入管被収容者の死亡事件まとめ

※山村淳平『入管解体新書』(現代人文社、2023年)を参照して内容を追加した(2023年3月30日)

「2007年以降で◯人」の問題点

 入管における死亡者数について、サイトや記事などで「2007年以降で◯人」という表現がよく用いられている。たとえば

  • 「全国の入管施設では、07年以降に17人の外国人が病気や自殺で亡くなったことが明らかになっており」(2022年9月16日朝日新聞
  •  「2007年以降入管施設で収容中に亡くなった外国人は17人に上っています。」(2022年10月6日NHK
  • 「入管施設で2007年以降に亡くなった人数と同じ18回の鐘が突かれた」(2023年3月5日毎日新聞

などである。これはおそらく、入管から提供された情報をもとにしている。2018年04月25日付の「弁護士ドットコム」の「入管施設の死亡事案、2007年以降で13件 「収容者がモノ扱い」の批判も」 という記事には以下のように書かれている。

入管施設での死亡事案はどのくらいあるのか。弁護士ドットコムニュースの取材に対し、法務省入国管理局は、2007年以降だけで今回も含め13件になると回答した(記事末にリスト)。うち自殺は5件。

 記事末のリストには、2007年2月から2018年4月までの「入国管理局が管轄する施設で亡くなった人たち」13人の情報が記載されている*1
 この13人に、2018年以降の入管施設での死亡者数を加えた人数またはリストがしばしば用いられている、ということだ。例えば、現在(2023年3月)までとすると、2018年11月、2019年6月、2020年10月、2021年3月、2022年11月の5人の被収容者の死亡を加えて「2007年以降18人」という数字が出てくる。しかし、入管発表の情報をもとにしたこの数字、またはリストには、問題がある。
 まず、弁護士ドットコムへの入管の回答は、2010年3月、横浜入管から強制送還される途中、成田空港で入管職員に制圧されてガーナ人男性が死亡した事件が含まれていない。入管被収容者の重大な死亡事件であるにも関わらず、死亡したのが成田空港という「入管施設」外の場所であったことから、入管が「入管施設の」死亡事案リストから外したということなのではないか。
 また、入管施設における外国人収容は2007年にはじまったわけではない。弁護士ドットコムの取材に対して入管がなぜ2007年以降についてしか回答しなかったのかは不明だが、2007年以前にも、入管では死亡事件が起こっている。

 2007年以前の死亡事件を含む、ネット上で容易にアクセス可能なリストとしては、SYI (収容者友人有志一同: Immigration Detainee's Friends) の2018年5月19日のブログ記事と、全国難民弁護団連絡会議(全難連)のサイトの「入管被収容者の死亡事件」がある。

 全難連のサイトでは、2022年11月までの入管被収容者の死亡事件のリスト*2が記載されている。以下の25名である。

・2022年11月・東京入管 イタリア人男性(50代) 死因:自殺
・2021年3月・名古屋入管 スリランカ人女性(30代) 死因:衰弱死?
・2020年10月・名古屋入管 インドネシア人男性(40代) 死因:不明
・2019年6月・大村入管センター ナイジェリア人男性(40代) 死因:餓死
・2018年11月・福岡入国管理局 中国人男性(60代)死因:多臓器不全
・2018年4月・東日本入管センター インド人男性(30代) 死因:自殺
・2017年3月・東日本入管センター ベトナム人男性(40代) 死因:くも膜下出血
・2014年11月・東京入管 スリランカ人男性(50代) 死因:急性心筋梗塞
・2014年3月・東日本入管センター カメルーン人男性(40代) 死因:病死
・2014年3月・東日本入管センター イラン人男性(30代) 死因:低酸素性脳症
・2013年10月・東京入管 ミャンマー人男性(50代) 死因:くも膜下出血
・2010年12月・東京入管 フィリピン人女性(50代) 死因:急性心筋梗塞
・2010年4月・東京入管 フィリピン人女性(50代) 死因:不明
・2010年4月・東日本入管センター 韓国人男性(40代) 死因:自殺
・2010年3月・送還中 ガーナ人男性(40代) 死亡の状況:航空機内で拘束されて死亡
・2010年2月・東日本入管センター ブラジル人男性(20代) 死因:自殺
・2009年3月・東京入管 中国人男性(30代) 死因:自殺
・2008年1月・西日本入管センター インド人男性(20代) 死因:自殺
・2007年2月・東京入管 ガーナ人男性(50代) 死因:肺炎
※以下2006年以前
・2006年12月・東京入管 ナイジェリア人男性 死因:エイズ
・2001年10月・西日本入管センター ベトナム人男性(インドシナ難民)死因:自殺
・1997年8月・東京入管第二庁舎 イラン人男性(20代) 死因:不明(職員による暴行致死の疑い)
・日付不詳・ベトナム人男性 死因:頭蓋骨骨折、外傷性くも膜下出血、ほか
・日付不詳・ベトナム人乳児 死因:誤嚥による窒息死
・日付不詳・イラン人男性 死因:動脈瘤破裂による脳内出血

