメントの中の「ペルー手話」という言葉を、「ペルーの公用語はスペイン語だから」ということで、まったく的はずれな親切心から「スペイン語の手話」と「意訳」したのだろう。TBSといえば、『手話を生きる : 少数言語が多数派日本語と出会うところで』(みすず書房 2016年)という著書があり、明晴学園の校長までつとめた斉藤道雄氏がかつて報道局編集主幹だったというのに、嘆かわしいことである。

www.msz.co.jp

*1:NHKは「現地の手話」と表現している(NHK 7日11時
日本テレビと読売新聞は、「ペルーの手話」「ペルーで使われる手話」という表現の報道もある。
ペルーの手話(読売新聞 7日12時
ペルーで使われる手話(日テレ 7日20時

しかしいまさらではあるが、そもそもの話、パレスチナでの虐殺に世界が注目している今、各社がここまでこの話題を熱心に報道するということにグロテスクさすら感じる。

*2:上記wikipediaにリンクが貼られているこちらのサイトhttps://cultura-sorda.org/peru-atlas-sordo/によると、その内容はこのようなものらしい。

「ワマン・ポマ・デ・アヤラは、その著書『新しい記録と良き統治』(1615年)の中で、インカ帝国時代の聾唖者の生活について何度か言及している。この年代記記者によると、すべての障害者は、働くか奉仕することができる限り、尊厳をもって生活できるように仕事と財産を与えられた。障害を理由に施しを受けることはなかった。また、すべての人が婚姻を認められ、子孫を残すことが許された。各自が自分の同等の者と結婚させることで、子孫を増やし、あらゆることに奉仕することができ、畑、家、農場を持ち、自分たちの農奴制からの援助があり、病院や施しを受ける必要はなかった(Poma de Ayala, 1615, folio 201.)(DeepL翻訳一部改変)」

*3:https://docs.peru.justia.com/federales/leyes/29535-may-20-2010.pdf

*4:こちらのサイト(手話言語法と手話言語条例について | 【みみとこころのポータルサイト】一般社団法人 4Hearts(フォーハーツ))のリストには入っていないが、この法29535があることによって、ペルーは「手話を認知し、手話について規定した法律を制定」している国の一つだと言えるだろう。

*5:佳子さまペルー・首都リマの特別支援学校を訪問 子どもたちとスペイン語の手話で交流 子どもたち「なぜそんなにスペイン語の手話が上手いの?」 | TBS NEWS DIG (1ページ)

*6:その場合でも「スペイン語の手話」という表現はおかしいが。

*7:佳子さま 「ペルーの手話」完璧に習得 聴覚障害の子どもたちと交流|日テレNEWS NNN

「韓国人の発音はすべて半濁音」という珍説

 facebookで流れてきたので、つい読んでしまったのだが、あまりに酷いので呆れてしまった。
www.sankei.com

夕刊フジに掲載されたようだ。
 さて、この部分。

誰も語らぬことがある。韓国人は清音と濁音の区別が苦手なこと。端的に言えば、韓国人の日常の発音は、すべてが「半濁音」であることだ。
それは「悪いこと」「劣っていること」ではない。発音が原則「半濁音」である言語文化圏で生まれ育てば、耳はそれに順化し、発音もそれに従う。

 そもそも「清音」や「濁音」とは、日本語の音韻に関する用語である。だからこの言葉を日本語以外の言語(朝鮮語)に当てはめる事自体がおかしい。ただ、「清音」「濁音」は、それぞれ音声学で言う「無声音」「有声音」と重なる部分があるため、百歩譲って、室谷氏が有声音や無声音のことを言っていると考えるならば、たしかに、朝鮮語は有声音(濁音)と無声音(清音)を音(音素)として区別しない。正確に言えば、朝鮮語の音韻体系では、有声性は音素を区別するための弁別的特徴となっていない、だ。しかし、そんなことであればwikipediaにだって書いてある。「誰も語らぬこと」でもなんでもない。だいいち、もともと朝鮮語には区別がないものを朝鮮語が区別しないことは、その必要がないということであって、つまり「苦手」もくそもない。
 最も意味不明なのは「韓国人の日常の発音はすべてが半濁音」「発音が原則半濁音」というところだ。「半濁音」は、日本語の「パ行」の音のことを表す言葉であり、これはもう他の言語に当てはめることがどう考えてもできない言葉だ。「韓国人の日常の発音はすべてが日本語のパ行の音だ」だとしたら、んなわけあるか、という話でしかない。「アメリカ人はひらがなとカタカナの区別が苦手なのですべてが漢字である」と同じレベルの意味不明な文である。なるほどそうか。確かにこんな馬鹿なことは室谷氏以外「誰も語らない」だろう。
 室谷氏が、言語について、これまでわずかでも関心を寄せたことがあるとはとても思えないレベルでおよそ初歩的な知識も持たないことは明らかである。にもかかわらず、彼は「韓国人の発音はすべて半濁音」などという珍説を「誰も語らない事実」のごとく得意気に開陳し、よその国の言語について偉そうに語っている。なぜ彼はそんなことをしようとするのか。その答えはこのコラムに書いてある。

しかし、「半濁音」である事実*1を客観的に捉えられないと、「わがハングルは、世界中のあらゆる言語の発音を表記できる」という夜郎自大に陥ってしまう。

 しかし、韓国人の大多数は「ハングルはあらゆる発音を表記できる」と信じている。
 であればこそ、「いまだに固有の文字を持たない哀れな民族に、優れたハングルを教えて、その民族の文字として採用させよう」という主張が〝正論〟のごとく登場する。
 その典型が、韓国で発行部数2位の「中央日報」(2023年10月5日)に載った「韓国だけで使うにはもったいない 〝ハングル分け合い〟を深く考える時期」と題するコラムだ。その筆者が「国立世界文字博物館館長」とは、もうあきれるほかない。

 室谷氏が言及している「中央日報」のコラムとは、これだろう。

s.japanese.joins.com

 つまり、韓国に関する何か(この場合はハングル)が「優れている」という主張を見つけたら、その問題に関する知識をまるでもっていなかったとしても、根拠がデタラメでも、とにかくその主張を否定する。それが重要なのである。そしてそうした文章に需要がある。韓国を否定し、けなす内容であれば、「韓国人の発音はすべて半濁音」のようなデタラメが含まれていようが、何らかの有識者が書いたコラムであるかのような体で、全国どこの駅にも売っている「夕刊フジ」という夕刊紙に掲載されてしまう*2。それこそ「もうあきれるほかない」だ。
 もちろん、「中央日報」のコラムの

ハングルが持つ文字的特性を十分に活用するなら、無文字言語(字で書かない言語)や難文字言語(字が難しくて書いて読み取ることが難しい言語)を簡単に書き取ることができる。

 などの主張には、ハングルには有声音と無声音の区別がないのは事実であるから、反論の余地がある。しかし、室谷氏にとって、問題は、まともな「反論」や「批判」ではないのだ。

 さて、どうも室谷氏は「半濁音」を、「半分濁音(有声音)で半分清音(無声音)」という意味だと思っているようだが、全く違う。日本語でもともと「ハ行」の音は[p]音で発音されていたのだが、次第に[φ]や[h]で発音されるようになった。それでも[p]の発音自体は残っていたが、その時は[p]と[φ]や[h]は区別されず、同じハ行の音、つまり「清音」として認識されていたのである。しかし後に外来語が入ってきたりして、[p]の音を「別の音」として区別するようになった。それに伴い「ハ行」でも「バ行」でもない「パ行」を区別して表記する必要が出てきた。濁音の記号は従来「・・」ないし「。。」で表記されていたが、「パ行」を表すために「・」や「。」が用いられるようになった。それが半濁音の「半」のもともとの意味だ。音声学的には「半濁音=パ行の音」は「ハ行の音」と同じ「無声音」である。
 一万歩ほど譲って、かりに、半濁音が「有声音でも無声音でもない音」の意味だったとしても、室谷氏の文はおかしい。有声音と無声音を区別しない、ということは、朝鮮語に有声音や無声音が無い、ということではないからだ。朝鮮語の/ㅂ/は、[p](無声音)ないし[b](有声音)のどちらかの音で発音されているので、どちらでもない音で発音されているわけではない。ただ、それらの音は別の音として認識されていないというだけだ。
 室谷氏のコラム、他の部分もつっこみどころが満載なのだが、たとえばここ。