 リスト最下部の、日付不詳の三件の情報ソースは、全難連が開示請求した行政文書、「執務参考資料 被収容者の警備・護送業務上の事故事例集」であるようだ。入管警備課が作成し、2015年12月9日の日付があるこの文書は、全難連のサイトにPDFで上がっている。(http://www.jlnr.jp/jlnr/?p=3560PDF直リンク
 この書類は、タイトルが示しているように、入管が内部での研修などで使用するため作成した資料集である。まえがき部分にはこう記載されている。

入国管理局警備課では,累度にわたり事故事例集を編集してきたが,最近20年新たな事故事例集を編集していないため,今般,地方入国管理官署から事故事例を集め編集した。今回掲げた事例は,入国者収容所においては概ね平成改元以降,地方入国管理局・支局においては概ね最近10年に発生した事故である。各種自庁研修はもとより,職員各位の自己研鎖のために活用されたい。

 全難連のリストにある「日付不詳」の3件は、この文書によってのみ存在が明らかになった事件であると考えられる。つまりこれらの事件は外部に公表されていなかったということなので、入管では他にも公表されていない死亡事件があることが疑われる。
 さて、上記まえがきには、この文書に記載されている事例が「入国者収容所においては概ね平成改元以降,地方入国管理局・支局においては概ね最近10年に発生した事故」とある。したがって、日付不詳の3件も、「概ね平成改元以降」つまり1989年から、文書作成の2015年までの事例であることがわかる。また、公表されている事例と比較すると、だいたい年号順に並んでいるようなので、この3件の事件は、1989年から1997年の間の事件ではないかと推察される。いずれにせよ、全難連のサイトの情報によると、入管に関連する死者数は、「1989年ごろ以降25人」(成田空港でのガーナ人死亡事件および2007年以前の死者を含む)ということになる。
 ところが、調べているうちに、2021年6月の東京新聞2022年3月の社民党のサイトで「支援団体などによると、入管収容者の死亡は1993年以降で26人。」という記述を見つけた。さらに調べると、東京保険医協会のサイトの[視点]医療へのつながりをとざす入管 ~外国人収容所シンドロームの病態~ | 東京保険医協会という2021年07月20日公開のコラムで、港町診療所の山村医師がこのように書いていた。

1993年から2021年まで外国人収容所での死亡は、病死17人、自殺7人、暴行死2人の合計26人である。

 全難連の情報だと、日付不詳3件がすべて93年以降だとしても、この期間(1993年から2021年)の収容所での死亡は23人になるはず(収容所外での死亡を入れても24人)なので、数が違っており、山村医師の情報には、全難連のリストに含まれていないケースが入っている可能性がある*3ただ山村医師の文章では詳しい内訳が載っているわけではないので、この異同の理由は不明である。

 その後、今月7日に出版されたばかりの、山村淳平医師の著書『入管解体新書』(現代人文社、2023年)を入手した。この著書の第3章「無言の人々」では、外国人収容所での死亡事件について、山村医師による各事件の詳しい調査結果の内容が記されている。同時に氏は、この調査結果と入管の報告書との比較検討によって、入管での死亡事件の構造的問題を浮き彫りにしている。68ページには、山村医師の把握している入管被収容者の死亡事件26件のリストが掲載されている*4。2007年以降の死亡事件19件については、死因の表記が異なっているものがあるが、全難連のリストと基本的には同じである。そこで、2007年以前の7件の部分を、山村医師のリストから転載させていただく。