英語のF・V音やTH音を正確に書き表せないことは、ハングルも日本の平仮名・片仮名も同じだ。ハングルは「つ」「ざ」「ず」「ぞ」音も表記できない。

 ハングルのほうが「(外国語を?)正確に書き表せない」音が多いぞ、といいたいのだろうが、そんなことを言うなら、ハングルが表せる母音は10種類だが、日本のひらがな・カタカナが表せる母音はアイウエオ、半分の5種類しかない。また、日本のひらがな・カタカナは、朝鮮語の平音・激音・濃音の違いも表せない。「달(月)」「탈(仮面)」「딸(娘)」が全部「タル」になってしまう。
 ところで、先に述べたように、ハングルに有声音と無声音の区別がないのは、朝鮮語では有声音と無声音を(音素として)区別しないからである。ところが、日本語には有声音と無声音の区別があるにもかかわらず、日本の文字はしばしばそれらを区別しないのだ。つい最近まで、「天皇神聖にして侵すべからず」を「侵スヘカラス」などと書いていたではないか。「ヘカラス」を「hekarasu」と発音したら間違いとされるにも関わらず。平安時代に成立した当初、仮名は濁音と清音の区別がなかった。万葉仮名では区別されていたので発音の区別はあったはずなのに、文字では区別がなかったので、文脈で読むしかなかった。濁点や半濁点などは、このような「区別があるのに表記できない」という不便を解消するため、後から使われるようになった補助的記号にすぎない。つまり、日本の文字は、長らく、外国語どころか、自分の国の言葉でさえ「正確に書き表せない」状態が続いてきたのだ。さらに、日本語は、アクセントによって意味が変わる言語である。「↑は↓し(箸)」と「↓は↑し(橋)」(関東の場合)は違う語だが、平仮名やカタカナはその区別を今でも「正確に書き表せない」という「欠陥」がある。はて、朝鮮語にない区別を区別しないハングルと、日本語にある区別を区別することすら「苦手」な日本の文字。文字の優劣を比べて語る事自体が愚かなことではあるが、もしそういう比較をするというなら、「劣っている」のはどちらだろうか?
 しかし、なぜ平安時代の平仮名は有声音と無声音を区別しなかったのだろうか。たとえば日本語には連濁という現象がある。「日傘」のように、2つの語が連続した場合、後の語の「かさ」の「かka」が「がga」と有声音(濁音)に変化するのである。つまり、日本人は、実際は無声音(清音)で発音する「kasa」と有声音(濁音)で発音する「gasa」を、同じ語(形態素)として認識するのである。このことからもわかるように、日本人は、濁音(有声音)と清音(無声音)を音(音素)として区別しながらも、場合によっては交換して用いる*3。つまり日本人は、濁音(有声音)と清音(無声音)を区別しながらも「ある程度似たもの」として捉えていた、とも言えるのではないだろうか*4
 ところで、かつての日本語では語頭に有声音(濁音)がくる語はなかった。後に入ってきた漢語を別とすれば、例えば「だく(抱く)」という語も、もともとは「いだく」だったのが、語頭の母音が脱落したものだ。で、朝鮮語では、語頭の子音は無声音で発音するが、2つ目の文字の子音は有声音になるという、連濁に似た法則がある。例えば「부부(夫婦)」は「プブ」と発音する。そういう意味では、日本語と朝鮮語は、結構似ているともいえるのだ。

*1:いやそんな「事実」ねーし…

*2:web版のみ掲載ではなければ。

*3:屋名池誠氏は、平仮名が有声音と無声音を区別しなかった理由を「連濁」と関連付けて以下のように考察している。
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00072643-01010001-0022.pdf?file_id=105214
たしかに清濁を同じ文字で表すと、濁音で別の意味になる場合(語彙的濁音)には不便だった。しかし一方、有声音と無声音に別の文字を当ててしまうと、連濁しているだけの語が別の語に見えてしまう。ただ、連濁が非常に頻繁に起こるのに対して、濁音で別の意味になる場合は相対的にかなり少なかった。そこで、平仮名では、前者の不便を犠牲にして、濁音を同じ文字で表す方針をとったのではないか、と屋名池氏は推測している。

*4:有声音と無声音を区別しながら文字表記で区別しないのは、古代ローマでもそうだったようで、/k/と/g/を区別しながら同じ「C」という文字で表していた。「G」という文字はそれを区別するために「C」を元に後から作られたのだ。

ネトウヨなんかになりたくない!

最近、YouTubeでどうでもいい野球ネタのゆっくり解説などを聴きながら眠りにつく習慣になっている(霊夢魔理沙、てやつ。ちゃんと「睡眠用」とか書いてある(笑))。スリープタイマーのアプリを入れて、20分くらいで切れるようにしているのだが、昨日はそのアプリが機能せず、何時間もYouTubeが流れっぱなしになっていた。夜中に気がつくと「ヤバすぎる中国」というネトウヨ動画になっていた。期せずしてネトウヨ睡眠学習をしてしまった。無意識で洗脳されてネトウヨになってしまったらどうしよう……。嫌だ、ネトウヨになんかなりたくない!

私と阪神

 大昔ジョークで作った「インターナショナル(六甲おろし風)」です。


www.youtube.com

以前はmidiファイルをホームページに載せていたのですが、いつのまにかファイルが消えていました。というわけでしかたなく作り直しました。「六甲おろし」と「インターナショナル」は、まあ、どっちもある意味軍歌なわけで、似ているのも当然ではありますが、しかし結構似ている。
 私は30年来の阪神ファンです。ちょっと長い話になりますが、私はもともと野球を含めたスポーツ全般が苦手で、そのことに引け目を感じていました*1。私の子どもの頃、つまり1970年代は、まだ巨人大鵬卵焼きの時代が続いていましたが、少なくとも私が育った山梨では、野球人気は絶大なもので、野球の知識と能力は、「男子」の絶対的基礎教養のようなものでした。ところが、私はプロ野球選手の名前もよく知らないし、ルールも細かいところはよく分からないので、友達との間で野球の話に乗ることができず、コンプレックスを感じていました。能力についてはもっと壊滅的で、全般的にいわゆる「運動」が苦手だった私は、運動系の遊びではいつも「みそっかす」でした。当時は、公園でキャッチボールとか、野球の試合とか、盛んでしたが(今ではほとんど禁止されてるようですが)そういうものに混ざった記憶はほとんどありません。いわゆる「女投げ」や、バットがボールに当たらない、そういうことで笑われるのが嫌でした。しかし、学校で強制的に参加させられた「体育祭」というものが恐怖でした。たしか中学のとき、クラス対抗で野球をした(させられた)のです。その時、あまりに野球が下手な私を心配して、クラスメイトに個人的練習に連れ出されたことがあります。結果、キャッチボールしただけで、すべての指を突き指しました。また、その時友人に「お前……なんでそんなに肩が弱いの?」と言われたのを今でも覚えています。「なんで」って言われても……。彼は悪気はなかったのかもしれませんが、不思議な生き物を見るような表情で言われたので、いたく傷つきました。
 高校野球も興味がなかったです。これも前書きましたが、当時は強制的に自分の高校の野球の試合の応援に参加させられ、そのための「応援練習」というのにも強制的に参加させられ、嫌でした。屋上に全員集合させられ、前に並んだ長ランにボンタンの怖い応援団に、まず「団旗に対してぇ〜〜礼ッ!!」とお辞儀をさせられます。その後は「太鼓に対してぇ〜〜礼ッ!!」ドンドンドンドン、です。拳を突き上げるような型をやらされながら校歌を歌わされたりました。その間、怖い応援団員が風紀委員となり制服のチェックをします。引きずるような長いスカートを履いて紫のはちまきをした女性応援団員が、「グランドに、勝利の花を、咲かせましょう」と言いながら、舞をまったりもしていました。今思えば、笑えるのですが、当時は嫌で嫌でたまりませんでした。
 野球以外のスポーツも嫌いで、嫌いになった原因は明らかに体育の授業です。サッカーとかバレーボールが特に嫌いでした。バレーボールは、必ずサーブが回ってきます。すると当然私は一本も入らない。そうすると、味方の友人から非難のヤジが飛んでくるのです。高校のとき体育の授業で、「てめえ!人間か!」とか、「この、身体障害者!」と言われたことは決して忘れません。後者については、初めて書くのですが、当時「こう言われて嫌だと思うということは、私自身も障害者を差別しているということではないか」と思いました。
 さて、今では信じられませんが、当時は毎日テレビでプロ野球の中継があり、しかもほとんどすべて巨人戦でした(たしかNHKだけ他のもやってた)。どう考えてもおかしいですが、マスコミが特定の球団、特定の政党を贔屓する、というのは昔からです。そういうこともあって、山梨は巨人ファンが多く、学校でも子どもたちはほとんどみんな当然のように巨人ファンでした。一方父親は典型的なアンチ巨人で、自然と私もそうなりました。家でテレビで野球中継を見ることもありましたが、私も見ていました。それは、そんなに嫌ではありませんでした。もちろん巨人戦しかやらないわけですが、常に相手チームを応援していました。アンチ巨人あるあるですが、巨人の選手についてはある程度詳しくなってしまいました。憎たらしい江川が打たれて負けると大喜びしたりもしてました。今でいうと菅野ですね。というわけで、私は野球そのものが嫌い、というわけではなく、少なくとも観ることはそんなに嫌いではなかったのでした。しかし、当時の私は、自分が「野球音痴」である、という自覚を持ち、そのことに引け目を感じながら過ごしていました。
 大学に入ると、「周りのみんなが巨人ファンで野球話が男子の基礎教養」とか「スポーツができることが「人間」の条件」、みたいな環境からは解放されました。大学に入ったばかりのとき、たしか東京出身の先輩が、野球で打ったらどっちの方向に走るかも知らない、ということを平然と話しているのを聞いて、驚愕した覚えがあります。そして私が大学に入った年、1985年に、阪神が優勝しました。しかし、当時は、「野球音痴」であることが恥ずかしい、というような意識から解放された時期だったからか、社会現象ともなったこの優勝にもほとんど関心を持っていませんでした。優勝が決まったとき、たしかクラスの飲み会で、誰かがラジオを居酒屋に持ち込んで「阪神優勝決まったらしい」と言っていたことだけは覚えています(当然当時は携帯もスマホもありません)。
 その後、阪神は長い低迷期、いわゆる暗黒時代に入るのですが、一瞬だけちょっと強かった時期があります。1992年、それまで5年間で最下位4度と低迷していた阪神は、終盤まで優勝争いをしました。亀山努新庄剛志(当時は剛)が活躍したいわゆる「亀新フィーバー」の年ですね。このとき私は大学院生でしたが、大学のときなかったテレビが部屋にあった、ということも関係すると思いますが、今までしたことのない、特定のチームを応援しながら野球を見る、ということをはじめました。このころは、スポーツコンプレッスから更に癒えて、「こんな野球音痴の私でも別に野球ファンになってもいいのではないか」と意識が変わってきたような気がします。当時は単なるぼんやりとしたアンチ巨人から脱却し特定球団を応援することを、「アンガージュマン」だ、と思っていました(笑)。特定球団がなぜ阪神だったか、といえば、亀新フィーバーがきっかけというだけではなく、関東で生まれ育ちましたがルーツが和歌山なので、なんとなく自分のルーツである関西に対する憧れもあったかもしれません。和歌山なら南海だろ、というツッコミを受けそうですが(父親も子どものころは南海ファンだったらしいです)。当時の阪神の選手で私が特に好きだったのは新庄でした。体育会的なものと対極的なイメージ(実際はどうかわかりませんが)ということもありましたが、特に、捕殺が本当にかっこよかった。レーザービームといえば、私にとってはイチローではなく新庄です。
 ところが、その後、阪神は再び長い低迷期に入ります。このころになると、私にとって「阪神ファン」は自虐的な意味を持ってきます。でも、はっきりいって自虐を楽しんでいた面はありますね。このころ、たまたま本屋でみつけて、スポーツライター玉木正之の『タイガースへの鎮魂歌(レクイエム) 』という本を読みました(初版は1988年ですが私が買ったのは1991年刊の河出文庫版)この本は、私が捻くれ自虐観念的阪神ファンに自覚的になったきっかけの一つです。当時、フランス哲学の世界での「巨人大鵬卵焼き」は、「デリダドゥルーズフーコー焼き」でした。というわけで、優勝したのにその後長い暗黒期に陥った、という点で、阪神サルトルを重ね合わせていた面もあると思います。
 大型扇風機ディアー、神のお告げグリーンウェル、とか色々ありましたが、そんなこんなでしばらく阪神ファンを続けていたら、監督が野村になりました。これは違和感がありましたが、やっぱり阪神は最下位の連続。このころはじめたホームページでは、くだらない阪神のネタをしょっちゅう書いていたのですが、そのときのweb日記のタイトルは「猿虎日記」、そしていまでも使っているハンドルネーム、sarutoraは、サルトルと虎(タイガース)をくっつけたものです。