(1)1993年5月 横浜入管局 イラン くも膜下出血
(2)1994年2月 東京入管局 フィリピン 自殺
(3)1997年8月 東京入管局 イラン 頸椎脱臼
(4)2001年10月 西日本入国管理センター ベトナム 自殺
(5)2003年11月 東日本入国管理センター 不明 肺炎
(6)2005年4月 西日本入国管理センター ベトナム 頭蓋骨骨折
(7)2006年12月 東京入管局 ナイジェリア 病死

 このリストと、全難連の2007年以前のリストを比較すると、(3)と(7)が、年月と国籍が一致している全難連リストの「1997年8月・東京入管第二庁舎 イラン人男性(20代) 死因:不明(職員による暴行致死の疑い)」および「2006年12月・東京入管 ナイジェリア人男性 死因:エイズ」と同一の事件であることは間違いないだろう。また、(1)と(6)は、国籍と死因から、全難連リストの「日付不詳・イラン人男性 死因:動脈瘤破裂による脳内出血」および「日付不詳・ベトナム人男性 死因:頭蓋骨骨折、外傷性くも膜下出血、ほか」と同一の事件ではないかと推察される。とすると、(2)と(5)の事件が、全難連リストにない事件だと考えられる。逆に、全難民連リストの「日付不詳・ベトナム人乳児 死因:誤嚥による窒息死」は、山村医師のリストにはない事件であると思われる。

1993年以前の死亡事件

 これまで、1993年以降の事件について見てきたが、では、1993年以前の死亡事件についてはどうか。これについては、東京弁護士会のサイトに「入管収容問題に関する年表」というものがある。
 ここには、1993年以降の事件の一部が載っていなかったりもするのだが、古い大村収容所時代の事件についても書いてある(大村収容所については当ブログの過去記事および『日刊イオ』の記事を参照されたい)。朝鮮戦争が勃発した3ヶ月後の1950年10月1日に、外務省の外局として「出入国管理庁」が設置される*5。同じ日に、その附属機関として長崎県に「針尾収容所」が設置されたが、二ヶ月後に長崎県大村市に移転して大村収容所(大村入国者収容所)となった*6。その後、「入管」は、外務省から法務省に管轄が変わり、名称も何度か変化するが、「入管の収容所」の歴史が大村収容所にはじまったことは間違いない。大村収容所は、1947年に発布された外国人登録令に違反したものや、朝鮮戦争からの避難民を収容し、強制送還するための施設として作られた施設だが、1993年に閉鎖され、同じ場所に大村入国管理センターが開設される。このころには、大村含め全国の入管収容所に収容されているのはいわゆるニューカマーの外国人が中心となっていた。しかし、入管の収容所は、日本政府による一貫した排外主義思想に基づいて運営されていたのであり、大村収容所での事件と、1993年以後の入管の収容所での事件を分けて考えるべきではないと思う。

 さて、東京弁護士会のサイトの「入管収容問題に関する年表」に記載されている、死亡、自殺の事件は以下のものがあった。

・1953年6月1日弾圧事件
長期収容を覚悟した被収容者たちが、日本当局の非人道的な取扱に憤激し、無条件釈放を要求した。当局は、警官400名を動員して催涙弾の雨を降らせ、主導者を独房に監禁した。被収容者はこれに抗議して座り込んだが、待機していた600余名の警官隊が7名を撲殺しただけでなく、多数に重傷を負わせ、あたりを血の海に変えた。
・1954年8月29日 大村収容所において、ハンセン病患者の被収容者が自殺
・1955年8⽉30⽇⼤村収容所において、被収容者が⾃殺
・1957年11月20日 大村収容所において、被収容者が自殺
・1964年6月1日 大村収容所において、被収容者が自殺