↓昔のサイトのくだらない阪神ネタ

sarutora.g2.xrea.com


 ところが、実は2002年から、私は阪神ファンをやめてしまったのです。2001年、新庄が退団しメジャーリーグに行ってしまったのも大きいですが、決定的なのは2002年から星野仙一阪神の監督になったことでした。有名な暴力パワハラ男の星野って、私にとっては新庄の対極的存在、スポーツの嫌なところの象徴、あまりに嫌すぎて、もうこれは阪神ファンである理由はなくなったしまったと思って、この年から私は阪神の試合どころが野球の試合自体一切見なくなってしまいました*2。ただ今思えば、このころテレビの野球中継が減って、関東で阪神戦を見ることが難しくなった、というのもあるかもしれない。調べたら、G+で巨人戦をやるようになって日テレで巨人戦をやらなくなった2004年ごろからテレビの野球中継が減ったという説があるようで、そうかもしれない。というわけで、2003年、2005年の優勝も、1985年の優勝と同じく、私はほぼ無関心なままやりすごしたのです。
 それが、再び阪神戦を見るようになったのは、2014年か2015年ころ、和田監督時代の最後のほうです。このころなぜまた阪神に関心を持ちはじめたのかきっかけはおぼえていませんが、星野に「血の入れ替え(これも気持ちの悪い言葉ですが)」をされて「強くなってしまった」阪神への嫌悪感がそろそろ薄れて来た時期だったから、ということなのかもしれません。また、ネットで阪神戦が見られるサービス「虎テレ」で、関東でも比較的阪神戦を多く見られるようになったことも大きいかもしれない。当時は藤浪がかっこいいと思っていました。そして金本政権、矢野政権、再びけっこう普通の阪神ファンになってきました。いまは大山ファンですね。新庄と全然タイプが違いますが。

 はい、いつも通りオチはありません。

*1:この話、このブログでかつて何度もしたような気がする。

*2:当時「しろはた」というwebサイトをやっていた作家の本田透氏も同じようなことを言っていて、いたく共感しました。

イチケイのカラス

先日、浅見理都さんの『クジャクのダンス、誰が観た?』の感想を書きました。

sarutora.hatenablog.com

 同じ作者が2018〜19年に『モーニング』に連載した『イチケイのカラス』も読んでみました。

morning.kodansha.co.jp

 4巻と短めなので(打ち切りになったという噂も?…)すぐ読み終わりましたが、大変おもしろかったです。

 二作品を比べると、こう言ってはなんですが、4年間で絵がかなり上手になっておられます。しかし『イチケイのカラス』の絵も味があっていいと思います。二作品続けてタイトルに「カラス」「クジャク」と鳥の名前が入っていて、『イチケイのカラス』の巻末漫画での自画像も鳥(インコ?)なので、作者はきっと鳥好きの方なのでしょう*1

 『クジャクのダンス〜』は準主人公が弁護士ですが、『イチケイのカラス』では主人公が裁判官です。以前の記事でも紹介したように『クジャクのダンス』の監修は、冤罪の問題について発言を続けている市川寛弁護士です。一方、『イチケイのカラス』の法律監修は櫻井光政弁護士と片田真志弁護士なのですが、この作品の準主人公、イチケイの駒沢部長のモデルは、木谷明と原田國男という実在の元裁判官です。木谷明氏は、現役中に30件以上の無罪判決を確定させた伝説の裁判官で、現在は弁護士としてやはり冤罪の問題について発言を続けています。原田國男氏も警察・検察の捜査の問題点について批判しています。木谷氏は駒沢部長のビジュアルのモデルでもあり、浅見氏による木谷氏の似顔絵は駒沢部長と区別がつきません。

 第2巻と第3巻の巻末漫画では、浅見氏が原田、木谷氏と対談した様子が描かれているのですが、それを読むと、浅見氏がいかに二人を尊敬しているかがわかります。つまり、浅見氏は相当な問題意識を持って『イチケイのカラス』を描いているのだと思います。漫画には入間みちお他、現実にはありそうもない破天荒な裁判官が登場します。しかし、↓の作者インタビューなどをみても分かる通り、法律監修の弁護士とも協力して法律や裁判のリアリティについてとことん追求した上で、誇張するところは誇張する、というスタンスで作られているようです。

www.bengo4.com

 さて、この『イチケイのカラス』は、2021年にドラマ化されています(続編や映画も作られています)。このドラマについては、原作では丸メガネで恰幅のいい入間みちおを竹野内豊が演じ、原作では男性の坂間真平が女性の坂間千鶴に変えられて黒木華が演じています。こんなふうに原作からの大幅な変更があり、原作ファンからは評判が悪いとも聞いていたのですが、一応観てみよう、と思ってとりあえずネットレンタルで1・2話のDVDを借りました(配信している動画サービスはないようです)。が……ちょっとすいませんが私はこれ以上観る気にはなりませんでした。まあ、月9のテレビドラマということで、リアリティの追求よりもわかりやすく面白くすることを優先する、ということは当然あるのでしょうが、いくらなんでもめちゃくちゃすぎました。

 さきほど述べたように、原作が、リアリティと「ありえなさ」のバランスを周到に考えて作られているのに比べると、ドラマのほうは、リアリティとかどうでもよくて、とにかくいかに「破天荒な裁判官」というキャラクターをわかりやすく「破天荒」に描くか、ということしか考えていない感じでした。当然ながら、原作者のような木谷明や原田國男に対する思い入れのような側面も(少なくとも1ー2話を観た限り)脚本からは感じられません。原作とは違って、政治家の汚職や裁判官の上層部の権力闘争の闇、みたいなものが描かれているのですが、なんかそれも(少なくとも1ー2話を観た限り)うすっぺらいですし……。結局、竹野内裁判官がかっこよく悪を裁く、みたいな、要するに遠山の金さんみたいな話になってるわけです。原作は全然そういう感じではないわけですがね。

  この原作からの登場人物の変更は、キムタクが検察官を演じた『HERO』に似せたのではないかとも言われて(『HERO』は観てないんですが)、ありそうなことだと思いました。

npn.co.jp

 細かい話なんですけどね、原作で、入間みちおの机の上にはいろいろなものが置かれていて汚い、という設定があります。ところが、ドラマでは、それを誇張して、机の上どころか周囲に様々なものが溢れかえっている設定になっているのですが、さらに、それらのグッズが、ふるさと納税の「返礼品」、という原作にない設定が付け加えられています。いやいや、ふるさと納税って……これだけ批判されているものを、社会派のはずのドラマの主人公が「ふるさと納税が趣味でねえ」とか無邪気に言ってしまうところからして、もう……と思ってしまいました。

 そうそう、『イチケイのカラス』を読んだ後『クジャク〜』第3巻を改めて読んだら、115ページで笑ってしまいました。心麦の友人ありさの裁判傍聴メモに「みちお」という名前とメガネの人物の似顔絵が書いてあります。ありさは小麦の父に「そういえば…ありさちゃんは法学部行ってたもんなぁ〜 勉強熱心で素晴らしい」と声をかけられるのですが、そのときのありさの心の声が「推し(「裁判官」とルビ)を見に来ているとは言いにくい!!」になってます。ありささん、「みちおを見守る会」の会員だった、てことでしょうか……。

 

*1:このインタビュー https://www.bengo4.com/c_1009/n_8551/ によるとやはり「鳥が好き」と書かれています。

自家製アイス

 「卵を使わない」「生クリームを使わない」「簡単」などをうたうアイスクリームのレシピはたくさんあるのですが、大体は、最初に鍋で材料を煮た後に冷めてから冷凍庫に入れる、という工程は入っています。まず、煮るのがめんどくさいし、冷凍庫に入れる前に冷まさなくてはならないし、冷凍庫に入れた後だって最低数時間は待たなくてはならない。お菓子作りとしてはけっこう(私にとっては)ハードルが高いです。

 しかし、探してみると、最初に煮る工程がなく、常温で材料を混ぜるだけ、というレシピもあります。いわゆるフローズンヨーグルトというのもそうで、ヨーグルトとジャムやはちみつや砂糖を混ぜて凍らせるだけなので、最初の煮る工程がありません。というわけで作ってみました。もちろん凍るまで待たなければならない、という問題はあります。しかしそれは仕方ないでしょう。

 無事完成したのですが、食べようとして、自家製アイス類には、作るのがめんどくさいという他に、もう一つ大きな問題があることに気が付きました。カチカチになってしまうのです。たぶん、空気の含有量の多さに反比例し、水分の多さに比例して固くなるのではないかと思います。最初に煮る工程は、おそらく水分を飛ばすという意味があり、よくあるレシピで、時々冷凍庫から出して混ぜましょう、というのは空気を含ませるためなのだと思います。しかし、やはり自家製のアイスは、市販のものに比べて、凍らせる時間が経てばたつほどカチカチになりやすいのだと思います。