 1953年6月1日弾圧事件についてはネットで検索しても出てこないが、上記リストでは引用元として『在⽇朝鮮⼈の⼈権と⽇本の法律』136⾴があげられている。また、その他の事件では、『⼤村⼊国者収容所20年史』があげられている。
 『在⽇朝鮮⼈の⼈権と⽇本の法律』(姜徹著、雄山閣、1987年初版)は、2006年発行の第三版を入手し、該当箇所を確認した。『⼤村⼊国者収容所20年史』は今の所入手できていないが、この書物の内容が、『朝日ジャーナル』1972年3月17日号の「特集・大村収容所の二〇年」という記事にまとめられていることを知った。そこで、国立国会図書館オンラインで遠隔複写申し込みをして、『朝日ジャーナル』の該当記事の複写を入手した。この特集記事は非常に興味深く、改めて当ブログ別記事で紹介したいが、この記事では『⼤村⼊国者収容所20年史』の内容がかなり詳細に紹介されていた。それによると、『⼤村⼊国者収容所20年史』は、1970年に大村収容所の関係者によって編纂された、以下のような資料だという。

大村収容所がたどってきた管理および業務上の事実、経過を正確、克明に集録する」ために編さんされ、大村収容所の歴史が、沿革、機構、施設、経理、収容、処遇、整備、送迎、調査、鑑識、研修の一〇章、全一二五ページにわたって記録されている。(『朝日ジャーナル』、朝日新聞社、1972年3月17日号、33ページ)

 『朝日ジャーナル』の特集記事によると、『⼤村⼊国者収容所20年史』第7章は「警備」について述べている。『朝日ジャーナル』記事はこの章を一部を除いて全文掲載している。それによると、1952年から10年間の大村収容所での主な事件は231件にのぼり、その内訳は

騒じょう事件34件、ハンスト22件、自損行為27件(自殺既遂4件、自殺未遂16件、自損7件)、暴行事件49件(対職員暴行傷害5件、被収容者間のけんか傷害42件、被収容者間の傷害致死2件*7)、闘争事件35件(70名)(既遂26件(31名)、未遂9件(39名))、デモ22件、その他42件

 となっている。『朝日ジャーナル』には、『⼤村⼊国者収容所20年史』から作成された詳細な「大村収容所事件年表」が付されているが、それによると、死亡事件は以下の6件である(自殺既遂4件、被収容者間の傷害致死2件)*8

・1954年8月29日 らい患者(ママ)の自殺(菊池恵楓園で自室に放火自殺)
・1955年1月28日 傷害致死自治会費を使い込み関係者よりリンチを受け死亡。関係者二名懲役に処せらる)
・1955年8月30日 自殺(四棟九号室で自殺)
・1955年11月18日    障害致死(五棟一二号室で平素不仲の収容者十四、五名より袋叩きされ、その結果二〇日死亡。関係者二名懲役に処せられる)
・1957年11月20日    自殺(アイロンのコードで首を吊り自殺した)
・1964年6月1日 自殺(前途を悲観し首つり自殺)

 1954年の自殺は、菊池恵楓園と記載されている。菊池恵楓園は、熊本にある国立ハンセン病療養所であるが、ここに大村収容所菊池分室があったようである。在日朝鮮人ハンセン病患者と入管の問題については、このサイト(http://www.ayc0208.org/cutnmix/kiroku/season3_3.html

に簡潔に記載されている。それによると、自殺した被収容者は第二次世界大戦中に軍事動員で日本に渡り、敗戦後真面目に働いていたが、警官に尋問された際たまたま外国人登録証を持っておらず、結果懲役6ヶ月とされ、神戸の入管に収容された際にハンセン病であることが発覚し、分室に送られていたのだという*9
 「大村収容所事件年表」には、1952年2月から1970年9月までの事件が詳細に記載されているが、『在⽇朝鮮⼈の⼈権と⽇本の法律』に書かれていた、警官に7名が殺害されたとされる1953年6月1日弾圧事件のことは、大きな事件であるはずなのにまったく記載されていない。『⼤村⼊国者収容所20年史』は入管側の関係者が記録のために作成した資料なので、結局は自分たちに都合の良い事実だけを恣意的に取捨選択して記載している可能性がある*10。ただ、真相は不明である(ご存じの方がいたらご教示いただきたい)。