 カチカチのアイスというと、私も過去何度も食べましたが、シンカンセンスゴイカタイアイスが(新幹線のワゴン販売がなくなるとかで)話題です。あれは市販のものなのに固いですが、調べたところ密度が高く空気の含有量が少なく作っているので固いのだそうです。

 というわけで、作るのがめんどくさい上に時々かき混ぜてやらねばならない自家製アイス。えーいめんどくさい市販でいいや、ということに今までなってきたのですが、あることに気が付きました。食べるまえにレンジにかければいいのです。冷めたおかずをレンジで温めるのは普通ですが、冷たくないと意味がないものを食べる前にわざわざ温めるというのは逆転の発想で気が付きませんでした。で、このやり方でよければ、けっこう適当に作ったものでもストレスなく食べられます。私が考えたのは、牛乳と練乳(コンデンスミルク)をてきとうに混ぜて凍らせたものです。私は牛乳150cc、練乳30gぐらいで作ってます。一晩も置くとカチカチでそのままではとても食べられませんが、600wのレンジに10秒ぐらいかけると、ちょうどいい硬さになります(というわけで、アイスを作る容器は、耐熱容器を使います)。そのとき食べる分だけスプーンですくって、残りはまた冷凍庫に戻します。

 実は私は濃厚なバニラアイスとかよりもミルクバーみたいなのが大好きなのですが、ちょうどあんな感じの味になります。

練乳と牛乳で作ったアイスクリーム

 固いアイスをレンジで食べやすくする裏技というのはネットにも載っていますね。

www.kurashiru.com

マスク、身体、自由(1)

ポストモダンと身体論の流行

 『現代思想』2023年4月号の「特集=カルト化する教育新教科「公共」・子どもの貧困・学校外教育』

冒頭の、大内裕和と三宅芳夫の対談、「新自由主義再編下の宗教とイデオロギー」で、大内は、80年代以降の日本における、新自由主義ポストモダンの流行の関係について指摘している。

ポストモダンがヨーロッパやアメリカの近代を批判することを通じて、それらに依拠してきた戦後民主主義を相対化すると同時に、「近代的主体の解体」を唱え、「価値の分散化・多元化」を称揚することで、個性と多様性、消費者主権と協調する新自由主義と接続するコノテーションを強く持っていました。アナーキズムに基づく管理社会批判を行っていたジル・ドゥルーズの著作が、消費社会論の文脈で読まれていたことはその証左です。*1

 三宅はこれを受けて、日本における、ポストモダン的「近代的主体批判」の流れの中での「身体論」の流行に言及している。

七〇年代後半から八〇年代前半にかけては近代的「主体」・「理性」・「意識」を批判すると称して、メルロー゠ポンティなどを引用してむやみやたらと「身体論」が語られました。ドゥルーズガタリの「器官なき身体」やフーコー『監獄の誕生』冒頭の「華々しき身体刑」の箇所なども、元来の文脈から全く切り離して受容されたと言えます。「身体の所作」をレイシズム的に語る三浦さんの議論などは、八〇年代「身体論」が行きついた果て、とも言えるでしょう。また、サントリー財団副理事長の鷲田さんの論理もメルロー゠ポンティの「身体」論と「間主観性」を手掛かりに「近代的主体」を超えるという単純極まる話ですから、これは和辻哲郎の「間柄的存在」とほとんど変わりません。*2

適度な新自由主義

 ところで、同誌掲載の「「新自由主義」批判を超えて「教育と市場、ときどき身体」において、筆者の矢野利裕は、大内裕和の新自由主義教育改革批判「を批判」している。矢野は「大内が「新自由主義」的と捉える「公教育の縮小」は、大枠として管理教育の反省という文脈を持ってもいる*3」のであり、「「新自由主義」批判の名のもとにおこなわれる議論は、論理的に、イリイチが批判した教員の過剰な権威的な態度、あるいは教員の過剰労働を引き寄せてしまう余地がある*4」と言う。
 新自由主義批判が教員の「過度な権威主義」の肯定に帰着する例として、矢野は、内田樹をあげている。教育における「市場原理の導入」を批判しながら、その反動として「教育現場」における現場知のようなものを称揚する*5内田の主張は「あからさまに理不尽な「ブラック校則」をも正当化してしまう」*6 と矢野は批判する。
 このように、管理教育、教員の権威主義を容認する方向に向かう危険性を根拠に「新自由主義批判を批判する」矢野は、では、徹底して管理教育や教員の権威主義を批判する立場に立つのかというと、そうでもない。矢野が大内と内田を一緒くたにしてその新自由主義批判を批判するのは、それがあくまで「【過度な】権威主義」を肯定してしまうから、であるらしい。矢野は権威主義そのものを否定するのではなく、「【適度な】権威主義」はむしろ肯定する立場にたつ。矢野は「ほどほどに学校の消費空間化を認め、ほどほどに権威主義性を維持すること*7」が重要だと言う。つまり、矢野としては、新自由主義批判に反論するからといって新自由主義を全肯定するわけではなく、むしろ、「適度な権威主義」を重視するからこそ、「適度な新自由主義(?)」を容認するべきだ、と、どうやらそんなことを言いたいようだ。
 そして、この適度な権威主義と関連して出てくるのが、「身体性」である。矢野によると「消費空間化する学校と権威主義的なありかたとの引き裂かれを乗り越える教育のモデル」が、「身体性」という観点から示されるのだという。矢野は、山口昌男柄谷行人を引きながら、教師の「芸人的な「教える/売る」身体」と「市場」を結びつける。それによって、「教育を市場の手に売り渡してはならない」と警鐘をならす大内を批判するのである。
 しかし、「身体性」とは、(矢野によると「過度な権威主義」の肯定に陥っているはずの)内田樹の得意とするテーマである。内田は、『私の身体は頭がいい』をはじめ、「身体」という言葉をタイトルに含む著書を、共著も含めると9冊も出している。実際、矢野自身も「身体性の重視は、教員の「権威」を強めることにつながる*8」と言っているのだが、結局は「最終的には押し売りするくらいの身体性によって、やっと教育はなされうる*9」と結論するのであり、これが、教育における身体や現場知を称揚する内田樹の立場とどう違うのかは正直よくわからない。
 このように、矢野はこの論文で、身体を重視する自身の立場を、従来の新自由主義批判を「乗り越えた」、学校の消費空間化と権威主義性のバランスをとった何やら新しい立場のように打ち出すのであるが、冒頭で引用した対談で大内と三宅が言っていたように、消費社会論と身体論の結びつきは、80年代に流行したポストモダン的言説において見慣れたものである。