入管被収容者の死亡事件まとめ

 以上をふまえて、全国難民弁護団連絡会議(全難連)のサイトの「入管被収容者の死亡事件」、山村淳平『入管解体新書』、姜徹『在⽇朝鮮⼈の⼈権と⽇本の法律』、『朝日ジャーナル』「特集・大村収容所の二〇年」という4つの資料をもとに、1953年6月から2022年11月まで入管に関わる死亡事件をリスト化したものが以下である。
 ご覧いただければわかるように1970年代、1980年代の事件がすっぽり抜けている。入管の体質からして、この間にも公表されていない死亡事件があった可能性は十分ある*11
 人数をすべて足すと、1953年以降現在(2023年3月)までの、入管被収容者の死亡事件は34件、死者は40名ということになる。いうまでもなく、人数が問題なのではなく、この一人一人はかけがえのない存在であり、またほとんどが入管による収容がなければ奪われなかった命である。

 

※リンクがあるもののリンク先は、当該事件についての当ブログの記事です。

・2022年11月・東京入管 イタリア人男性(50代) 死因:自殺
・2021年3月・名古屋入管 スリランカ人女性(30代) 死因:衰弱死?
・2020年10月・名古屋入管 インドネシア人男性(40代) 死因:不明
・2019年6月・大村入管センター ナイジェリア人男性(40代) 死因:餓死
・2018年11月・福岡入国管理局 中国人男性(60代)死因:多臓器不全
・2018年4月・東日本入管センター インド人男性(30代) 死因:自殺
・2017年3月・東日本入管センター ベトナム人男性(40代) 死因:くも膜下出血
・2014年11月・東京入管 スリランカ人男性(50代) 死因:急性心筋梗塞
・2014年3月・東日本入管センター カメルーン人男性(40代) 死因:病死
・2014年3月・東日本入管センター イラン人男性(30代) 死因:低酸素性脳症
・2013年10月・東京入管 ミャンマー人男性(50代) 死因:くも膜下出血
・2010年12月・東京入管 フィリピン人女性(50代) 死因:急性心筋梗塞
・2010年4月・東京入管 フィリピン人女性(50代) 死因:不明
・2010年4月・東日本入管センター 韓国人男性(40代) 死因:自殺
・2010年3月・送還中 ガーナ人男性(40代) 死亡の状況:航空機内で拘束されて死亡
・2010年2月・東日本入管センター ブラジル人男性(20代) 死因:自殺
・2009年3月・東京入管 中国人男性(30代) 死因:自殺
・2008年1月・西日本入管センター インド人男性(20代) 死因:自殺
・2007年2月・東京入管 ガーナ人男性(50代) 死因:肺炎
以下2007年以前
・2006年12月・東京入管 ナイジェリア人男性 死因:エイズ
・2005年4月 西日本入国管理センター ベトナム 頭蓋骨骨折
・2003年11月 東日本入国管理センター 不明 肺炎*
・2001年10月・西日本入管センター ベトナム人男性(インドシナ難民)死因:自殺
・1997年8月・東京入管第二庁舎 イラン人男性(20代) 死因:不明(職員による暴行致死の疑い)
・1994年2月 東京入管局 フィリピン 自殺*
・1993年5月 横浜入管局 イラン くも膜下出血
・日付不詳・ベトナム人乳児 死因:誤嚥による窒息死**
以下大村収容所での事件(国籍は朝鮮籍または韓国籍と考えられる)
・1964年6月・大村収容所 死因:自殺***
・1957年11月・大村収容所 死因:自殺***
・1955年11月・大村収容所 死因:傷害致死(被収容者間)***
・1955年8月・大村収容所 死因:自殺***
・1955年1月・大村収容所 死因:傷害致死(被収容者間)***
・1954年8月・大村収容所菊池分室 死因:自殺(ハンセン病患者)***
・1953年6月・大村収容所 死因:警官隊による殺害(7名)****

 

参照した資料

*を付したものは、山村淳平『入管解体新書』(現代人文社、2023年)のみで確認した情報
**を付したものは、全国難民弁護団連絡会議(全難連)のサイトの「入管被収容者の死亡事件」のみで確認した情報
***を付したものは、『大村入国者収容所二〇年史』(大村収容所関係者作成、1970年)の内容をまとめた、『朝日ジャーナル』「特集・大村収容所の二〇年」(朝日新聞社、1972年3月17日号)のみで確認した情報
****を付したものは、姜徹『在⽇朝鮮⼈の⼈権と⽇本の法律』(第三版、雄山閣、2006年=1987年初版)のみで確認した情報

印がついていないものは、複数の情報源で確認したが、表記は全難連のリストに依った。

 

 

 

 

 

 

*1:「BOND ~外国人労働者・難民とともに歩む会~」作成のnote「入管収容施設での死亡事件と医療の実態」(https://note.com/nanmin_bond/n/nd3204609cd24)では、入管収容施設での死亡事件(2007.02~2021.03)のリストがあるが、参考文献として、「出入国在留管理庁 収容・送還に関する専門部会 第3回会合」(2019年11月25日)の、宮崎委員提出資料(http://www.moj.go.jp/isa/content/930004737.pdf)が参考資料としてあげられている。

*2:このリストでは、各項目の横の「V」の印をクリックすると、各事件の詳細が表示されるようになっている。

*3:全難連のリストではこの期間の自殺は6人なので、そのうちの1名は自殺のケースかもしれない。

*4:ただ、上記2021年6月のコラムで、山村医師は「1993年から2021年まで外国人収容所での死亡は、病死17人、自殺7人、暴行死2人の合計26人である。」と言っている。しかし、2023年3月発行のこの著書のリストでは、1993年から2021年までの死亡は病死16人、自殺7人、暴行死2人の25人である(2022年の死者を入れて26人となっている)。

*5:それ以前の1949年8月10日に外務省管理局に設置された「入国管理部」が移行したもの。

*6:1950年いわゆる逆コースが顕著になる中で警察予備隊が設立されたが、針尾収容所が大村に移転した理由は、この警察予備隊が針尾収容所の建物に駐屯することになったから、というのも象徴的である。

*7:被収容者感の暴行事件についてだが、長期収容や劣悪な環境によるストレスなどが原因と考えられるだけではなく、被収容者間の対立が煽られていた面もあるようだ。『在⽇朝鮮⼈の⼈権と⽇本の法律』で著者の姜徹は、大村収容所が「「韓日癒着」の尖兵的な役割を果たしていた」といっている(135ページ)。姜によると、大村収容所では「韓国の特務工作員が入所者の動向を探ったり、北支持者と南支持者を対立させる」ということがあったという(同135ページ)。「以前は、韓国の特務分子が密航者になりすまし、収容者の自治会幹部になったりして、思いのままに暴力沙汰やリンチを行い、「朝鮮」といっただけで袋叩きにしたものである」(136ページ)ともある。

*8:元記事には記載されているが被収容者の名前は省略した

*9:日本政府は在日朝鮮人ハンセン病患者も強制送還の対象としていた。患者は強制送還しないようにとの訴えに、政府関係者は「送還船のある都度隔離病室を作って送還しておる」などと言って、療養も送還も肯定していたという。
在日本韓国YMCAサイト、連続講座Cut'n'Mix第三期第3回2010年6月4日、金貴粉(国立ハンセン病資料館学芸員)「解放後における在日朝鮮人ハンセン病患者と出入国管理体制」の講座の記録より(2023年3月28日閲覧)http://www.ayc0208.org/cutnmix/kiroku/season3_3.html

*10:1987年初版発行の『在⽇朝鮮⼈の⼈権と⽇本の法律』には、1970年編纂の『⼤村⼊国者収容所20年史』も引用されている

*11:上述の、2015年に入管が作成した文書で、入管は「入国管理局警備課では,累度にわたり事故事例集を編集してきたが,最近20年新たな事故事例集を編集していない」と書いている。つまり、1995年ごろ以前に作られた、開示されていない入管の事故事例集に記載されている事件の中に、死亡事件が含まれている可能性はある。