マスクと身体

 一方、同誌掲載の、岡崎勝による「先生、わたしたちは主体的なのですか?自由なのですか?それとも 生権力に統治される学校と新自由主義的学校化」で、岡崎は、矢野とは違い、論旨の上では一貫して新自由主義に批判的である。同論文「3働き方「改悪」の時代――労働闘争の時代へ」では、岡崎は新自由主義的な「学校における働き方改革」の欺瞞性を激しく批判している。そこで岡崎が依拠するのは、「労働組合」や「労働基準法などの法理念」という、ある意味でオーソドックスな「近代的な」ものである。

新自由主義が学校教育に為した耐えがたい教育改革を厳しく批判するのは労働組合の役割の一つだったはずだ。*10

過酷な労働への対抗理念は労働基準法などの法理念であり、「労働法が是正しようと努めてきたのは、まずなによりも状況の不平等であり、なかでも第一に労働契約の当事者間の経済的不平等である。労働法はまた同じく、あらゆる処遇の不平等を差別の名のもとに禁じてきた」(アラン・シュピオ)(4)という原則に従えばよい。*11 

 これは、「教師の「芸人的な「教える/売る」身体」などというポストモダン的な?概念を持ち出して、学校における適度な新自由主義と適度な権威主義を擁護する、というような矢野の立場よりも、ずっと明快で納得がいくものだ。
 ところが岡崎は、別の部分では、「新自由主義的学校化」を批判するために、「生権力」、「生政治」、「身体」、「規律訓練型と環境管理型」といった、ポストモダン的な概念を持ち出してくる。しかし、そうした部分は、はたして新自由主義の批判となりえているだろうか。同論文「1新型コロナで感染症対策の残したものは何か?――定着する「マスク化社会」」では、岡崎は「感染防止というリスク回避に必要だというマスクの強制は、マスク着用問題が生政治の力学であることをはっきりさせた*12」という。「マスク化社会」が学校にどのような問題を引き起こしたか、というと、岡崎はまず「子どもの管理として、表情が読めない」ということをあげるのだが*13、岡崎によると、「マスク化社会」とは、「危険やリスクの排除のためならば人権や自由も制限可能という暗黙の了解」が広がった社会、ということらしい。

生政治の戦略として、「安心安全」が天下無敵のイデオロギーとなった。「安心安全」のためならば、非常識も常識になるし、話す前に「安心安全」という修飾をつけないと、みんなの不安を煽ることになるという新しい常識もできあがった。これは、危険やリスクの排除のためならば人権や自由も制限可能という暗黙の了解を子どもたちだけでなく大人にも教え込んだことに繋がる。ちょうど、「監視カメラの配備が個人の尊厳を犯したとしても、犯罪は防げるからOK!」という意識に近い。監視カメラと盗撮カメラの違いがはっきりしなくなっているのと同じなのだ。*14 

(「マスク、身体、自由(2)」に続く)

 

*1:現代思想』2023年4月号、Kindle版(以下誌名は省略)、位置No.521-526.

*2:位置No.571-577.

*3:同誌、位置No.1136-1137.

*4:位置No.1144-1146.

*5:矢野が引用する文章において、内田は、教育においては、「長い経験を通じて工夫された」「場合によってはなんの役に立つのか教育現場にいる人間にもよくわからない「取り決め」や「約束」が」あり、それを現代人の感覚で「よくわからない」から廃止するというようなことはしないほうがいい」と言っている(位置No.1148)

*6:位置No.1157.

*7:位置No.1223

*8:位置No.1271.

*9:位置No.1287.

*10:位置No.1661-1662

*11:位置No.1681-1685

*12:位置No.1366-1376

*13:位置No.1376

*14:位置No.1407-1412